モノクロ、メモリー
塔の名は、『あなたを、愛してる』――。
大丈夫ですか、の声で、私はふっと目を開ける。
フードをかぶった若い駅員が、私の肩を揺らしていた。
少し、眠ってしまったらしい。
雪夜にこんな場所で寝るなんて、と小さな声で叱られながら、私はロータリーまで肩を抱かれて歩かされる。
タクシーに乗せられて、バタム、とドアが閉まる。
フロントガラス一面真っ白で、凍りついた雪がワイパーをせき止める。
どこまで行きましょう、と聞かれたので、家まで、と答える。
家までじゃわかりませんよ、と言われたから住所を伝えて、目を閉じた。
彼女が死んだのは、結婚式まであと2週間と迫っていた時だった。
まだ煮え切ってなかった昨日の私と別れてからすぐのできごとだった。
真夜中、迷惑千万で駆けつけた彼女のアパートで、どうしてか彼女の両親に出会った。
交差点でトラックに巻き込まれたらしい、そう聞いて、私は目の前が真っ白になった。
病院に駆けつけると、彼女は青や赤のコードで制御されていた。
包帯を巻かれ、手足をギプスで固められて、彼女は横たわらせられていた。
機械を通したかすれた彼女の呼吸音が鼓膜を触る。
死なないで、と私は願う、だけど。
死なないで、と言いながら彼女の手を握るのは、私ではない。
彼女の、結婚相手だ。
私は、ゆっくりと病院をあとにした。
あの場にいるのは、どうして私ではないのだろう。
そう思うくらいなら、嫉妬するくらいなら、どうして早く、彼女に言葉を伝えなかったのか。
後悔しつづけて、どうしようもなくて、私は何度も何度も、彼女の名前を叫びながら、壁を殴り続けた。
もしもし、お元気ですか
私は、少し飲みすぎたようです。
明日休みだということがこれほど嬉しいとは思いませんでした。
来週、一緒に映画でもいかがですか、招待券があるので、おごりますよ?
また、連絡ください。
―――――ずっとずっと、待ってます
こんにちは。
ホームでいつものように、帰りの電車を待っていたとき、声をかけられた。
あの時の彼女だった。
ああ、あの時の…どうして私がここから乗るってわかったの?
そう尋ねた私に、彼女は何かを手渡す。
名刺、だった。
タクシーチケットの間に挟まっていた私の名刺から、この駅がわかった、ということらしい。
あの日は、ありがとうございました。お金、おかえしします。
いいのよ、それは…それより。
ふられました。
そう言う彼女は、言葉とは裏腹に、すきっとからっと晴れた顔立ちをしていた。
言葉が見つからない。
頭の中で引き出しを開ける私に、彼女は自分から伝えてくれる。
ふられましたけど、友達ですから。
その言葉に、不思議と倒れそうになるくらい安心する。
何かが、胸の方からあふれ出しそうになる。
よかったわ、本当に、よかった。
あのとき、お姉さんに言われた通りでした。きっと、あのまま伝えなかったら、後悔してたって、思うんです。
そう、私は後悔した。
伝えていれば、彼女があの日死ぬ運命だったとしても、あれほど悔しい、寂しい思いをすることはなかっただろう。
この子は、私が伝えられなかったことを、伝えてくれた。
私と同じ思いをせずにすんだことに、私は、涙した。
よかったら、お茶でもご一緒していただけませんか?
唐突な一言。
彼女のそのたどたどしい物言いに、私は一言、ええ、と答えた。
―――お客様のおかけになった電話番号は、現在使われておりません。お客様の……
もしもし、お元気ですか
今日私は、これをあなたへの、最後の電話にしようと思います。
私と同じ思いをしている女の子に出会いました。
だけどあの子は、自分の思いを届けることができたようで、私はほっとしています。
あの子はもしかしたら、あなたからの贈り物だったのではないかと、思いました。
自分勝手な考え方でしょうか、でも、そう思うんです。
そして今、私もあなたに、あの時言えなかった言葉を届けたいと思います。
―――――あなたを愛してる、と。