フィアンセになりたい
ケタケタと壊れたように笑い続ける私に、静枝さんは真っ赤になって、眉根を上げる。
「そんなに笑わなくてもいいじゃない」
「ごめんなさい。…でもまあ、とりあえず、思い出してみよう?」
「思い出すって…ちょっと…」
私は、そのまま静枝さんをポンッとソファの上に倒した。
とっさのことに目をパッチリと開いて瞳に私の姿だけを映している静枝さんのカーデガンをはぎ取って、もう一度唇を奪い取る。
ずっとずっと触れたかった静枝さんの肌の感触を確かめ、唇を這わせると、ひょこひょこと右へ左へと移動されるものだから、腕を束ねて上げてしまう。
「ちょっと待って、貴哉ちゃん」
「大丈夫、出来るから」
「でも…」
「きっと、ママより私の方が上手よ?」
そう耳元で囁くと、静枝さんは、恥ずかしそうに長い睫毛を伏せて、自分からキスを求めてきてくれた。
そして、うるんだような瞳で、私の心をぐっと掴んで引き寄せる。
とろけるような感覚が訪れて、はらっと零れてきたものは、涙だった。
幸せすぎて泣くことが、本当にあるとは思わなかった。
涙を流すのは、静枝さんが出て行ったあの日以来だった。
「貴哉ちゃん?」
「ごめん…嬉しくて、止まらないみたい」
「ちゃんと出来るの?」
そう意地悪っぽく静枝さんが言いながら、私の涙を指先で拭いとる。
私は、返事を返すことなく、そっと静枝さんのその指先を口に含み、小さく噛んだ。
なんだかその噛んだ部分が赤く染まり、指輪のようになっているのに1人で勝手に照れながら、私は、静枝さんの体の奥深くに触れた。
今日はこのままソファで眠ってもいい。
ただ、朝になったら、隣で眠る彼女に、笑顔でキスとともにおはようが言いたいと願う。
勝手に描いていた母親の亡霊は、もういない。
確かに存在する静枝さんの温かさを抱きしめながら、私はただ、目を閉じた。
作品名:フィアンセになりたい 作家名:奥谷紗耶