Hysteric Papillion 第5話
と、薫さんのあっさりしたあっけらかんな一言にこの覚悟と勇気はかき消されてしまった。
と同時に、正直ほっとした自分が、不思議。
こんな百面相を繰り返していると、肩に重みを感じた。
振り返ってみると、疲れて死んでいたはずの美容師さんが、クスクス笑っていた。
「そりゃあ変なわけないわよ。すべて薫さんの希望通り、髪もほとんど形は変えずに一味だけ加えて、メイクもほとんどなし。あなたの肌きれいだから、成長期の今、あまり化粧するのはよくないのよ」
「そう。だ・か・ら…」
続けて、耳たぶを噛んでしまうんじゃないかというくらいの位置で薫さんは一言一言区切ってつぶやくと、少し乱れた私の前髪をきれいに戻しながら、
「今日は、ほんの少しだけ大人に見えるはず」
と言って、私が油断している隙にチュッと唇を重ねてきやがった…!!
「むぐっ…?」
濡れた音に、粘膜の触れる音。
突然のことに、奇声なのだか、どうだかよくわからないつぶれた声を上げると、薫さんは、おろおろと唇を押さえている私に向かって、『まあ、合格かな?』と茶目っ気いっぱいに告げてきた。
「あ、そうだ、間に合ったんですからキスしてくださいよ。その子だけじゃなくて」
「あら、そうだったわね。ごめんなさい」
美容師さんが不機嫌そうにしているのを見た薫さんは、私をぽんと突き放すと、彼女を抱き寄せて、チュッと唇を触れ合わせた。
ただそれだけだった。
別に舌を絡ませるということもなく、体を骨がきしむほどきつく抱かれるということもなく、ただ挨拶のように唇を触れ合わせていただけだったのに。
だけど。
妙に、孤独感が襲ってきた。
「もしかして妬いてくれてる?」
店を出て少し先を足早に移動していた私は、薫さんにそう突っ込まれた。
『妬く』というのがどういうものなのか、この年にして恋を知らない私には、わからないはずだった。
でも、少しだけ理解したような気も、しないことはない。
向こうはそんなことお構いなしに、また腕を組んできた。
「ほら見て、みんなこっち見て振り返ってるでしょ?」
チラッと隣を過ぎる人を見ると、みんな私と薫さんに視点を集中させていた。
薫さんは、それを自慢するかのように胸を張ってスッスッと歩く。
私も、はきなれないパンプスで転ばないようにただ頑張ってついていくのみだ。
「さて…それじゃあ、君のご要望の店に行きましょうか?」
そのころ、もう時計は8時半を指していた。
私の時計は狂い果てて、壊れてしまったらしく、音は出てこないみたいだった。
作品名:Hysteric Papillion 第5話 作家名:奥谷紗耶