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万丈(青猫屋玉)
万丈(青猫屋玉)
novelistID. 5777
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108家族1

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 中学の卒業式には雨が降った。底冷えのする体育館で約百人の卒業生が名前の呼ばれるのを待っていた。
 名前が呼ばれた者から返事をして壇上に上がり、校長から卒業証書を受け取る。
 しわぶきの声と衣擦れと体育館の屋根を叩く音が名前を呼ぶアナウンスに混じっていた。
 眠くなるような、厳粛であるような、奇妙な時間だった。
 僕は名前を呼ばれて壇上に上がり、証書を貰って席に着いた。かすかな緊張がほどける。
 雨音と同級生の名前を聞いていた。手の中で証書が乾いた手触りであった。指先が冷たい。
 もう、あと二十人ばかりで授与も終わるという頃、僕ははっと顔を上げた。
 教頭先生がひとつの名前を読み上げた。
「鹿山キム」
 げえ、と担任の先生が喉を掴まれたような声をだした。
 カヤマキム、ともう一度言った。
 僕は唖然とした。
 返事は聞こえない。僕は我に返って前の席に座る学生服の肩を叩いた。
「おい、君だろ」
 鹿山は顔の半分をこちらに向けた。
「あれは僕の名前じゃない」
 重たそうなまつげが紅茶色の目をけぶらせていた。人形みたいな輪郭の、口角がちょっと上がった。心臓に悪い顔をした同級生はそして前を向いた。
 彼の名前は鹿山来夢という。ライムというのだ。
 体育館が雨音のようなざわめきに満ちた。
 もう一度教頭は名前を言い、返事が無いのをみると、出席番号の次の名前を読み上げた。
 さざ波のような生徒や父兄の話し声が聞こえる。可哀相に、鹿山の次に座る木村は震える声で返事をして壇上に上がっていった。
 ライムは席に座っている。何も持っていない手を、大人しく太ももの上に置いていた。
 卒業式に卒業証書が一枚余った。
 記された名前は鹿山来夢という。
 
 式が終わってHRに帰っても、ライムは居なかった。担任の先生が、ライムのいない事に驚いて職員室へとって返した。
 先生も居心地が悪かろう。自分の生徒が名前の誤読で飛ばされたのだ。
 ライムは三年前の入学式で全校生徒や父兄の度肝を抜いた美少年であった。
 どこがどう、とは、僕には伝えがたい。ただ、人知を越えた容姿はみんなの目を釘付けにした。ライムと同じ小学校からあがってきた子たちが、またか、と言った。
 ライムの容姿は学区内でも名物だったそうだ。学区内に児童へいたずらをする変質者が現れた時、被害者は十中八九ライムだったそうだ。ライムの在籍した六年間、小学校では毎学期、児童らに変質者に対する注意を促す保護者向けの緊急集会を開いていた。
 中学に上がっても変わらなかった。緊急集会は中学でも8回あった。
 ライムは学区に名をとどろかせていた。性格には名というか、風評というか。
 教頭が、ライムの名前を読めなかった事は、彼がどれだけ生徒を知らなかったか露呈した事でもある。第一に、卒業証書を渡さない卒業式なんてあるのだろうか。
 僕は、式進行にも疑問を抱いている。
 そして、僕は後悔をしている。あのとき、「先生、キムじゃありません。ライムです」そう、声を上げられたらどれだけ良かっただろう。
 僕は学級委員である。
 僕は、後悔をしている。
 
 
 僕は、卒業式にきてくれた母親に放課後はライムの家に行くと言った。
 PTA役員であった母親はちょっと眉を寄せて「鹿山くんとそんなに仲が良かったの?」と聞いた。
 そうでもない。僕は学級委員とクラスメイトという以上のつながりをライムと持たなかった。でもそれで十分だろうと思った。
「ライムは式が終わっても教室に帰ってこなかったんだ」
 気になるんだ、と言った。
 花柄の傘をくるくると回しながら母親はため息をついた。ライムの為に、変質者の被害を報告し、警告する集会を開く為に、母親は何度学級連絡網を回したか知れない。
 母親はライムをよく思っていない。
 もしかしたらライムが変質者たちを誘惑しているんじゃないかと思った事もあっただろう。ライムを見て、そのぎょっとするような美少年に戸惑っただろう。
「僕は、自己満足をしにいくんだ。大丈夫かって聞きたいんだ」
「夕ご飯までには戻ってきなさいね」
「はい」
 母親はライムの家まで車を出そうかと言ってくれた。僕は断った。
 ライムの両親は卒業式に来ていない。僕が母親の運転する車でライムの家に行くのは無神経のような気がした。
 ライムと僕は四月から同じ高校に通う事になる。学年で二人しか受験しなくて、二人しか合格しなかった学校だ。僕は勝手にライムへ親近感を抱いていたような気がする。
 
 
 住宅街になにかの間違いのように魔法のように、ヘンゼルとグレーテルに出てくる魔女の家が見えたら、それがライムの家だ。
 霧雨の中、チョコレートとクッキーを模した屋根がくすんで見える。
 ライムの家はお菓子屋さんをやっている。僕はチョコレートの扉を開いた。ドアベルが軽快に鳴る。
 ショーウィンドウの向こうに、くまさんのような身体に山賊のような顔をのせたおじさんがいる。いらっしゃいと言って笑ってくれた。就学未満の子どもが泣き出しそうな地顔でいて、笑えば就学した子どもでも泣き出しそうな顔になる。
 笑った顔のほうが怖いおじさんはライムのお父さんだ。この顔も一種、一度見たら忘れられない顔だ。
 ライムに会いに来たと言えば、おじさんは愛想良くイートインのできる店の左側へ僕を案内してくれた。店の奥に向かってわれ鐘のような声を放る。ライムを呼んでくれたらしい。
 アルバイトの目がねの大学生が僕にオーダーを聞いた。手持ちが無かったので、恐縮する。いいのよ、と大学生の女の子は言った。息子の友達からお金はとれないと店長に言われたそうだ。
「どうぞ、おかまいなく」
「じゃあ、ココアを飲んでいって」
 頂いたココアは雨で冷えた指先を温かくしてくれた。
 テーブルはクッキーみたいだ。椅子はマシュマロみたいだ。窓から遠い奥の席だった。
 店とプライベートスペースを区切る扉からライムが出てきたのが見えた。
 相変わらず、何かを超越してしまったみたいな顔と姿だった。人形師がこんな人形を作れたら、世紀の大傑作だと喝采だろう。絶賛されるだろう。
 ライムは僕の前の席に座った。
「ごめんね、うちは狭いのでこっちで待たせちゃった」
 そう言って笑った。手には自分で持ってきたらしい湯飲みがあった。
 どうしたの、とライムは首を傾ける。髪の毛に浮いた光のわっかが髪が揺れるとつられて揺れる。「式の後」
 僕はどこから切り出したらいいものかと思った。あたたかいココアの入ったカップを手で包みながら言葉を探した。
「ああ」
「どうしたの」
「校長室に行って訳を話して証書を貰ってきたよ」
 笑われちゃった、とライムが言った。
 おもしろい名前だって教頭先生が言った。校長先生も教頭も、僕の顔を見て、僕の名前を思い出していた。彼らは知っていた。しょっちゅう警察から名前を言われていたから覚えていたと言う。ただ、字面で見た事が少なかったので、名前が読めなかったそうだ。
「そう。無事に証書が貰えてよかった」
「うん。わざわざそれを確認しに来たの?」
 ライムが水を向けてくれて助かった。
 僕はまず頭を下げた。
「ごめんね」
「なにが」
作品名:108家族1 作家名:万丈(青猫屋玉)