Hysteric Papillion 第7話
お腹いっぱいで、ちょっぴりお酒も入って…いや、ちょっぴりというのは、表現が間違ってる。
結局、ビールは一回目の注文の後、4本の追加注文をしているのだから。
時計は、とっくの昔に10時を過ぎていた。
通りには湿った空気が下りてきていて、じっとりと肌に汗の珠ができていく。
これだけ露出した服でも、なお暑いんだからたまんないよ…。
んー、少し、お酒のせいもあるのかな?
でも、不思議なことに、結構飲んだのに、2人ともきちんと正気を保っていた。
「君、強いね?」
駅へと向かう、最初の交差点。
その横断歩道の信号に引っかかったとき、顔色一つ変えていない私の顔を、同じように顔色一つ変わっていない薫さんが覗き込んできて微笑んでくる。
「え?」
「酔わせて襲っちゃおうと思ってたのに、残念」
全然はずかしがるという気配もなしに、さらっと言ってのけられた。
『酔わせて襲っちゃおうと思ってたのに、残念』?
なるほどねえ…あの言葉の裏側にあったのは、こういうことですかぁ…。
「薫さん~!」
「ごめんごめんでも、見事に失敗かぁ」
信号が青に変わって、押し流されるように一つ目の交差点を渡る。
まだ人はたくさんいるけど、時間的にもここからはだんだん少なくなっていくと思う。
はきなれないパンプスが、コツコツとざわめきの中にもアスファルトに小さく硬い音を刻んでる。
「今は」
「え?」
店を出てからは、腕を組んではいなかった。
今は、薫さんと並んで、私が1、2歩遅れてついていく形になってる。
「今は、一人なの?」
申し訳なさそうな顔になる。
それが妙に痛々しく見えて、一瞬言葉をなくしてしまった。
『気にしないでって言ってるでしょ?』と、きつく言い出せなかった。
「両親が亡くなってからは、いろんなところたらいまわしにされて、今は、叔父さんの家に。そこも、肩身狭いというか、いろいろギクシャクしてて大変だけど、とりあえず、お金あるし…」
「じゃあ、君が聖マリアンナで、司原っていったら…」
「叔父は、司原エンタープライズのトップですよ」
そう。
実に、私はとんでもないところのお嬢様にされているのだ。
だから、焼肉屋で食事とか、ブティックで買い物なんて夢のまた夢、下手をしたら一生涯かなわないくらいのものだったのだ。
叔父の会社である司原エンタープライズは、工業から商業、テーマパークからベビー服まで、もうとにかく出来ること、可能なことになら何にでも手を伸ばしてる。
でも、それでいてハメをはずしすぎることもなく、この不況の中でも社員の安心を買っている、私が言うのもなんだけど、すごい会社なんだ。
「ふうん、すごいんだ」
「…そうかな」
夏真っ盛りなのに、一筋だけ、涼しい風が駆け抜けて、ざわっと木がおしゃべりをする。
人通りが少なくなってきた森林公園の前で、私はぴたっと足を止めた。
薫さんも、数歩進んで振り返る。
私は、すごい会社だとは言ったけど、叔父のことをすごい人だとは、いや、叔父と叔母のことをすごい人だとは決して口にしない。
いや、できない。
「それは…あの人たちの外しか見ない人だから言えることだと思います」
そう言うと、もう、それ以上は、考えないことにした。
自分が不満に思っていることは、たくさんあったから。
本当、言い切れないほどに。
「それにたぶん、もうそろそろ薫さんとはお別れしないといけないはずです」
「…どうして?」
「私のこと探している連中が、そこら辺をウロウロしてましたから。薫さんの服の選別とメイクのおかげで、今さっきすれ違ったときは気づきもしなかったみたいだけど」
いつもなら、学校の先輩である和美さんが6時半には電話をしてくれるからいいものの、今日は連絡すらしていない。
しかも、こういうことが1年以上続けば、何かあると思われているに違いない。
和美さんはあの人たちの感覚でいう『良い家』の人。
普段は、あの人が連絡を入れてくれるからこそ、表面的には私へのお咎めがないだけなんだ。
向こうから和美さんに『そちらに、こちらの宥稀は?』なんていうことは、もしあったとしたら、和美さんがごまかしてくれるだろうとは思うけど…。
不安がよぎる。
そして。
時計の短針と長針の間がだんだんと狭まっていくにつれて、ちょっと、別れが惜しい気がしていた。
それは多分、初めてこういうことを体験させてくれた人だから、こういうことに付き合ってくれた人だから。
そう。
きっと、そういう『感謝』の気持ちってあるんだろうな。
勝手に、納得してしまうことにした。
「じゃあ、どこ行こうか?」
薫さんのあたたかい手が、私の左手を包み込む。
ようやく手を握ってくれた。
きゅうっと握り返す。
人肌って落ち着くものだというけど、それがはじめて、今わかった。
家に帰れば何が待っているか―――それくらい覚悟の上だったのに、もうそんな不安も消し飛んでしまった。
「カラオケ?クラブ?それとも、もう一軒飲みに行こうか?」
「からおけ…くら…ぶ?」
また、わからない単語に百面相。
カラオケは何となくわかる。
確か、歌手とかの歌を自分で歌うこと。
でも、クラブって…今からどうして部活をしないといけないんだろ?
何か間違っている気がするんだけどなぁ…。
「んー…」
百面相タイム。
そんな時、薫さんは、私の髪のサイドのふわふわに触りながら、
「もし君のご要望なら、ホテルだっていいよ?あそこのスウィートで朝まで楽しもっか?」
と、向こうにあるホテルを指差す。
なるほど、ホテルで休憩かぁ………あ!??
それって…それって…。
何となくわかるけど言葉にできずに私があたふたしている隙に、柔らかい唇でそっと耳たぶに口づけられた。
ぎゅっ、と抱きしめられる。
今頃、私は、ぼっと耳の隅々まで、真っ赤になっているはずだろうけど…。
も、もちろん自分では見ることが出来ないんだけど…。
「バ…バカなこと言わないでください!!」
「本気よ。オールナイトで可愛がっちゃうから」
「薫さん!!」
「ガンバローねー♪」
「薫さんってば!」
「慣れないのは最初だけだけだから。すぐに気持ちよくなるって」
「え?あ、いや、そ、そういう問題じゃなくて…」
「まーまー、お姉さんに任せなさいっ♪」
結局、ビールは一回目の注文の後、4本の追加注文をしているのだから。
時計は、とっくの昔に10時を過ぎていた。
通りには湿った空気が下りてきていて、じっとりと肌に汗の珠ができていく。
これだけ露出した服でも、なお暑いんだからたまんないよ…。
んー、少し、お酒のせいもあるのかな?
でも、不思議なことに、結構飲んだのに、2人ともきちんと正気を保っていた。
「君、強いね?」
駅へと向かう、最初の交差点。
その横断歩道の信号に引っかかったとき、顔色一つ変えていない私の顔を、同じように顔色一つ変わっていない薫さんが覗き込んできて微笑んでくる。
「え?」
「酔わせて襲っちゃおうと思ってたのに、残念」
全然はずかしがるという気配もなしに、さらっと言ってのけられた。
『酔わせて襲っちゃおうと思ってたのに、残念』?
なるほどねえ…あの言葉の裏側にあったのは、こういうことですかぁ…。
「薫さん~!」
「ごめんごめんでも、見事に失敗かぁ」
信号が青に変わって、押し流されるように一つ目の交差点を渡る。
まだ人はたくさんいるけど、時間的にもここからはだんだん少なくなっていくと思う。
はきなれないパンプスが、コツコツとざわめきの中にもアスファルトに小さく硬い音を刻んでる。
「今は」
「え?」
店を出てからは、腕を組んではいなかった。
今は、薫さんと並んで、私が1、2歩遅れてついていく形になってる。
「今は、一人なの?」
申し訳なさそうな顔になる。
それが妙に痛々しく見えて、一瞬言葉をなくしてしまった。
『気にしないでって言ってるでしょ?』と、きつく言い出せなかった。
「両親が亡くなってからは、いろんなところたらいまわしにされて、今は、叔父さんの家に。そこも、肩身狭いというか、いろいろギクシャクしてて大変だけど、とりあえず、お金あるし…」
「じゃあ、君が聖マリアンナで、司原っていったら…」
「叔父は、司原エンタープライズのトップですよ」
そう。
実に、私はとんでもないところのお嬢様にされているのだ。
だから、焼肉屋で食事とか、ブティックで買い物なんて夢のまた夢、下手をしたら一生涯かなわないくらいのものだったのだ。
叔父の会社である司原エンタープライズは、工業から商業、テーマパークからベビー服まで、もうとにかく出来ること、可能なことになら何にでも手を伸ばしてる。
でも、それでいてハメをはずしすぎることもなく、この不況の中でも社員の安心を買っている、私が言うのもなんだけど、すごい会社なんだ。
「ふうん、すごいんだ」
「…そうかな」
夏真っ盛りなのに、一筋だけ、涼しい風が駆け抜けて、ざわっと木がおしゃべりをする。
人通りが少なくなってきた森林公園の前で、私はぴたっと足を止めた。
薫さんも、数歩進んで振り返る。
私は、すごい会社だとは言ったけど、叔父のことをすごい人だとは、いや、叔父と叔母のことをすごい人だとは決して口にしない。
いや、できない。
「それは…あの人たちの外しか見ない人だから言えることだと思います」
そう言うと、もう、それ以上は、考えないことにした。
自分が不満に思っていることは、たくさんあったから。
本当、言い切れないほどに。
「それにたぶん、もうそろそろ薫さんとはお別れしないといけないはずです」
「…どうして?」
「私のこと探している連中が、そこら辺をウロウロしてましたから。薫さんの服の選別とメイクのおかげで、今さっきすれ違ったときは気づきもしなかったみたいだけど」
いつもなら、学校の先輩である和美さんが6時半には電話をしてくれるからいいものの、今日は連絡すらしていない。
しかも、こういうことが1年以上続けば、何かあると思われているに違いない。
和美さんはあの人たちの感覚でいう『良い家』の人。
普段は、あの人が連絡を入れてくれるからこそ、表面的には私へのお咎めがないだけなんだ。
向こうから和美さんに『そちらに、こちらの宥稀は?』なんていうことは、もしあったとしたら、和美さんがごまかしてくれるだろうとは思うけど…。
不安がよぎる。
そして。
時計の短針と長針の間がだんだんと狭まっていくにつれて、ちょっと、別れが惜しい気がしていた。
それは多分、初めてこういうことを体験させてくれた人だから、こういうことに付き合ってくれた人だから。
そう。
きっと、そういう『感謝』の気持ちってあるんだろうな。
勝手に、納得してしまうことにした。
「じゃあ、どこ行こうか?」
薫さんのあたたかい手が、私の左手を包み込む。
ようやく手を握ってくれた。
きゅうっと握り返す。
人肌って落ち着くものだというけど、それがはじめて、今わかった。
家に帰れば何が待っているか―――それくらい覚悟の上だったのに、もうそんな不安も消し飛んでしまった。
「カラオケ?クラブ?それとも、もう一軒飲みに行こうか?」
「からおけ…くら…ぶ?」
また、わからない単語に百面相。
カラオケは何となくわかる。
確か、歌手とかの歌を自分で歌うこと。
でも、クラブって…今からどうして部活をしないといけないんだろ?
何か間違っている気がするんだけどなぁ…。
「んー…」
百面相タイム。
そんな時、薫さんは、私の髪のサイドのふわふわに触りながら、
「もし君のご要望なら、ホテルだっていいよ?あそこのスウィートで朝まで楽しもっか?」
と、向こうにあるホテルを指差す。
なるほど、ホテルで休憩かぁ………あ!??
それって…それって…。
何となくわかるけど言葉にできずに私があたふたしている隙に、柔らかい唇でそっと耳たぶに口づけられた。
ぎゅっ、と抱きしめられる。
今頃、私は、ぼっと耳の隅々まで、真っ赤になっているはずだろうけど…。
も、もちろん自分では見ることが出来ないんだけど…。
「バ…バカなこと言わないでください!!」
「本気よ。オールナイトで可愛がっちゃうから」
「薫さん!!」
「ガンバローねー♪」
「薫さんってば!」
「慣れないのは最初だけだけだから。すぐに気持ちよくなるって」
「え?あ、いや、そ、そういう問題じゃなくて…」
「まーまー、お姉さんに任せなさいっ♪」
作品名:Hysteric Papillion 第7話 作家名:奥谷紗耶