プラタナス並木の道から
車は闇雲に走っているようだった。街灯に照らされた青白い雪景色が車窓に飛ぶ。
「俺はまつりに勘違いさせられっぱなしだ。お前にとって俺はいつまで経っても近所の兄ちゃんでしかない。あっさりとお前に振られた俺がどれだけショックだったかわかるか?」
「嘘。要ちゃんは私のこと酔っぱらってからかっただけでしょう? 要ちゃんの方こそ、いっつも女の人と出掛けて」
「馬鹿、それは友達仲間で……」
「お見合いだってしたじゃない!」
「それは……大学を卒業してから、旭川に帰ってまつりと会った時……可愛くなったまつりを見て、優しい兄貴でいられる自信がなくなって……。でも、お前は相変わらず無邪気に俺を慕ってくるし、まつりに嫌われるのが怖かった。それで辛くて諦めようとして、お前から逃げだすのに見合いをしたんだ」
ちらりとこちらを向いた瀬川要の瞳が、眼鏡の奥で熱を帯びたように潤んで見えた。
「俺は臆病だ。まつりに嫌われたくなかった。畜生! そっと見守ることしかできないなら、嫌われた方がましだ!」
瀬川要はハンドルを握りこぶしで叩いた。
「要ちゃん――」
「最後まで言わせろ。教会の前でもお前に逃げられて言いそびれた」
車が路肩に停められた。いつの間にか、プラタナス並木の道だった。目の前には教会があった。
「続きを言わせてくれ」
瀬川要は助手席に座るまつりの方へ身を乗り出した。普段、何事にも動じなさそうな瀬川要が、顔に不安の色を浮かべ、躊躇いがちに口を開いた。
「こんなオジサンに言われても迷惑かもしれないけれど、もう遅いけれど、俺は……ずっとまつりが好きだった」
瀬川要の真剣な眼差しがまつりを捕らえている。まつりは彼のどこに視線を合わせたらいいのか分からなくなり、目を泳がせていた。
――要ちゃんは私のことを好きでいてくれた。本当? 本当に? 嫌われていない?
まつりは信じられなかった。口を半開きにし、言葉が一つも出てこなかった。
――今まで悩んでいたのは何だったの?
「嘘……馬鹿みたい」
目頭が熱くなる。両手を顔に当て、まつりは硬く目を瞑った。
「馬鹿ってことはないだろう。俺、真剣に……」
「違う、私が馬鹿だって言ったの」
まつりは涙を流しながら、笑顔で言った。
「俺はまた、小さい頃の時みたいに罵られたと思った」
「小さい頃?」
「覚えていないのか? 俺が小六の時、お前一年で、入学式の紺色のワンピースを着たまつりがあんまり可愛くて思わず頬にキスしてしまった。そうしたら、お前、『お兄ちゃんがそんなことするのはおかしい』って言って、暫く口も聞いてくれなかった」
「そうだっけ?」
「本当に覚えていないのか? 俺は酷くショックで嫌われたくなくて、あれから良いお兄ちゃんでいるのにどれだけ苦労したか」
――そうだ。あの時、要ちゃんにキスされて恥ずかしくって、暫く顔を合わせられなかったっけ。
「泣くなよ。迷惑なのは分かっている。でも今夜だけ――」
「そんなの嫌だ」
「まつり……」
「今夜だけなんて」
瀬川要の瞳が大きく見開かれた。
「それ、どういうこと」
「ずっと一緒がいい」
「あの彼氏は?」
「彼氏なんかじゃないもの」
「俺もしかして酷い勘違いをしていたのか?」
「私も勘違いしていた」
「まつり!」
瀬川要はまつりを強く抱き締めた。
外は雪が降り始めていた。まつりには天使の羽が優しく舞い降りてくるように見えた。
「ねえ、賛美歌が聞こえる」
「行ってみよう」
二人は車を降りて手を繋ぎ、教会へ歩いた。
――いつか、ウエディングドレスを着て要ちゃんと二人でこの教会の扉を開く日が来るといいな。
「まつり」
「なに? 要ちゃん」
教会の扉の前で不意に瀬川要が腰を屈め、まつりにキスをした。
「早くまつりにウエディングドレスを着せたい」
「要ちゃん」
まつりは顔を赤く染めた。
瀬川要も同じことを考えていた。まつりはそれが嬉しくて、要の腕に寄りかかった。
凍える厳しい寒さの冬空から、天使の羽が、二人に優しく降り注いでいた。
長い長い二人の冬が終わった。
作品名:プラタナス並木の道から 作家名:asami