月のあなた 上(4/5)
「うん…べつにご飯たべてからでもいいとおもうけど。なんか、人を待たせながら食べるのっていやなんだよね」
「ああ…シュウせんせとの用事を先延ばしにすること自体、ストレスあるな」
「用事の長さも分からないしね…じゃあ、済ませたら中庭に来てよ。ゆっくりたべてるから」
「いや、それにね」
日向が言いよどむ。手は落ち着きなく弁当袋を弄っていた。
「ああ、祇居君と行かなきゃいけないんだ」
日向は無言で頷いた。
当の祇居を伺うと、
「…なんで同じ姿勢なんだ。ウケる」
晶が指摘した通り、弁当を机に置いて手を添えたまま、何かを決めかねた表情で前を向いていた。
すると、そこに三石グループが近づいてくる。
「祇居君、ごはん一緒に食べなぁい? みんなでね、祇居君と、お話ししたいなあって言ってたの…。あ、祇居君って呼んで、い?」
相変わらず甘ったるい、僅かに舌足らずな、鼻にかかった声で話す。
すると祇居は、立ち上がった。
「ごめん。ちょっと用事があるんだ」
弁当を机に置いたまま、女子の間をかき分けて、進んでくる。
「え、祇居君!」
それは、殆ど三石が視界に入っていないかのような行動だった。
「月待さん。今、いける?」
「うー…」
日向は小さく唸ると、観念して立ち上がった。
「月待さん」
祇居が目に見えてほっとした顔をする。
「あ、じゃ、ひなちゃんまた後でね」
「がんばれよー」
ここで日向が、爆弾発言をした。
「あ、あんたも弁当持って来なさいよ!」
瞬間、教室が静まり返った。
「――?」
言った本人は、眉根を寄せて辺りを見渡している。
言われた本人は、何も気にすることなく指示通りに動いていた。
「持って来たよ」
「じ、じゃ、いこ」
そして二人のクラス委員は、教室を出て行った。
「…えぇ…?」
三石が、素に戻った声で呟いた。
*
「――で、だ。なんで水凪の旦那はこないんだ」
ひなたさんよ、と晶がいちごミルクから抜いたストローを振りながら詰問した。
「あっちゃん、お行儀悪いよ」
「べつに。あいつは男子と喰えばいいんだから、普通じゃん?」
日向は開いた弁当に対して、両手を合わせた。
「じゃ、なんで弁当持たせたんだ」
「シュウ先生にプレッシャーをかけるためだよ。早く終わらせてって」
あたりまえじゃん、という顔をする。
晶は大きくため息を吐いて、空を仰いだ。
「こりゃあ、だめだ」
「なにが」
「ひなちゃんの乙女偏差値がだ」
「何かわかんないけど、あんたに乙女とかだけは云われたくないわ」
「シュウ先生の用事って、なんだったの?」
意地の悪い笑顔で見下ろす晶と、睨み返す日向の間に、蜜柑が入った。
「べつに…部活動所属申請とか、生活指導資料の提出管理をしてくれ、って言われただけ」
「月待、水凪。お前たち…、もう少し仲良くしろ。特に月待。お前自分がどれだけラッキーガールか、わかっているか」
「にてないよ、あっちゃん」
「あのねえノム」
「うひひ」
「……」
日向は何も言わず、弁当をつつきながら考えた。
ラッキー。
確かにラッキーなのだろう。
あいつはわたしが普通の人間じゃないと知っている。
(…なのに、騒ぎにしない。誰にも言ってない。)
あいつは職員室に一緒に向かう時も、帰る時も、何も云わなかった。
「じゃあ」と別れる時も、やけに古めかしい風呂敷で包んだ弁当を抱えて、微笑んでいるだけだった。気味が悪い。いや、ちがう――
(怖い。)
「ひなちゃん、どうかしたの? 何かあった?」
蜜柑が心配そうに覗き込んで来ていた。
「ん…」
それは、本当に心配そうな顔だった。どこかに落とした大事なものを、さがしているような。
「やっぱり、祇居君と…?」
「うん…」
だめだ、この子の前では、全部言ってしまいたくなる。
「なんだってひ――むぐ」
「あっちゃん、し」
笑顔で幼馴染の口を塞いだ法子は、目で二人を促した。
「いや、あったっていうか」
「うん」
「――一言もあいつ、口きかなかったんだ。職員室に行くエレベーターでも、ドアを開いてくれたり、先に降ろしてくれたりするんだけど…」
「…なんだか、変だね」
四人は一瞬沈黙したが、直ぐに晶が口を開く。
「そりゃ、昨日ひなたが言いすぎたんじゃね―の」
「べつに。あいつが、失礼なこと言うからだよ」
「その、失礼なことって…?」
「言いたくない」
日向は俯いて、膝の上で箸を握りしめた。
その拳を見つめながら、蜜柑が言った。
「そっかぁ…嫌なこといわれたんだね…。水凪君、そんな人に見えないけど…」
見えないからって、しないわけじゃない。
人を欺くために見た目を使う人間が本当に居るのを、自分は知っている。
「……」
日向が、ゆっくりと顔を上げて蜜柑を見た。
その瞳の中に幼い怯えを見た時、蜜柑は口走っていた。
「ひなちゃん、わたし、水凪君と話してみるよ。なにか誤解があるなら解いてあげたいし、本当は酷いひとなら、わたしもあの人とは口きかない」
「みかんちゃん…いいよ、そこまで」
日向は首を振った。
「あ、それわたしも参加したい」
法子が膝を詰めた。
晶も頷く。
「いいね、ならあたしも」
「やめて!」
日向の声は、高く響いた。
中庭周辺に居る他の生徒たちが数人、振り返った。
日向は我に返ると、慌てて三人を見る。
「――あ、あの…ごめん…」
三人は驚いた顔をこそしたが、すぐに自分から謝った。
「ううん、わたしの方こそ、勝手に、ごめん…」
「ひなちゃん、わたしも、ごめんね」
「あたしも。訳も知らずに、騒ぎ過ぎた」
その後、更に日向の箸は進まなくなり、半分も食べない内に、
――ぴっちゃん、ころころころ…
水琴窟の予鈴が鳴った。
(※ 月のあなた 上(5/5)へ続く)
作品名:月のあなた 上(4/5) 作家名:熾(おき)