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10日間の恋

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オフィスにはまた彼女と私の2人だった。
急務な仕事は、今の時期には入ってこない。
最後の人にお疲れ様を伝えてから、もう、30分が過ぎていた。
ブラインドを閉める。
6時の光に、目を閉じる。
何もする気はないけれど、とりあえず、パソコンの電源だけは消さないでおく。
動かす気がない私に抗議するかのように、パソコンのクーラーだけが、ウィンウィンと働いていた。

「3日後でしょ?」

彼女は、トントンと書類を整えながらたずねてきた。

「うん」

「私は学生結婚だから式なんかしなかったけど、社会人となるとややこしいこと多いから、疲れたの?」

「まあ、そんなところ、かな」

私は、あの日と同じように、自分のマグカップに新しいコーヒーを注ぐ。
煮詰まりすぎていたコーヒーは、ドロドロと口の中にこびりついて、苦さを残し続ける。
苦い。
今の私は、その事実だけで、泣けてしまった。
自然と涙が頬を流れていく。
悔し涙か、心が痛いという意味の涙か、コーヒーの苦味のせいの涙か。
自分でもわからないまま、コーヒーのマグカップを、私はデスクの上に、落とした。

「あーあ…もう、結婚で浮き足立ってる場合じゃないでしょ?」

「…そうだね」

力なく答えた私はただ立ち尽くして、彼女はいそいそと布巾を給湯室まで取りに行ってくれる。
暗いコーヒーの湖に映る私の顔は、それはひどいものだった。
それで余計に、泣けた。

「…泣いてるの?」

真っ白な布巾がこげ茶色に染まるのを見ながら、私はうなづいた。
彼女は、ため息をつく。

「何か様子おかしいと思った。ごめん、私のせいかしら?」

「どうして?」

「私が結婚失敗したとか散々色んなこと言ってきたから、もしかしたらマリッジブルー一直線なのかと思って」

違う意味で責任感を感じているらしい彼女は、いつものマイペ-スでぶっきらぼうなのはどこに行ったのか、前髪を触りながら、申し訳なさそうな顔をしている。
私は、ポケットからハンカチを出すこともせず、スーツの袖で涙を拭く。
てかてかなスーツ生地は涙を吸い取らず、べっとりとただ濡れていく。

「今から言うこと、ちゃんと聞いてくれる?」

「ええ…」

「結婚、やめようかと思って」

「やっぱり…」

「ちゃんと最後まで聞いてよ」

「ああ、ごめんなさい」

「あなたといろんなこと話したでしょう?結婚とか、愛とか、そういうこと」

「ええ」

「私、結婚ってしないといけないって思ってたし、愛してるから結婚するって思ってたの。多少迷いもあったけど、当たり前だって思ってたの」

「ええ」

「だから、本当はこの気持ちも自分の中だけにしまいこんで結婚しようって、今まで、ほんの今すぐまで思ってて」

「ええ」

「……私、あなたのことが好きだと思う」

この言葉に、今まで相槌を打っていてくれた彼女も言葉を途切れさせた。
彼女は、目を瞬かせて、こちらから顔をそらして、一度頭をかき回す。

「…最後まで、続けてちょうだい?」

「私、自分の意見しっかり持てないし、はっきりしないから、自分の意見を持って堂々としてるあなたが素敵に見えた」

「…それで?」

「10日間しかまだ一緒に話していないから、私、あなたとのこと、10日間だけで、終わらせたくないって思った」

「それで?」

「今、告白しました……愛を諦めたく、ないから」

全てを言い切って、私はへたん、とイスに座り込む。
茫然自失として、そして、はっと顔を上げる。
だけど、顔を上げてもしばらく、彼女の顔は見られなかった。
言ってしまった、という気持ちと、言って良かった、という気持ちのない交ぜなマーブル色な気持ち。
しかし不思議と、後悔の気持ちは、押し寄せては来ない。

「…結婚やめたら、ここにいるの、辛くない?」

彼女の最初の言葉は、これだった。
私のことを気遣う、この言葉だった。
私は上から降ってくるこの言葉の近さに驚いて、ゆっくりと彼女を見る。
すぐ、そばにいた。

「どうなのよ?」

「…本当はやめたくなかったし、大丈夫」

「課長あたり、ネチネチ探ってくるかもしれないわよ?」

「そのときは、守ってくれるでしょう?」

「……人を頼らない」

「…はい」

彼女は、コーヒーのこぼれた隣のデスクに腰をつけてタバコに火をつけた。
おいしそうに吸う、というよりは、何かを紛らわすために吸う、といった感じだった。
そして、ため息をついてから、私に振り向く。

「女に告白されたの、初めて」

「私も、女の人に告白したの、初めて」

「ま、初めて同士なら、うまく行くような気もするわ」

グリグリと灰皿にタバコを押し付けながら、彼女はそう言った。
ちょっと困った顔をしながらも、彼女は笑っていた。

「それだけ真っ直ぐストレートに言われると、困る困る」

「だ、だって、そうとしか言えないし…言うの、はずかしかったし、気持ち悪がられたらイヤだったし」

「私はそんな小さい人間じゃあないわよ。それに、しっかり意見言える人間、嫌いじゃないから」

「それって、好きってこと?」

「嫌いじゃないってこと」

「素直じゃないんだから」

「調子に乗らない」

「はい」

そう言って、私と彼女は微笑み合った。
彼女のタバコの匂いのする範囲まで顔を寄せて。
まだ、すごくぎこちなくて、すごくただ笑い合えるだけでなぜかあったかくなる。
ああ、これが、愛してるって、恋しているってことなんだよね。
そんな忘れていたことをようやく思い出しながら私は、ゆっくりと、彼女の指に触ってみる。
彼女は目をそらしながら、やっぱりまた髪の毛をワシワシっとかきまわす。
照れ屋さんなんだから。
そう思いながら、私は次に、そっと彼女の指環にキスをする。

「あの…」

「何?」

「その、まだ、そのね…」

とヒールのかかとをコツコツと慣らしながら、彼女はようやく口を開いた。
私は、そんな彼女を見て、耳元で、照れ屋だねえ?と言う。
余計なお世話、と、彼女は慌てて答えてくる。
そして私たちは、また、ゲラゲラと声を上げて笑い合った。

……これからは延長戦。

長い長い、彼女との延長戦が、始まる――――。




作品名:10日間の恋 作家名:奥谷紗耶