Hysteric Papillion 第8話
「はい、それじゃあ後ろの人は答案用紙を集めてきてください」
チャイムが鳴ると同時に、教卓から先生がそんなことを言った。
運悪く出席番号が後ろの人は、バサバサと解答用紙を裏返しにして集め始め、生徒はようやく終わったテストに息をつく。
グーッと背伸びしている人。
答えがあっているか心配で、友達とすぐ答え合わせをし始める人。
そして、緊張の糸が切れて、うつ伏せになって眠ろうとしている人。
しかし私は、この3者のどれでもなかった。
別に、『答えを一つも書いてない白紙で提出した』とか、『自信がなさ過ぎて、追試に備えないと』と愕然としているとか、そういうんじゃない。
5日間連続で行われた期末考査の解答用紙は、あっている、あってないいずれにせよ、すべてびっちり埋め尽くして提出してやった。
理系だから、数学は、3つテストがあるのが気に入らないけど、今回はイヤに楽な問題で、開始30分で解けてちゃった。
ネックな古典もフィーリングと野生のカンだけでギリギリ解き終えた。
保健、家庭科は、授業内容を思い出しながら、適当にマークを埋めた。
英語、物理や化学、社会系もそれと同様。
全部適当。
どうだっていいや。
白紙で出せばいいのに、どうして解いたかというと、後で呼び出されて面倒になるのを避けるため。
ただそれだけのためだ。
一度全部白紙で提出して、一週間は監視の下に置かれたことがあったから。
「どうしたの?元気ないわね?」
礼拝堂の真ん中にボーッと突っ立っていた私を見つけた和美様は、不思議そうにこちらをのぞきこんできていた。
ミーンミーンと、この場に似合わない日本独特の音色と、99パーセント消失した意識の中にいた私は、和美さんの声に遅れて反応した。
和美さんは、そばにそっと寄ると、同じようにマリア像と、その横のパイプオルガンに目を向ける。
「あなたがこんな場所にいるなんて、珍しいこともあるものね?」
「…どうしてですか?」
「"神様"なんていない…そう言ってたのは、あなたじゃない?」
どうやら、私は、あのロザリオを手に握っていたらしい。
和美さんが、私の無意識に掴んでいる右手をゆっくりと解いた。
じっとりと汗ばんだロザリオが、ゆらゆらと胸の前で踊る。
「今でも…そう思ってます」
そう。
神様なんているはずがない。
もしもいたならば、こんな生活をする私に、救いの手でものべてくれるものじゃないのだろうか?
自らの心に描いたイエスという虚像を信仰するなんて、馬鹿げている。
いや、それ以前に。
神がいるならば、どうして私の両親をこの世から奪ってしまったのか。
大好きだったお母さんとお父さんがどうして死ななければならなかったのか。
「神様なんて…いるはずがない」
これが、小さなころの私の出した、一つの結果なんだから。
「ならどうして、儀式もないのにここにいるの?」
「それは…」
どうして…だったっけ…。
もう一度、ロザリオを握り締める。
同時に、あの夜の薫さんの顔が、癒えない傷のように生々しく思い出された。
あの男たちに、無理やり引き剥がされた薫さんは、男に両腕を押さえつけられて、後ずさりしながらも、唇を噛んで、じっとこちらを見ていた。
―――またね?
きっと、あの唇の動きからだと、そういうことを言ったんだと思う。
『ごめんね』から、『またね』。
何なの、またねって…?
どっちの言葉も、あんな顔で言われたんじゃ、気分が悪い…というか、こっちもどういう顔をしたらいいのか、わからないよ。
車に無理やり押し込められて、薫さんの方を見たくても見れなくて…。
そして、家についた瞬間。
現実に引き戻された。
そんな感じだった。
車を降りるときも、大きな門をくぐるときも、部屋に入るのにノックが必要なときにも…。
そして、家に帰っての第一声が下された。
「こんな遅くまで、どこに行っていたかと思えば……その髪と服は一体何のつもりだ?」
電気だけが、イヤにまぶしく感じられた。
何もないくせに、ガランとただっぴろい食堂に、叔父さんの低い声が響き渡る。
叔父さんは、眼鏡をテーブルの上において、新聞をひっくり返したりするときに、垣間見る程度でしか、こちらを向いてくれない。
つまり、怒ってはいるらしい。
もしかしたら、いや、もしかしなくても、婉曲的には『着替えてこい!』と言ったつもりかもしれない。
だけど、叔父さんの期待を裏切るように、『着替えてきます』と食堂を退出しようとは思わなかった。
薫さんの選んでくれた服と髪とメイクのまま、パジャマ姿のお手伝いさんたちがこちらをドアの隙間から見てきているのにもかかわらず、ただ、立っていた。
ちらちらと話し声も聞こえてくる。
「和美さんから、何も聞いていませんか?」
「とにかく宥稀ちゃん、もう心配かけるようなことはしないでね?」
少し肌寒かったのか、薄いガウンのようなものを羽織った叔母さんがドアを開いた。
お飲みなさいと言って、コップに麦茶を入れて手渡してくれる。
麦茶は、あまり冷えてなく、ぬるかった。
そっか、和美さんには、連絡してないんだ。
うまくかき消すように叔母さんに和美様のことを振り払われてしまったからわかった。
やっぱり、和美さんのことが怪しいとは、2人とも、うすうす気付いていたみたいだ。
「でも、こんな髪に、こんな服…」
叔母さんは、サイドを短めにした私の髪形と虹色の蝶がアップリケされたわき腹の開いたシャツをまじまじと見比べながら、ため息に近いものをついていた。
この言葉の後に続いていた言葉は、うまく聞き取れなかったけど、とりあえずあまりいい印象は受けなかった。
叔母さんの髪は長い黒髪で、この髪を結い上げて着付けをしてもらえば、とても美しい日本の女性になる。
叔父さんだって、仕事のとき以外はほとんど和服を着ているから、変に髪の毛をいじくったりせず、年を感じさせないロマンスグレーの大人だ。
でもそんなことは関係なくて。 薫さんが買ってくれた服を、変な服だなどと思っている叔母さんを置いておいて、叔父さんのほうに向かってしぶしぶ口を開いた。
「遅くなったことは反省しますけど」
「けど…なんだ?」
経済面を広げたまま、叔父さんの視線が向けられる。
口元に手を当てながら、これは私の癖だけど、続ける。
「あんなことをされては、薫さん…あー、相手の方に失礼じゃないですか?あんなに無理やり…」
チャイムが鳴ると同時に、教卓から先生がそんなことを言った。
運悪く出席番号が後ろの人は、バサバサと解答用紙を裏返しにして集め始め、生徒はようやく終わったテストに息をつく。
グーッと背伸びしている人。
答えがあっているか心配で、友達とすぐ答え合わせをし始める人。
そして、緊張の糸が切れて、うつ伏せになって眠ろうとしている人。
しかし私は、この3者のどれでもなかった。
別に、『答えを一つも書いてない白紙で提出した』とか、『自信がなさ過ぎて、追試に備えないと』と愕然としているとか、そういうんじゃない。
5日間連続で行われた期末考査の解答用紙は、あっている、あってないいずれにせよ、すべてびっちり埋め尽くして提出してやった。
理系だから、数学は、3つテストがあるのが気に入らないけど、今回はイヤに楽な問題で、開始30分で解けてちゃった。
ネックな古典もフィーリングと野生のカンだけでギリギリ解き終えた。
保健、家庭科は、授業内容を思い出しながら、適当にマークを埋めた。
英語、物理や化学、社会系もそれと同様。
全部適当。
どうだっていいや。
白紙で出せばいいのに、どうして解いたかというと、後で呼び出されて面倒になるのを避けるため。
ただそれだけのためだ。
一度全部白紙で提出して、一週間は監視の下に置かれたことがあったから。
「どうしたの?元気ないわね?」
礼拝堂の真ん中にボーッと突っ立っていた私を見つけた和美様は、不思議そうにこちらをのぞきこんできていた。
ミーンミーンと、この場に似合わない日本独特の音色と、99パーセント消失した意識の中にいた私は、和美さんの声に遅れて反応した。
和美さんは、そばにそっと寄ると、同じようにマリア像と、その横のパイプオルガンに目を向ける。
「あなたがこんな場所にいるなんて、珍しいこともあるものね?」
「…どうしてですか?」
「"神様"なんていない…そう言ってたのは、あなたじゃない?」
どうやら、私は、あのロザリオを手に握っていたらしい。
和美さんが、私の無意識に掴んでいる右手をゆっくりと解いた。
じっとりと汗ばんだロザリオが、ゆらゆらと胸の前で踊る。
「今でも…そう思ってます」
そう。
神様なんているはずがない。
もしもいたならば、こんな生活をする私に、救いの手でものべてくれるものじゃないのだろうか?
自らの心に描いたイエスという虚像を信仰するなんて、馬鹿げている。
いや、それ以前に。
神がいるならば、どうして私の両親をこの世から奪ってしまったのか。
大好きだったお母さんとお父さんがどうして死ななければならなかったのか。
「神様なんて…いるはずがない」
これが、小さなころの私の出した、一つの結果なんだから。
「ならどうして、儀式もないのにここにいるの?」
「それは…」
どうして…だったっけ…。
もう一度、ロザリオを握り締める。
同時に、あの夜の薫さんの顔が、癒えない傷のように生々しく思い出された。
あの男たちに、無理やり引き剥がされた薫さんは、男に両腕を押さえつけられて、後ずさりしながらも、唇を噛んで、じっとこちらを見ていた。
―――またね?
きっと、あの唇の動きからだと、そういうことを言ったんだと思う。
『ごめんね』から、『またね』。
何なの、またねって…?
どっちの言葉も、あんな顔で言われたんじゃ、気分が悪い…というか、こっちもどういう顔をしたらいいのか、わからないよ。
車に無理やり押し込められて、薫さんの方を見たくても見れなくて…。
そして、家についた瞬間。
現実に引き戻された。
そんな感じだった。
車を降りるときも、大きな門をくぐるときも、部屋に入るのにノックが必要なときにも…。
そして、家に帰っての第一声が下された。
「こんな遅くまで、どこに行っていたかと思えば……その髪と服は一体何のつもりだ?」
電気だけが、イヤにまぶしく感じられた。
何もないくせに、ガランとただっぴろい食堂に、叔父さんの低い声が響き渡る。
叔父さんは、眼鏡をテーブルの上において、新聞をひっくり返したりするときに、垣間見る程度でしか、こちらを向いてくれない。
つまり、怒ってはいるらしい。
もしかしたら、いや、もしかしなくても、婉曲的には『着替えてこい!』と言ったつもりかもしれない。
だけど、叔父さんの期待を裏切るように、『着替えてきます』と食堂を退出しようとは思わなかった。
薫さんの選んでくれた服と髪とメイクのまま、パジャマ姿のお手伝いさんたちがこちらをドアの隙間から見てきているのにもかかわらず、ただ、立っていた。
ちらちらと話し声も聞こえてくる。
「和美さんから、何も聞いていませんか?」
「とにかく宥稀ちゃん、もう心配かけるようなことはしないでね?」
少し肌寒かったのか、薄いガウンのようなものを羽織った叔母さんがドアを開いた。
お飲みなさいと言って、コップに麦茶を入れて手渡してくれる。
麦茶は、あまり冷えてなく、ぬるかった。
そっか、和美さんには、連絡してないんだ。
うまくかき消すように叔母さんに和美様のことを振り払われてしまったからわかった。
やっぱり、和美さんのことが怪しいとは、2人とも、うすうす気付いていたみたいだ。
「でも、こんな髪に、こんな服…」
叔母さんは、サイドを短めにした私の髪形と虹色の蝶がアップリケされたわき腹の開いたシャツをまじまじと見比べながら、ため息に近いものをついていた。
この言葉の後に続いていた言葉は、うまく聞き取れなかったけど、とりあえずあまりいい印象は受けなかった。
叔母さんの髪は長い黒髪で、この髪を結い上げて着付けをしてもらえば、とても美しい日本の女性になる。
叔父さんだって、仕事のとき以外はほとんど和服を着ているから、変に髪の毛をいじくったりせず、年を感じさせないロマンスグレーの大人だ。
でもそんなことは関係なくて。 薫さんが買ってくれた服を、変な服だなどと思っている叔母さんを置いておいて、叔父さんのほうに向かってしぶしぶ口を開いた。
「遅くなったことは反省しますけど」
「けど…なんだ?」
経済面を広げたまま、叔父さんの視線が向けられる。
口元に手を当てながら、これは私の癖だけど、続ける。
「あんなことをされては、薫さん…あー、相手の方に失礼じゃないですか?あんなに無理やり…」
作品名:Hysteric Papillion 第8話 作家名:奥谷紗耶