Hysteric Papillion 第1話
……遅い…なぁ。
私は、レンガの壁にもたれたまま、小さくため息をついた。
ちらりと入口の方を見てみるけど、それらしい姿は見当たらない。
もう約束の時間は、とうの昔に過ぎていた。
これからの時間―――ちょうど8時を過ぎた頃くらいから、異常なくらい電車は込み始める。
だからこそ、余裕を持っていつも電車の時間を決めているのに…。
「…拮平ちゃんのバカ」
小さく、そんなことを呟いてみる。
結局…私は、10分過ぎまで待ってみたけど、拮平ちゃんの姿は見えなかった。
今からの時間、きちんと降りられるかな。
胸元から定期入れを取り出しながら、込み入って、おしくらまんじゅう状態の改札を無理やり抜ける間、ちょっと不安な気持ちになった。
しかも、一人だけだと、まわりからの視線が少しつらい。
いつもなら、ホームに行くまでの階段でも、ホームで待っている間でも、まわりの人がいくらこっちをじろじろ見てきたって、拮平ちゃんと喋ったりしていたら気になったりしないんだけど…。
…まあ、いない人間を望んでもしかたないっ。
この際、きっぱりあきらめましょう!
ということで、残念な気持ちを紛らわすように、私は一人心の中で気合の掛け声を掛けた。
この、いかにもお嬢様という雰囲気のセーラー服。
そのスカーフのど真ん中に、はっきりと金で校章がマークされているから、どこの生徒か一発でわかってしまう。
校則上、ミニスカートはかなり厳重に禁止されているから、ひざ下10センチは見事にクリアされている…はずなんだけど、私は余裕で校則違反をしたりしている。
こんな制服は、このあたりの高校でも中学でも、もしかしたら、この関東圏全体を探しても、ほとんど一般人が目にすることはないかもしれない。
いつか、制服マニアには、生唾ゴックンものらしいと聞いたことがある。
それくらい天然記念物的な制服を着ている私、司原宥稀は、茶色の皮製カバンを抱いたまま、ホームに並んだ。
前には、少し小柄な…といっても、私の背が結構高いので、見方が違うかもしれないけど、中年のサラリーマンのおじさんが新聞を読みながら、しきりに腕時計を覗き込んでいる。
後ろには、同じ年くらいの詰襟男子高校生が2、3人固まって何か話している。
どうやら、話題の的は私らしく、後ろを振り向けない。
「この制服のマークって、聖マリアンナだろ?」
「うっそぉ、聖マリアンナって、あの超ど級のお嬢様&お坊ちゃま校だろぉ?」
「そんなとこに、こんな駅から乗るようなやつが通ってるわけねえじゃん」
この3人の会話は、わりかし間違ってはいないと思う。
確かに、聖マリアンナ学院に通う生徒は、こんな言い方は悪いかもしれないけど、ごく普通の家出身のはずはない。
幼稚園からのエスカレーター式で、初等部、中等部、高等部、そして大学へとほとんど外部からの転入、編入生を受け入れることなく、温室育ちの少年少女を生み出していく、ある意味希少価値のある学園。
温室育ちの男女なので、先生たちも、そこまで、普通の高校生に払うほどの気遣いがなくて、楽なのかもしれない…なんて思ってるんでしょう。
でも、実際のところは、180度違っていたりするらしいけど。
お坊ちゃま、お嬢様って意外と怖い存在だっていうことは、私自身が一番わかってる。
なぜだかは秘密なんだけど…ね。
そういや、私の場合は、初等部からの編入生だったから、はじめは『乙女のたしなみ』っていうのには、すごく苦労したっけ…。
『常に気品を持って行動し、優雅に動く』
何なんだか。
今でも、自分自身、これが守られているなんて思わないし、守る気だってさらさらない。
まず、こんなにくだけた言葉で喋ることすら、あの学校の中ではタブーになる。
だからこそ、拮平ちゃんと話したいのに…。
少しでも息が詰まる空間から抜け出したい一心で、叔父さんたちに頼んで、高校からは、送り迎えをなしにしてもらったのに…。
そんなことに思いをめぐらせている間に、ホームに電車がやってきた。
予想通り、どの車両も人、人、人、人、人ばかり。 すし詰め状態って、こういう状態を言うのかな…。
なんて、考えてみる。
駅員さんたちに、後ろからギュウギュウと押し入れられる様に中に乗り込ませられた。
密集した人と人のさらに間に割り込むようになった私は、まだ押し寄せる人並みにもまれ、体をよじる。
2駅しか乗らないため、できるだけ出入り口近くに寄っていたのは正解だった。
でも、そこに決定的な弱点があったことに気付いたのは、ホームの駅員さんの笛の音を聞いてからだった。
『発車します』というアナウンスが終わると同時に、ガタンッと電車は出発した。
その電車の動きに合わせて、私の体も前に押しやられる。
まず…い…っ。
ガタンガタンと電車が揺れるたびに、自分の体は上下左右に踊る。
こういうのを『慣性の法則』っていうんだっけ…って、だああっ、とにかく、手すりか何かを握っておけばよかったって後悔したけど、もう遅……っわっ!!
お…っ…
…っと…ぉ…。
…こんな調子じゃあ、学校につくころには、服はグチャグチャの体はクタクタの最悪な状況は間違いない。
…ただでさえ、ここからは急カーブが続いてくるってのに…。
合間に、どうにかして人の間を移動してみたりするけど、それにも限界がある。
人に迷惑をかけてしまうのもどうかと思うし…!?
「わっ!」
始まってしまった。
例の急カーブに差し掛かったのか、体は大きく揺れて、努力の甲斐もむなしく、誰かの体に思い切り頭突きを食らわせてしまった。
額の方では、ゴツンという鈍い音が響いたけど、それと同時に、顔にはなぜかムニュッとした妙なあたたかい圧迫感を感じた。
「君、大丈夫?」
え?何?何なワケ??
この大混雑の中でもうすでに疲れ果てていたわたしの頭の上の方から、そんな声が聞こえた。
女の人の声だった。
よく考えてみたら、顔に感じた妙な圧迫感は、その女性の胸だった。
どうやら、頭突きはこの人の鎖骨かどこかに食らわせていたらしい。
私は、急いで顔を上げて謝ろうとするけど、
「あ…す、すいませ…あうっ!」
ハァ…本当に気付かないうちに、一つ目の駅に着いていた。
この人間すし詰め状態の中に、さらにたくさんの人が注ぎ込まれている。
体がギューッと押し縮められるようで、とても息苦しい。
でも、このまままた発車されてしまえば、このたくさんの人の波に飲み込まれて、次の停車駅で降りられなくなるかもしれない。
あーっ、時間もおしているってのに、一体私にどうしろと…。
そうこうしているうちに、また、車内に発車のアナウンスが流れた。
ガタンッと大きく揺れ、体も大きく前のほうに押し流される…はずだったのに、どうしてか、今度は少し揺らいだ程度だった。
私は、レンガの壁にもたれたまま、小さくため息をついた。
ちらりと入口の方を見てみるけど、それらしい姿は見当たらない。
もう約束の時間は、とうの昔に過ぎていた。
これからの時間―――ちょうど8時を過ぎた頃くらいから、異常なくらい電車は込み始める。
だからこそ、余裕を持っていつも電車の時間を決めているのに…。
「…拮平ちゃんのバカ」
小さく、そんなことを呟いてみる。
結局…私は、10分過ぎまで待ってみたけど、拮平ちゃんの姿は見えなかった。
今からの時間、きちんと降りられるかな。
胸元から定期入れを取り出しながら、込み入って、おしくらまんじゅう状態の改札を無理やり抜ける間、ちょっと不安な気持ちになった。
しかも、一人だけだと、まわりからの視線が少しつらい。
いつもなら、ホームに行くまでの階段でも、ホームで待っている間でも、まわりの人がいくらこっちをじろじろ見てきたって、拮平ちゃんと喋ったりしていたら気になったりしないんだけど…。
…まあ、いない人間を望んでもしかたないっ。
この際、きっぱりあきらめましょう!
ということで、残念な気持ちを紛らわすように、私は一人心の中で気合の掛け声を掛けた。
この、いかにもお嬢様という雰囲気のセーラー服。
そのスカーフのど真ん中に、はっきりと金で校章がマークされているから、どこの生徒か一発でわかってしまう。
校則上、ミニスカートはかなり厳重に禁止されているから、ひざ下10センチは見事にクリアされている…はずなんだけど、私は余裕で校則違反をしたりしている。
こんな制服は、このあたりの高校でも中学でも、もしかしたら、この関東圏全体を探しても、ほとんど一般人が目にすることはないかもしれない。
いつか、制服マニアには、生唾ゴックンものらしいと聞いたことがある。
それくらい天然記念物的な制服を着ている私、司原宥稀は、茶色の皮製カバンを抱いたまま、ホームに並んだ。
前には、少し小柄な…といっても、私の背が結構高いので、見方が違うかもしれないけど、中年のサラリーマンのおじさんが新聞を読みながら、しきりに腕時計を覗き込んでいる。
後ろには、同じ年くらいの詰襟男子高校生が2、3人固まって何か話している。
どうやら、話題の的は私らしく、後ろを振り向けない。
「この制服のマークって、聖マリアンナだろ?」
「うっそぉ、聖マリアンナって、あの超ど級のお嬢様&お坊ちゃま校だろぉ?」
「そんなとこに、こんな駅から乗るようなやつが通ってるわけねえじゃん」
この3人の会話は、わりかし間違ってはいないと思う。
確かに、聖マリアンナ学院に通う生徒は、こんな言い方は悪いかもしれないけど、ごく普通の家出身のはずはない。
幼稚園からのエスカレーター式で、初等部、中等部、高等部、そして大学へとほとんど外部からの転入、編入生を受け入れることなく、温室育ちの少年少女を生み出していく、ある意味希少価値のある学園。
温室育ちの男女なので、先生たちも、そこまで、普通の高校生に払うほどの気遣いがなくて、楽なのかもしれない…なんて思ってるんでしょう。
でも、実際のところは、180度違っていたりするらしいけど。
お坊ちゃま、お嬢様って意外と怖い存在だっていうことは、私自身が一番わかってる。
なぜだかは秘密なんだけど…ね。
そういや、私の場合は、初等部からの編入生だったから、はじめは『乙女のたしなみ』っていうのには、すごく苦労したっけ…。
『常に気品を持って行動し、優雅に動く』
何なんだか。
今でも、自分自身、これが守られているなんて思わないし、守る気だってさらさらない。
まず、こんなにくだけた言葉で喋ることすら、あの学校の中ではタブーになる。
だからこそ、拮平ちゃんと話したいのに…。
少しでも息が詰まる空間から抜け出したい一心で、叔父さんたちに頼んで、高校からは、送り迎えをなしにしてもらったのに…。
そんなことに思いをめぐらせている間に、ホームに電車がやってきた。
予想通り、どの車両も人、人、人、人、人ばかり。 すし詰め状態って、こういう状態を言うのかな…。
なんて、考えてみる。
駅員さんたちに、後ろからギュウギュウと押し入れられる様に中に乗り込ませられた。
密集した人と人のさらに間に割り込むようになった私は、まだ押し寄せる人並みにもまれ、体をよじる。
2駅しか乗らないため、できるだけ出入り口近くに寄っていたのは正解だった。
でも、そこに決定的な弱点があったことに気付いたのは、ホームの駅員さんの笛の音を聞いてからだった。
『発車します』というアナウンスが終わると同時に、ガタンッと電車は出発した。
その電車の動きに合わせて、私の体も前に押しやられる。
まず…い…っ。
ガタンガタンと電車が揺れるたびに、自分の体は上下左右に踊る。
こういうのを『慣性の法則』っていうんだっけ…って、だああっ、とにかく、手すりか何かを握っておけばよかったって後悔したけど、もう遅……っわっ!!
お…っ…
…っと…ぉ…。
…こんな調子じゃあ、学校につくころには、服はグチャグチャの体はクタクタの最悪な状況は間違いない。
…ただでさえ、ここからは急カーブが続いてくるってのに…。
合間に、どうにかして人の間を移動してみたりするけど、それにも限界がある。
人に迷惑をかけてしまうのもどうかと思うし…!?
「わっ!」
始まってしまった。
例の急カーブに差し掛かったのか、体は大きく揺れて、努力の甲斐もむなしく、誰かの体に思い切り頭突きを食らわせてしまった。
額の方では、ゴツンという鈍い音が響いたけど、それと同時に、顔にはなぜかムニュッとした妙なあたたかい圧迫感を感じた。
「君、大丈夫?」
え?何?何なワケ??
この大混雑の中でもうすでに疲れ果てていたわたしの頭の上の方から、そんな声が聞こえた。
女の人の声だった。
よく考えてみたら、顔に感じた妙な圧迫感は、その女性の胸だった。
どうやら、頭突きはこの人の鎖骨かどこかに食らわせていたらしい。
私は、急いで顔を上げて謝ろうとするけど、
「あ…す、すいませ…あうっ!」
ハァ…本当に気付かないうちに、一つ目の駅に着いていた。
この人間すし詰め状態の中に、さらにたくさんの人が注ぎ込まれている。
体がギューッと押し縮められるようで、とても息苦しい。
でも、このまままた発車されてしまえば、このたくさんの人の波に飲み込まれて、次の停車駅で降りられなくなるかもしれない。
あーっ、時間もおしているってのに、一体私にどうしろと…。
そうこうしているうちに、また、車内に発車のアナウンスが流れた。
ガタンッと大きく揺れ、体も大きく前のほうに押し流される…はずだったのに、どうしてか、今度は少し揺らいだ程度だった。
作品名:Hysteric Papillion 第1話 作家名:奥谷紗耶