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熾(おき)
熾(おき)
novelistID. 55931
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月のあなた 下(2/4)

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「まあいいっちゃいいのかねえ…見つけて、連れ帰れ。見つけて、連れ帰ったわけだから、ご友人が一緒でも問題は無いわけだ、うん…」
「そろそろ建物に近いから、話すのはやめ――」

 日向が言った時、その建物の中から、ガラスが何枚も割れる音がした。

「みかんちゃん」

 日向は走り出していた。

「おいやっぱりバカ娘、行っちゃ駄目ですって!」
「あんた、こうなったら着いてくしかないよ!」

  *
 
 本棟中庭は、市街戦に巻き込まれた公園の様な惨状を呈していた。
 外周を彩るガーデニングの木々や生垣は、折れたり、穴が開いたりしている。床は所々割れて砕け、ベンチのいくつかは曲がったり割けたりしている。

「……」

 日向は小走りになって生垣とベンチの部分を抜ける。そして上へ向けて大声で蜜柑を呼ぼうとした時――だが、あろうことかその中庭の奥に、友人の姿はあった。制服の胸元がはだけ、気を失ったようにベンチに横たわっている。

「みかんちゃん! なんで?」

 日向が駆けよろうとしたとき、また、ガラスが大きく割れる音がした。
 そして上を見上げると、ガラスの破片をまき散らしながら、ブレザーを着た男子生徒が降って来た。

「――!」

 男子は丁度日向の数歩前に落ちて来、したたかに背中から床に叩き付けられる。

「ちょ、ちょっとあなた…え?」

 その長い黒髪に見覚えを感じた時、上から声が降って来た。

「…古い純粋な精霊だな。こんな神が市井に紛れているとは、恐ろしい国だ」

 見上げると、コートを着た狐のような頭の男が話していた。

「く…」

 男子生徒はその黒い腕を支えに上体を起こすと、再び立ち上がろうとした。

「祇居!」

 びくりと、その身体が停まる。

「水凪、祇居だよね? なにやってるの、こんなところで…」

 怯えたような、その声。

(そんな。)

 祇居は、狼狽えた。
 狼男はその一瞬の隙を見逃さなかった。
 腕を揮い光の矢を二本並べると、立て続けに日向に向けて放つ。
 とっさに体を通常に戻していた祇居は、反応が遅れていた。

「月待さん!」

 日向は状況を把握できないまま、飛来する矢を見つめる。
 だが二羽の黒い鳥が、それぞれ一本ずつの矢をその背に受け止めていた。

「ななえ、やえ…」

 血をまき散らしながら、やけにゆっくりと地に落ちる二対の翼を、日向は茫然として見ていた。

「月待さん!」

 脚のすくんで動けなくなった所に、祇居が駆け寄ってき、自分を突き飛ばす。

「あっ」

 予想外に強い力に、日向は倒れ、尻もちをついた。

「…逃げるんだ!」

 顔だけを起こした祇居の背中には、二羽に刺さったものと同じ矢が刺さっている。虹色に反射するそれは、ガラスで出来ている様だった。
 いつの間にか狼は中庭の中心に降り立ち、弓を携えていた。

「なんだよ、お前なんなんだよ!」

 日向は片手で竹刀を構えながら、吠えた。

「本当に不思議な国だなここは」

 狼は、祇居に反撃の余力がなくなったのを見てとると、ゆっくりと歩き始めた。

「恵みが豊かであるにも関わらず、授け手である創造主を信仰していない。といって、一神教を邪教と迫害するわけでもない」
「ねえ…水凪祇居、立てる…」

 日向は、空いている片手で、血を流している同級生を抱き起そうとした。
 脇に腕を入れながら、左右に伏している二羽の従者にも声を掛ける。

「ななえ、やえ、起きてよ」

 二羽は、動かない。
 日向の頭は恐慌を来しながらも、必死によりどころをさがそうとした。

(ええと、なんだっけ、あの呪文…ほら、古文みたいなやつ…)

「君を思う…ちがう、哀れだと思う…」

 青ざめて呟いている日向に、狼は一歩ずつ近づいてくる。

「あらゆる宗教の符丁があって、その祭りを共に愉しむようだが、教えは二の次だ」
「きみを、そうだ――君をあはれと、おもひいでける!」

 日向は言い切ったあと、左手に嵌っている腕輪を見たが、嵌った時のことが嘘の様に、それは静まり返っていた。

(うそ、…かあさん…、うそ…!)

 狼は日向の目の前に立つと、その頬に流れる涙を見下ろしながら呟いた。

「…他ではもう滅びたような古い神が居て、妖魔にまで目を掛けている」

 日向は、絶望に痺れかけた頭でその単語を聴いた。

「妖魔」

「そうとも。我々はこの星を整えるべく生まれた者――この国で言う精霊だ。もともと罪などは無い。だがお前は、咎人だ。だからお前は神の様に、地脈から力を得ることが出来ない」

(何言ってんだ、こいつ。)

 日向は長広舌を聴くうちに、何とか頭の片隅で思考を取り戻す。祇居を抱き寄せて持ち上げる。大丈夫、このくらいの体重なら。

「だからお前が満足に何かしようと思ったら、それ、人の生血を啜るしかないのだ」
「――!」

 日向は一瞬怒りにまかせ飛びかかりかけた。だが、思い切り竹刀を投げつけると、祇居を背負って一気に駆けだした。

「!」

 狼は竹刀を手ではじいた後、連続して矢を放ったが、既に距離を取っていた日向はジグザグに跳んで避けた。そのまま校舎の入口から走り去って、見えなくなった。

「鹿の様な逃げ足だ」

 狼は呟くと、離れた場所で気を失ったままの蜜柑を振り返った。
 そして歩いて行く途中で、突然膝を着いて、床にうずくまった。

「…なんという神だ」

 あの妖魔が来て何故か一瞬霊装を解いた。
 あれが無ければ、勝てなかったろう。


(月のあなた 下 3/4 に続く)