月のあなた 上(4/5)
円空庭園 Ⅱ
「…月待、大甘。新学期三日目にしてホームルーム飛ばしとは、やってくれるな」
八時五十五分。
二人が駆け込んだのは、丁度吉田が「以上」とタブレットのスリープボタンを押した瞬間だった。
「登校途中に、怪我していた子をみつけたので遅れました!」
ドアの脇で直立不動の日向と、その隣で不安そうにしている蜜柑。
「とりあえず、皆の分はこれで終了」
吉田は教卓から離れて、ドアの方にやってくる。
百八十センチあろう吉田が目の前に立つと、百五十前後の日向たちは威圧感を感じざるを得ない。
「ほう。で、その子を送ってあげたのか」
「はいっ」
「大甘は? 同じ理由か」
「は、はい…」
吉田は二人の顔を見比べると、眼鏡の奥で面白そうに眼を細め、タブレットを再起動した。
「オーケー。二人とも出席にしておこう」
「え…」
「ありがとうございますっ!」
「だが月待は昼休み職員室に来い。クラス委員への伝達事項がある」
「はあ」
「…? 先生、もう一人の水凪君は」
祇居君から伝えて貰えばいいじゃない、と蜜柑が思った時、
「すみません! 遅刻しました!」
入口から、祇居が飛び込んできた。
「…こういうことだ。ここの委員はどうなってるんだろうな? 水凪、理由は」
「登校中に、採るべき道を間違え、そのために遅れました」
祇居は、直立姿勢で静かに答える。
「駄目だな。ホームルーム欠席…遅刻一だ」
「先生、そんな」
言ったのは、日向だった。
「月待」
だが吉田が上からかぶせるように言うと、口を閉じた。
「水凪も、昼休みになったら月待と一緒に職員室までこい。連絡事項がある」
「はい。申し訳ありませんでした」
祇居は黒髪を垂らして頭を下げると、静かに席に着いた。
クラスは、少しざわついていた。
*
一時間目と二時間目の間の十分休み。
「おっすひな、おっすみかん! おつかれ!」
「ふたりとも、なんか大変だったみたいだね」
もはやそこが定位置であるかのように、晶と法子が、日向と蜜柑の机の間にやってくる。
晶は、日向の机に肘をつくと、手のひらで顎を支えてにやにやしていた。
「…でさあ、ひなちゃんよ。正直どうなわけ? 水凪とは」
「な、なに?」
「だって、昨日呼び出されて、今日また二人とも遅刻だろ。何かなきゃおかしいじゃん」
「あの…わたし忘れないで」
「おっと、みかんに訊けばいいじゃないか。きみの親友は、当学園のアイドルとどんなカンケイなのかね」
「なに、その話し方」
晶は蜜柑の両肩を掴んで揺さぶった。
「いいじゃんよー。おしえてちょー、減るもんじゃねーだろー」
「あっちゃん、それじゃ悪い人だよ」
「なにもないよ…わたしたち、ほんとに二人だけで遅れたの」
「えー、そなのー」
晶が不満そうに呻いた。
「そうだよ」
「そうなんだ…」
法子までが、がっかりした顔をした。
「あいつ、そんなに人気あるの?」
理解できない、という調子で日向が言った。
「ばっ、おま、声が大きい」
晶は大げさに辺りを見回すと、日向に顔を寄せた。
「人気もなにも、昨日の一件で水凪はすでに軽く有名人だぜ。動画もこの通り」
携帯を取り出すと、CHAINのリンクを開く。
この時僅かに蜜柑が身体を硬直させたが、だれも気づかなかった。
携帯の画面で動画が再生される。
そこには、祇居が華麗に柔道部主将を投げ飛ばすシーンが映っていた。
「…学内で動画撮影していいのって、新聞部だけだよね?」
蜜柑が眉を顰めながら言った。
「みかん、ルールが書いてあるだけで、人間がその通り動くわけないだろ」
「まあ、ペナルティもあるから、ほんとは閲覧もいけないんだけど…ちょっと調べた所では、学園内の人間だけで共有してる場合は、先生たちもそんなに厳しく取り締まらないみたい」
「Qチューブとかに上げたら?」
「ばれたら、一発停学らしいよ」
「このクラスは、あたしの声掛けのお陰でナマ観(み)できたやつが多かったからな。始業前の感じでは、親衛隊ができそうだったぜ」
「親衛隊って…ばかじゃん?」
「ちょちょちょちょ…! だから声大きいって!」
両手で押しとどめる様な動作の割には、晶は非常に楽しそうであった。そのままにやにやしながら、クラスのある一方向を見る。
そこには、三石と高蔵寺を中心としたグループが居り、こちらと同じように集まって談笑している。
(あの人たちか…。)
蜜柑はやや気後れした。
いずれもタイプは違えど、華やかな雰囲気の持ち主である。スタイルも顔も素が良く、服装は清潔で体にぴったりと着こなす。
文か武か美か、それとも全てかに対する自信が、立居振舞ににじみ出ていた。
一番上には同じ制服を着ているにもかかわらず、普通の女子と雰囲気が違って見える。
それは恐らく、読む雑誌から行く美容室、使う化粧品にまで渡る差異の集積の結果だ。
恐らく、というのは、蜜柑の家計簿には現状それらの項目が一切存在しないからである。
髪は母親に切ってもらっているし、少ない小遣いはすべてお菓子と書籍に消えている。
良く見れば周りに集まっている全員が、化粧をしていなかった。
いつも男子のような髪型をしている晶に至っては、歯磨き以外していないのではあるまいか。
「まあとにかく、君は非常な高嶺の花に手を伸ばそうとしているのだ」
「だからちがうってば。あっちが勝手に絡んで来てるんだっつの」
「ああ! そんなことをあいつらに聴かれたら…!」
くうー、と晶は額に手を当てた。
蜜柑はちらりと三石の方を見た。
一瞬、その表情がひきつっていたように見えたが、自然に会話を楽しんでいるようにも見える。
(…気のせいかな。)
「あいつ、そんなにいいかなあ」
日向が、熊崎ほか男子と会話している祇居に目を向ける。
つられて、他の三人もそちらを向いた。
「いいんじゃん? あたしにはちょっと線が細すぎるけど」
「でもかっこいいし、美人だし…」
「ていうか、フインキ可愛いよね。ごつごつしてないし、背も低めで」
法子と蜜柑は頷き合った。
「「ねー♡」」
「というわけだ、ひな。これが一般の反応なのだよ」
「ふーん。面食いなんだね、みんな」
「面食いってか…。あ、まさかひな、今時、男はハート、とかぁ…?」
晶が、意地悪く笑って言った。
「男の人は」
言い返す日向の顔は、何故か誇らしげだった。
「いざという時にちゃんと女の子を、受け止めてくれるかどうかだよ」
「「「……」」」
三人ともが、目を丸くして日向をみていたが、やがて、
「うーん、深いね!」
晶が分かったふりをした。
*
そして、昼休みがやって来た。
晶と法子もやって来た。
「いこーぜー!」
「今日もご一緒させてね」
「ひなちゃん、どこでたべる?」
弁当袋とパン袋を取り上げつつ声を掛けた後、蜜柑は思い出した。
「あ、そういえば先生によばれてるんだっけ」
日向は、机の上においた弁当袋に両手を置いたまま、何か考える風であった。
作品名:月のあなた 上(4/5) 作家名:熾(おき)