月のあなた 下(1/4)
後ろから出て来たのは三石だった。
三石も蜜柑を見た瞬間に表情を曇らせるが、すぐに普通にもどり、後ろを振り返って頭を下げた。
「どうもぉ、お邪魔しましたぁ」
「いつでも邪魔なんかじゃないよ。三石さんだったら」
三石に続いて出てきたのは、長身の、髪を清潔にセットした眼鏡の上級生だった。
引き戸の上の方に肘をついてややもたれかかりつつ、微笑みながら答える。
蜜柑の記憶が正しければ、新聞部長だった。
「失礼します」
最後まで控えめに礼儀正しく扉を閉じた三石は、再び蜜柑と、そして木ノ下の方を振り向く。
「…実、なにやってるの? 取材に行くんじゃなかったの」
木ノ下は電流でも流されたように身体を震わせると、
「…はい! そうだね」
小走りで廊下を去って行った。
「はい、だってぇ、変じゃなぁい?」
自然な感じで、蜜柑に同意を求める。
「……」
蜜柑は口がきけない。
(この人は、この人は何処まで知ってるんだろう。)
「あれ――同じクラスの大甘さん、だよね。えっと、ご機嫌いかが?」
三石はコケティッシュに首を傾げた。
「こ、こんにちは」
「どうしたの…かたまって――、あっ」
そこで何かに思い当ったように、口に両手を当てた。
「もしかして、実…木ノ下さんに何か云われたの?」
「あ、え」
「そうなのね」
三石は真剣な表情をすると、少し躊躇い、言った。
「いま、時間大丈夫?」
*
場所は、なんとなく予想していたが、屋上だった。
円の内周にも外周にも背の高い、上端が通路側に折れ曲がったフェンスがめぐらされ、内側のフェンスには蔦がびっしりと張り巡らされている。
学園の内側は見えず、広がる街と大地だけへと視線が導かれる構造になっていた。
だがその時の蜜柑には、その風景にため息を吐くような余裕すらない。
隠さずに言うけど、と三石は前置きした。
言わないで! と、蜜柑は叫びたかった。
「私も、聞いたの」
天地が逆さになった。
足が地面に触れている気がしなかった。
空へと沈んでいっている様だった。
だがそれは錯覚で、瞬きをすると、その美少女はやはり目の前に居た。
「な」
何を、とは言えなかった。
でも大丈夫だよ? と相手は心配そうに言った。
「私、実にはきつく云っといたから」
ちがう。
木ノ下さんはわたしに何も言ってない。
蜜柑はそう云おうと思ったが、喉が焼けついたように言葉が出ない。
「そのことをこれ以上誰にも言ったらだめだって。だから知ってるのは、私と、私の親友の高蔵寺さんだけ。もちろん、高蔵寺さんも誰にも言わないわ」
吐きそう。
頭がぐるぐるふわふわする。
蜜柑は、立っているのが精一杯だった。
(どうしてこの人たちなの?)
どうしてわたしの一番かき消してしまいたいことを、一番最初に知ってしまうのがこの人たちなの。
嫌だよ。
わたしこの人たちに組み込まれるのいやだ。
こんなところ来なければよかった。
でももう間に合わない。
「あたりまえだけど、月待さんにもね」
最後の一撃が来た。
その瞬間に、蜜柑のあらゆる意気が阻喪していた。
代わりに、あの、親しんだ透明の壁がゆっくり彼女の周りを覆い始めていた。
その後は、三石が心配そうに掛けてくる「大丈夫だから」とか「仲良くしようね」などという言葉に、誰か別の人が自分の口をつかって返事をしていた。
「じゃあまたね、大甘さん」
そう言って、三石は満足そうに去って行った。
突然強い風が吹いて、校庭からだろうか、砂が屋上まで舞い上がって来た。
三石はそれを吸い込んだのか、屋上のドアを閉める間際ひどく咳き込んでいた。
蜜柑は扉が閉まった瞬間よろけて、フェンスにもたれかかり、やっと、止まりかけていた呼吸を再開する事が出来た。
フェンスには体はおろか、肩を通すような隙間さえなかった。
上部を見上げても、内側に折り返されていて、乗り越えるのは不可能である。
(かみさま。)
蜜柑はうつろなまま呟いた。
かみさま、
「死んじまえ」
作品名:月のあなた 下(1/4) 作家名:熾(おき)