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みやこたまち
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そののちのこと(鬼)

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第十三章



 ―前文略で失礼するよ。もっとも遺書に時候の挨拶もないものだがね。君のところに、女がいっているだろうか。いっていないようならば、この手紙は間違いだから燃やしてくれたまえ。
 もし君のところに女がいっていたら、女に説明してやってくれ。君には直接関係の無いことだったが、僕は個人的に君の事を知っていたので、ちょっと利用させてもらおうというわけだ。君ほどの頭脳を持っていれば、僕のこの血に潜む魔性を、筋道立てて説明してもらえるのではないかと思う。他に頼める者はいないし、下手に騒ぎ立てられても困るのでね。君ならばそんな愚かな真似はしないと信じている。

 さて、何から告白したものか。いろいろあるような不思議な気分だ。僕は以前君に会っている。君はそれには気づいていないのだろうがね。大学の何年だったか、単位登録にいった学生課の窓口で、僕は君がぼんやりと立っているのをみかけたのだ。そのとき、なぜ、それが君であると分かったのかは、分からない。似た境遇同士に流れる共感とでもいえるのかもしれない。君はそういうものからは無縁のところにいたようだから、そう言うのだよ。僕はすぐに学生課を覗いて、君の書類を覗き見した。住所はそこで知ったのだ。同時に君が大学でどのような立場にあるのかを知った。僕は君を恨んだよ。最初からかなわないじゃないか。全く、僕はその時から密かに君を見返す時を待ちわびていたのだが、結局、女のためにそれどころではなくなってしまった。

 僕は今、卒業論文を書くために篭った宿に起居している。女は覚えているはずだ。もっとも、何県のどこにあるのかは知るまいが。だからこそ、「失踪」さ。
僕にとっては、最後の手立てのつもりだった。まさか、ここまできてさらに追い詰められるとは、思いもよらなかった。
 僕は、旅館の女将に恩がある。ぞっとするような艶のある女だった。芸者上がりの未亡人だそうだ。良い女だったが、どうも僕はその女将まで手にかけたらしい。せめてもの救いは、女が残っているということだ。僕は女を殺したくはなかった。ここの所が複雑なのだ。

 僕は多分、母を殺した。女中の娘も殺した。母には怨みがあった。父は勝手に死んだ。それが心残りだ。女中の娘は気立ては良かったが、ちょっと僻みっぽいところがあった。世話焼きだった。そいつが母の危篤に駆け込んできた。僕はその狼狽ぶりが面白く、そのまま部屋に引っ張り込んだ。そうしたら人形のようになって、僕の膝の間に倒れこんできた。その後のことはよく分からない。気がついたら手のひらに痺れるような快感が残っていて、娘はいなかった。

 君の傍らに女が立っているのなら、こう言ってやってくれ。僕は女に会うまで、あの時の感触を忘れていたのだよ。だが、女を抱くうちに、どうしても抑えられなくなってきた。僕は女に助けられたし、必要でもあったが、そんなことは関係がなく、衝動は高まっていった。女の体の無数の傷や痣をみただろう。あれは、美しいだろう。あの、女はそうすることに、生きながらえる意味を持っていたのだ。

 永遠に、女の前からは姿を消しておくつもりだった。ただ、女は独りでは生きてゆけない体だ。だからあわよくばと、君のところへ行くように仕向けた。思えば、学生の頃から君の名前は女の胸に刻み込まれていたはずだ。僕はよく、君の事を話したからね。あること、ないこと。いまさら弁解はしないが、そういうことさ。君もこれで幾分かすっきりしたことと思う。

 女将を殺すのは、造作も無いことだった。女将は僕がここにいたことすら、気付かなかっただろう。手際が良くなったからね。それから、僕は考えたよ。女を殺さなければ、僕は、他の人間、特に女をだが、を殺し続けるのではないだろうか。女将を殺した時にみた、あの赤い光景は、すばらしかったからね。必死で、殺意を抑えていたその女を手にかける時の快感は、如何ばかりだろうと考えると腰骨が疼くよ。これまでそうしなかったのは、その後に何が残るのかが、不安だったからだ。今も同じだ。だから、ここいらへんで、やめておくほうがいい、そう思った。

 唯一つ気がかりなのは、僕は自殺に失敗して、女を求め、そちらに迷い出るのではないかということだ。女を殺す瞬間に、僕はいつも夢見心地だ。だから、そんな気持ちのまま、そちらに出ないとも限らない。もっとも、ここらへんはもうすぐ雪に埋もれるから、迷い出るにしても大変なことだがね。そうなったら、僕は鬼だ。殺人鬼だよ。そんな僕を見たら、君は僕を殺してくれるだろうか。いや、君は僕の顔を知らない。では、女と一緒にいて、僕を見たら教えてもらうがいい。願わくは、そんな無様なことにはならないよう、きっちりとケリをつけるつもりでいるのだが。

 この女と、多田一郎という男が組んで、自分を愚弄しているのだ。信夫はそう思った。この手紙が女の創作なのではないかという気もした。どちらにしても、たちの悪い女だ。
 信夫は女の方へ向き直って、この手紙の真意をただそうとした。
 これまでの女との交わりのなかで、自分はずっと馬鹿にされていたのだということが、信夫を逆上させた。
 風がますます強くなり、格子窓が窓枠に打ち付けられていた。風見の音は、書斎の中に、うるさいほど反響した。信夫が振り向いたとき、女は思いのほか近くにいた。そして、女の右手には、何か光るものが握られているのが見えた。
 何も分からないうちに、信夫は倒れていた。女が馬乗りになっていた。信夫の胸には、ナイフが突き立っていた。象牙色の柄が赤く染まっていた。女の顔にも、腕にも、血が飛び散っていた。信夫は、頭上で風見がうるさく鳴るのを聞いていた。ガラスを叩く風の音を聞いていた。胸から、何か熱いものが這い出しているような感触がした。信夫は、目を閉じて、体内から出ていくものを静かに見送った。
 女はナイフをさらに突き立てながら、髪を乱して叫んでいた。
 女の前には一郎しかいなかった。一郎の命の飛沫を身体に受け、女は恍惚としていた。ナイフがすっかり肉に埋まり、女はそのまま信夫の胸につっぷした。そして、ぬめりを帯びたあったかい血の中で、静かに笑った。
 窓を叩く音が大きくなった。書斎から庭へ通ずるテラス窓が激しく震えていた。

 女は男を掻き抱いたまま、じっと動かなかった。何の音も聞こえなかった。不意に、女は自分が宙に浮いているような錯覚を覚えた。自分で歩いているのか、誰かに抱かれているのか、女にはわからなかった。首筋に冷たい風が当たった。体が急激に冷えていくのを感じた。

 暗闇の中で女は、真っ赤な光景の中を狂ったように走る一人の男の背中を見た。自分の掌を染めた血を見た。自分の足の下には男の身体があった。女は虚空を見上げた。自分はとうとう一人になったのだと思った。けれども、この狭い空間の中でなら、バラバラにならずに済むと思った。そう考えると足元の身体が、やにわに温かみを帯びてくるように感じられた。女は周囲の冷たい壁に肌を擦り付けるように