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プラタナス並木の道から

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 まつりの馬鹿。告白するって決めていたじゃない。
 勇気を奮い立たせ、まつりは涙をぬぐって自分に言い聞かせた。

  天使の羽
 こつん。
まだカーテンをしていなかった窓に、雪玉が当たった。
まつりが窓辺に駆け寄り、外を覗くと、青白い暗闇の中でこちらに向かって大きく手を振っている人影が見えた。
萩原紀だ。
まつりは階段を駆け下りて、外へ出た。
 ――言わなきゃ。
 外は冷え込んでいた。多分、氷点下十度にはなっていただろう。歩く度に足元の雪が、さらさらと音をたてた。
「待っていられなくてさ」
 玄関先で、寒そうに両手をポケットに突っ込んだ萩原紀がはにかんだように笑った。
「萩原君、あのね――」
 言いづらそうにまつりがそう切り出すと、萩原紀は途中で遮った。
「いいよ。言わなくてもわかってる。良かったな。でも友達でいてくれるよな?」
「……うん」
 萩原紀はまつりと瀬川要がうまくいったものだと早合点していたのだが、まつりは敢えて否定しなかった。その方がさっぱりすると思ったのだ。
「最後に一つだけ……いいか?」
「何?」
「あのさ……」
 萩原紀はそう言って片手をまつりの方へ差し出した。
 握手。
まつりは差し出されたその手を握ったのだが、不意にその手を引かれて身をひき寄せられ、萩原紀に抱き締められてしまった。
「萩原君?」
「俺、矢萩のこと本気で、すっごく好きなんだ。だから直ぐに諦められないかもしれない。けれど、お前のこと応援してるから。幸せになれよな」
 抱き締めているその腕は震えていた。コートの上からでも萩原紀の鼓動がわかるくらい、彼の緊張がまつりに伝わってきた。
 精一杯の萩原紀の潔い告白。
瀬川要の存在がなければ萩原紀のことを好きになっていたかもしれない。まつりは萩原紀の腕に抱かれてどきどきしながら、そんな風に思ってしまった。
瀬川家の庭先にある瀬川要の車が、まつりの視界に入った。
――要ちゃん、帰って来ている。もしかして見られているかも?
 まつりは何気なく瀬川家の二階の窓を見た。人影が見えた気がして、まつりは慌てて萩原紀から離れた。
「ごめん、矢萩の彼氏に殴られるかな。でも矢萩のこと抱きしめられるのなら殴られるくらい平気だけれど」
 萩原紀は視線を足元に落とし、笑って照れ隠しをした。
「じゃ、冬休み明けに学校で会おうな!」
 最後に大きく手を振ってから、萩原紀は後ろを振り向かずに角を曲がった。
 一方的に話し、納得して帰った萩原紀に、まつりはぎゅっと目を瞑り、心の中で謝った。
 ――ごめんなさい。萩原君に私よりもっと素敵な彼女ができますように。
 残されたまつりは今何をすべきなのか充分すぎるほど分かっていた。
 ――今度は自分の番だ。
 一旦部屋に戻り、赤いリボンのついた包みをコートのポケットに忍ばせて、まつりは再び外に出た。
一歩一歩、まつりは瀬川家に近づく。足を進める度、雪がきしむ音が響いた。
 瀬川要の窓の下にたどり着くまでの時間が、まつりには妙に長く感じられた。
 ――もう逃げない。
 まつりはおもむろに素手で足元の雪をすくい上げて雪玉を握り、思いきり二階の窓へぶつけた。
 うまく命中したが、瀬川要が顔を出す気配はなく、部屋の明かりは消えたままだ。
 きっと部屋にいる。さっきの人影は瀬川要に違いない。まつりはそう信じた。
 妹のように思われているとしても、全く関心を持ってくれないよりはいい。今は妹分だとしても、この先変わることだってあるかもしれない。
 もう一つ雪玉を握り、窓へと投げた。そしてまた一つ。窓硝子に命中するが瀬川要は現れなかった。
まつりの手は雪の冷たさで痺れて感覚がなくなった。両手に息を吹きかけて暖め、再び雪玉を握った。
 ――要ちゃん、お願い。出てきて。
 何個目かの雪玉が窓に当たった。部屋の明かりは暗いままだったが、カーテンが揺れて人影が見えたように思えた。
 ――気のせい?
 数分後、玄関ドアが開き、コートを羽織った瀬川要がまつりに近づいてきた。
「お前、何をやっているんだ?」
 冷ややかな瀬川要の視線。
「あの……手袋……」
 まつりは不機嫌そうな瀬川要の顔をまともに見られないまま、ポケットから赤いリボンの包みを取り出し、突きつけるように差し出した。
「手袋?」
「さっき借りたの落としちゃったから……」
 受け取った包みを見ながら、訝しげに言葉を返す瀬川要に、まつりは思わずそう言ってしまった。
 ――違う。まつりの馬鹿!
 ここまできて気持ちを伝えられない自分が情けなかった。どうしてたった一言が言えないの? 「好きです」って、ただそれだけのことじゃない。臆病な私。傷つくのがそんなに怖いの? さっきまでの決心は何だったの?
「これは受け取れない」
 瀬川要が包みをつき返した。
 まつりは瀬川要に拒絶され、何も言葉が出なくなってしまった。
「失くしたのはもういい。それ、渡す相手が違うだろう? さっき彼氏に渡すはずだったんじゃないのか?」
 ――やっぱり、要ちゃんは窓から見ていた。萩原君のことを勘違いされた。
「違う」
「用はそれだけ? 悪いけど、お前といたら酷いことを言ってしまいそうだから、じゃあな」
 瀬川要は背を向けて、玄関へ戻ろうとした。
「だめっ!」
 まつりは咄嗟に瀬川要のコートの裾を引っ張った。
「今言ったよな? 俺はすごく不機嫌なんだ。お前だって彼氏に妬き持ち焼かれるような近所の兄ちゃんがいたら迷惑だろう? 心配するな、もうお前には話しかけないから。それでいいだろ!」
「要ちゃん……」
 嫌われた。無理もない。さっき、もう優しくしないでと言い捨てて要ちゃんを置き去りにしたのだから。
 泣くつもりはなかった。だが、涙は寒さで感覚の麻痺した頬を伝っていく。今日は泣いてばかりだ。こんなに気が弱くて泣き虫だったかと自分で驚くほど。
「ああ! もう泣くな。これ貰うから! これで気が済んだか?」
 まつりが握り締めていた包みを瀬川要は乱暴にもぎ取り、代わりにまつりの顔にハンカチを押さえつけるようにあてがった。
「お前ずるいよ。俺がお前の涙に弱いのを知っていて泣くんだから。小さい頃からそうだったな。俺はいつもいいように振り回される」
 瀬川要は苦笑した。
 振り回した覚えなんかない。心をかき乱すのはいつも瀬川要の方だ。瀬川要が高校生の時も同級生の女の子と楽しそうに出掛けるのをただじっと見ているしかなかった。大学へ進学したら顔を合わすことさえままならず、姿を見かけただけで苦しかった。就職した後だって同僚と飲みに行く瀬川要を見送るばかり。早く大人になって同じ時間を過ごしたい。年の差を恨み、どんな思いでいつも瀬川要を見ていたことか。
「やめた。もう俺にはできない! 物分りの良い近所の兄貴役なんか。そんなの真っ平だ! まつり、来い!」
 瀬川要はまつりの腕をぐいと掴み、車の助手席のドアを開いてまつりを押し込んだ。
 ――要ちゃん? 
 わけが分からなかった。怒ったように顔をしかめている瀬川要に、まつりは何も言えないでいた。
 瀬川要はアクセルを吹かし、乱暴に車を発進させた。冷え切った車内がまつりには瀬川要の心のように思えた。
作品名:プラタナス並木の道から 作家名:asami