恋愛の理由(前篇)
ねえ、恋愛小説は、書かないの?
私が小説を1本書き上げるたびに、友人からは、同じ言葉が繰り返される。
その言葉に、私はため息をつくばかりで、その様子に相手は目をパチパチと瞬かせるのだ。
そして、私は、息を長く長く吐いてから、こう切り出す。
そう、書かないの、と。
私は、恋愛小説を書くのをやめたのではない。
もともと、恋愛小説を書くつもりがないのである。
書きたい欲望がわかないのである。
付き合いの長い友人は、季刊誌に載る私の作品を見ても、そのことについて言及するのを諦めた。
私の描くストーリーは、いつも友情とか、冒険とか、ファンタジーや、ホラー、それに恋愛抜きのハードボイルドな人間劇である。
そんな空想めいた世界ばかりが登場する、なんともワクワクさせるようなものばかりのはずである。
他の人間がどんなものを書いているかなんか興味がないので、私は小説もマンガもほとんど読まない。
特に、人の書いた小説を読んだことは1度もない。
読書感想文でさえ、兄に頼んで書いてもらっていたくらいだ。
知っている小説家は、自分だけである。
「ねえ、恋愛小説は、書かないの?」
「…書かないよ」
今日もまた、聞かれた。
大学のカフェテラスで、まだ付き合い始めてまもない友人、香苗(かなえ)は、私の作品を読みながら、コーヒーを含む。
私はいつものごとく、どうしてかイライラしながらも、そのイライラを見透かされないように笑顔を作りながら、答えていた。
別に、彼女のことが嫌いなのではない。
だけど、この手の話は、最も嫌いである。
「今回も学園ファンタジーものでしょ。そんなにひどい恋愛ばかりしてきたの?」
確かに、今回、季刊誌『硝子文庫』に載せた作品は、学園ファンタジーものだ。
学園の一部に異世界との扉が開いてしまい、そこへと吸い込まれた友人を探す女子高生の冒険ストーリーである。
締め切りが近かったため、最後の部分にアラが集中してしまったな、と反省する作品でもあった。
「みんなそう言うけど、残念ながら、恋愛したことないんだわ」
「えええっ!?うそぉ、初恋とか、ないの?」
「ないない」
ああ、早くこの話終わらないかな、と呟きながら、私は長く伸びきった髪の毛を弄ぶ。
少しパサパサになり出した毛先を見て、最近美容院に行っていないことに気がつく。
彼女はまだ私の作品を読みながら、少しずつぬるくなったコーヒーをすすっていた。
「もったいないなぁ、私、カンちゃんの小説のファンなのにさぁ」
「そりゃどうも。でも、そう言われてもここは奢らないからね」
「わかってるよ。あーあ、でも、もったいないなぁ、モテそうなのにさぁ」
と、ようやく読み終わった『硝子文庫』を返してくれてから、香苗は残りのコーヒーを一気飲みした。
次の講義の時間を知らせるチャイムが、同時に鳴り響く。
だけど、私も香苗も次の講義は休講なので、そのままぼんやりと外の風景を眺めていた。
「モテそう?誰が?」
「カンちゃんが、に決まってるじゃない?」
「私が?」
まさか、と私は言い捨てる。
香苗は続ける。
「カンちゃん、背はモデル並にあるし、顔だって綺麗な方だと思うよ?カンちゃんのよさをわかってなのは、カンちゃん自体だと思うなぁ」
あとは服装の問題かな、と言う香苗には、高校時代から付き合っている彼がいる。
彼との間にはもう結婚の約束まで取り付けてある、いわゆる婚約中というものだ。
彼は、この時代の男性にしてはおっとりやんわりとした性格で、香苗はいい買い物をしてるなあと感心したことがある。
そんな見る目のある彼女曰く、私はモテそうなのだそうだ。
香苗の眼力を侮るわけではないが、私は、やはり否定した。
「そんなことないない」
「あるある、絶対狙ってる人いるって」
「譲らないなぁ」
「隠れファンってどこにもいるもんでしょ?文芸部の中にもきっといるって。こんな文章書くカンちゃんだよ?」
「いないよ。それに、褒められたって、小説家になるわけじゃないからね」
小さい頃から、文章を書くのが好きだった。
だけど、小中高と通して、作文という名の付くもの全て、全くのように賞をとるようなことはなかった。
どうやら、何か決まりごとがある『作文』というもの、感想文や評論文は、ことごとく苦手だったのである。
だけど、大学に入って初めて文芸部に入り、同人という世界があることを知った。
そこでは何でも自由に書いていいと言われ、書かなくてもいいと言われた。
だから、ある時は、書いて書いて書きまくって、ある時期には全く書かなかった。
それでも怒られはしない。
なんてすばらしい世界だろう、と思った。
私の文章は、それなりに本当にほんの少しだろうけど、人に評価され始めた。
褒められもしたし、けなされもした。
褒められた部分は伸ばすようにし、けなされた部分は無視してきた。
そして、今に至る。
何人からも新人賞への応募は勧められていた。
だけど、小説を書くことが仕事になれば、書かない自由が奪われることよりも、書く自由が奪われることが恐ろしい。
出版社の望むような作品しか書けないなんて、なんて恐ろしいことだろう。
私は言える、誓って言える。
小説家には、ならない、と。
まあそう言ったところで、なれるかどうかなんて才能の問題だから、今の私は大口叩いてるだけの人間だって思われるだけなのだろうけど。
「ちぇ、サインもらっとけばプレミアつくかと思ったんだけどな」
「そりゃあ残念でした」
「本当に、本当にほんっとうに応募しないの?」
「応募しないの。ほら、彼、来たみたいだよ」
季刊誌で私を殴らんばかり距離まで近づいていた香苗は、急にぱっと向こうを振り返る。
清潔そうなジャケットにジーパン姿の彼が、カフェテラスの入口から手を振っていた。
香苗も急いで手を振り返す。
右手はすでに、カバンを握っていた。
「じゃあ、またあとでね」
「うん」
次の講義でまた出会う友人を見送って、私はノートパソコンを広げた。
気づけば、いつもこのノートパソコンを広げている。
確かに工学部だからパソコンは必須だけど、どこかへ出かける時でも、必ずこのパソコンを携帯する自分がいる。
そういうところが、どこから見ても小説家なのに、といつもまわりからは茶化される。
自分でも、全くそのとおりだ、と笑いながら、私はパソコンの電源を入れた。
どうして恋愛に興味がもてないのか、自分にもわからない。
ためしに、恋愛小説らしきものを書いてみようといつもパソコンの前で考えるのだが、やっぱり、何も浮かばない。
脳の中に存在する真っ白なキャンパスの上に、恋愛、の2文字を書く。
だけど、それ以上のものは、生まれたことがない。
「……書けない、な」
真夜中に、私はベッドの上で大の字になって天井を見上げていた。
電源のかかったノートパソコンは、ウィンウィンと使い主がいないのも知らず、元気よく働いている。
ディスプレイ一面には、真っ白なワードソフトの画面が広がっている。
一文字も浮かばないのだ。
こういうときも、たまにはある。
私が小説を1本書き上げるたびに、友人からは、同じ言葉が繰り返される。
その言葉に、私はため息をつくばかりで、その様子に相手は目をパチパチと瞬かせるのだ。
そして、私は、息を長く長く吐いてから、こう切り出す。
そう、書かないの、と。
私は、恋愛小説を書くのをやめたのではない。
もともと、恋愛小説を書くつもりがないのである。
書きたい欲望がわかないのである。
付き合いの長い友人は、季刊誌に載る私の作品を見ても、そのことについて言及するのを諦めた。
私の描くストーリーは、いつも友情とか、冒険とか、ファンタジーや、ホラー、それに恋愛抜きのハードボイルドな人間劇である。
そんな空想めいた世界ばかりが登場する、なんともワクワクさせるようなものばかりのはずである。
他の人間がどんなものを書いているかなんか興味がないので、私は小説もマンガもほとんど読まない。
特に、人の書いた小説を読んだことは1度もない。
読書感想文でさえ、兄に頼んで書いてもらっていたくらいだ。
知っている小説家は、自分だけである。
「ねえ、恋愛小説は、書かないの?」
「…書かないよ」
今日もまた、聞かれた。
大学のカフェテラスで、まだ付き合い始めてまもない友人、香苗(かなえ)は、私の作品を読みながら、コーヒーを含む。
私はいつものごとく、どうしてかイライラしながらも、そのイライラを見透かされないように笑顔を作りながら、答えていた。
別に、彼女のことが嫌いなのではない。
だけど、この手の話は、最も嫌いである。
「今回も学園ファンタジーものでしょ。そんなにひどい恋愛ばかりしてきたの?」
確かに、今回、季刊誌『硝子文庫』に載せた作品は、学園ファンタジーものだ。
学園の一部に異世界との扉が開いてしまい、そこへと吸い込まれた友人を探す女子高生の冒険ストーリーである。
締め切りが近かったため、最後の部分にアラが集中してしまったな、と反省する作品でもあった。
「みんなそう言うけど、残念ながら、恋愛したことないんだわ」
「えええっ!?うそぉ、初恋とか、ないの?」
「ないない」
ああ、早くこの話終わらないかな、と呟きながら、私は長く伸びきった髪の毛を弄ぶ。
少しパサパサになり出した毛先を見て、最近美容院に行っていないことに気がつく。
彼女はまだ私の作品を読みながら、少しずつぬるくなったコーヒーをすすっていた。
「もったいないなぁ、私、カンちゃんの小説のファンなのにさぁ」
「そりゃどうも。でも、そう言われてもここは奢らないからね」
「わかってるよ。あーあ、でも、もったいないなぁ、モテそうなのにさぁ」
と、ようやく読み終わった『硝子文庫』を返してくれてから、香苗は残りのコーヒーを一気飲みした。
次の講義の時間を知らせるチャイムが、同時に鳴り響く。
だけど、私も香苗も次の講義は休講なので、そのままぼんやりと外の風景を眺めていた。
「モテそう?誰が?」
「カンちゃんが、に決まってるじゃない?」
「私が?」
まさか、と私は言い捨てる。
香苗は続ける。
「カンちゃん、背はモデル並にあるし、顔だって綺麗な方だと思うよ?カンちゃんのよさをわかってなのは、カンちゃん自体だと思うなぁ」
あとは服装の問題かな、と言う香苗には、高校時代から付き合っている彼がいる。
彼との間にはもう結婚の約束まで取り付けてある、いわゆる婚約中というものだ。
彼は、この時代の男性にしてはおっとりやんわりとした性格で、香苗はいい買い物をしてるなあと感心したことがある。
そんな見る目のある彼女曰く、私はモテそうなのだそうだ。
香苗の眼力を侮るわけではないが、私は、やはり否定した。
「そんなことないない」
「あるある、絶対狙ってる人いるって」
「譲らないなぁ」
「隠れファンってどこにもいるもんでしょ?文芸部の中にもきっといるって。こんな文章書くカンちゃんだよ?」
「いないよ。それに、褒められたって、小説家になるわけじゃないからね」
小さい頃から、文章を書くのが好きだった。
だけど、小中高と通して、作文という名の付くもの全て、全くのように賞をとるようなことはなかった。
どうやら、何か決まりごとがある『作文』というもの、感想文や評論文は、ことごとく苦手だったのである。
だけど、大学に入って初めて文芸部に入り、同人という世界があることを知った。
そこでは何でも自由に書いていいと言われ、書かなくてもいいと言われた。
だから、ある時は、書いて書いて書きまくって、ある時期には全く書かなかった。
それでも怒られはしない。
なんてすばらしい世界だろう、と思った。
私の文章は、それなりに本当にほんの少しだろうけど、人に評価され始めた。
褒められもしたし、けなされもした。
褒められた部分は伸ばすようにし、けなされた部分は無視してきた。
そして、今に至る。
何人からも新人賞への応募は勧められていた。
だけど、小説を書くことが仕事になれば、書かない自由が奪われることよりも、書く自由が奪われることが恐ろしい。
出版社の望むような作品しか書けないなんて、なんて恐ろしいことだろう。
私は言える、誓って言える。
小説家には、ならない、と。
まあそう言ったところで、なれるかどうかなんて才能の問題だから、今の私は大口叩いてるだけの人間だって思われるだけなのだろうけど。
「ちぇ、サインもらっとけばプレミアつくかと思ったんだけどな」
「そりゃあ残念でした」
「本当に、本当にほんっとうに応募しないの?」
「応募しないの。ほら、彼、来たみたいだよ」
季刊誌で私を殴らんばかり距離まで近づいていた香苗は、急にぱっと向こうを振り返る。
清潔そうなジャケットにジーパン姿の彼が、カフェテラスの入口から手を振っていた。
香苗も急いで手を振り返す。
右手はすでに、カバンを握っていた。
「じゃあ、またあとでね」
「うん」
次の講義でまた出会う友人を見送って、私はノートパソコンを広げた。
気づけば、いつもこのノートパソコンを広げている。
確かに工学部だからパソコンは必須だけど、どこかへ出かける時でも、必ずこのパソコンを携帯する自分がいる。
そういうところが、どこから見ても小説家なのに、といつもまわりからは茶化される。
自分でも、全くそのとおりだ、と笑いながら、私はパソコンの電源を入れた。
どうして恋愛に興味がもてないのか、自分にもわからない。
ためしに、恋愛小説らしきものを書いてみようといつもパソコンの前で考えるのだが、やっぱり、何も浮かばない。
脳の中に存在する真っ白なキャンパスの上に、恋愛、の2文字を書く。
だけど、それ以上のものは、生まれたことがない。
「……書けない、な」
真夜中に、私はベッドの上で大の字になって天井を見上げていた。
電源のかかったノートパソコンは、ウィンウィンと使い主がいないのも知らず、元気よく働いている。
ディスプレイ一面には、真っ白なワードソフトの画面が広がっている。
一文字も浮かばないのだ。
こういうときも、たまにはある。