奇跡の帽子
がんっ!
何かが頭に当たった。続いて焼けるような熱さが頭部に広がって行く。目の前が暗くなる前に見たものは……先ほど背中を撃たれた男が、倒れた姿勢で俺に銃口を向けている姿だった。そして、「きっさまああ!!」という小田切の声が、このレイテ島という地獄の島で聞いた最後の言葉だった。
【このレイテ島の戦闘は歴史の中でも悲惨を極める戦いだった。この島で命を落とした日本兵の数はおよそ8万人、これは兵力の95%以上が死んだと言うことになる。地獄の餓鬼のように森をさまよう死にきれない日本兵の中にも、このように立派な若者たちがいた事を忘れてはならない】
「あ、じいちゃん! 今日も迎えに来てくれたの?」
公園の前に差し掛かった時、一樹は人影を見つけた。
「ああ。遠くからでもその帽子ですぐ誰か分かったぞ」
しわしわの顔をもっとくしゃくしゃにしながら、一樹の祖父、牧村大助が笑う。
「ねえ、じいちゃん。ひとつ聞きたい事があるんだ。この帽子の裏に書いてある人の名前ってじいちゃんの名前じゃないよね? 誰の名前なの?」
「福尾か。それはな、じいちゃんの大切な仲間だった男だよ。おまえにもいるだろ? 大切な友達が」
「うん。じいちゃんの友達なら、きっといい人だったんだろうね。じゃあさ、ついでに聞いちゃうけど『奇跡の穴』ってなあに?」
「うーん、ちょっと難しい話だが、聞くかい?」
「うん!」
日はすっかり暮れ、街の明かりが所々に灯り始めていた。今夜の夕飯のだろうか、カレーのいい匂いが近くの家の窓から漂っている。
「じいちゃんはな、昔戦争で頭を撃たれたんだ」
「え! 頭を撃たれたら死んじゃうじゃん」
理解できないような表情が街頭の光に浮かぶ。
「普通はそうだ。でも、撃たれた時な、じいちゃんは鉄のヘルメットを被っていた。そのヘルメットから入った弾が、ぐるっと一周頭の皮を削りながら回ったんだ。そしてまた、その穴から弾が出て行った」
「うっそだあ!」
信じられないような顔で大助の顔を見つめている。だが、この現象は非常にまれではあるが、戦場で起こる不思議な現象のひとつでもあった。
「でな、その時ヘルメットの中で被っていた帽子に開いた穴が、『奇跡の穴』という訳なんだ。たぶん福尾がわしを生かしてくれたんだろう。そして、もう一人の友達も帰国してすぐ病気で死んじまった。自分はろくに食べずに、わしを終戦まで守ってくれた大切な友達だった」
当時を思い出しているのか、大助の両眼には涙がじわりと湧きだしていた。
「んー、じいちゃんの話、難くてよく分からないよ」
「そうか、まあいい。おまえがその帽子を何となく気に入ってるのは、あいつらが今もおまえを守っているのかもしれんな。さあ、家に着いたぞ」
「今日の夕飯は何かなあ」
「何だろうな。でも『一樹の大好物を作る』ってばあちゃんが張り切ってたぞ。そうだ、ひとつ言い忘れてた」
「なあに?」
「福尾には美絵って名前の妹がいたんだ。終戦後、わしは彼の死にざまを報告に行った。『立派な最後だった』と」
「うん」
「でな、わしはその時彼女に一目惚れしてしまった。つまり……おまえのばあちゃんは」
「みえ? 福尾……美絵かあ。あ、ばあちゃんの名前じゃん! そうか! きっと、その人はじいちゃんに妹を守って欲しかったんだね」
「かもしれん。だから、その帽子を大事にしてくれよ」
孫の頭を愛おしそうに撫でながら、大助はレイテ島まで続いているであろう夜空を目を細め見上げた。