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熾(おき)
熾(おき)
novelistID. 55931
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月のあなた 上(4/5)

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無自覚症状


 
 岩が二つ立っている。

 間は丁度車が一台通れる程であるが、アスファルトは、岩の前までしか敷かれていない。大きな岩であり、丈は大人の倍くらいある。
 二つの岩は、やや不自然に切れ込んだ両側の山の稜線を断ち切る様に置かれており、その向こうには美しい田畑、小川の灌漑の、農村が繋がっている。

 祇居は今後三年にわたり、平日は毎朝七時十五分までに制服を着、鞄を持って、この入口に立っていなくてはならない。

「――ん」

 少年の顔は僅かに歪んだ。
 目じりに涙が滲んだところを見ると、どうやら口を開けずに欠伸をしたらしい。
 眠気を払うように頭を左右に振ると、祇居は自分の脇にある停留所の時刻表を眺めた。

『桜垣駅前行 7:15 8:15 13:00 17:00』 

 バスが一日に四本あるということを、多いとするべきか少ないとするべきか祇居には分からない。
 祇居が知っている時刻表はこれと、桜垣駅前から皆美学園へ行く時刻表の二つきりである。

 桜垣駅前の時刻表には十分に一本という路線もあったことを思い出す。
 自分が朝歩いてきた風景を思い、都市と田舎の最大の差異は、人口規模と密度であるという実感を祇居は深めた。
 いつか新聞で読んだところではしかし、北の地方に一日一本の電車に乗って学校に通う高校生がいるのだという。
 ゼロか一かというのに比べれば断然自分は恵まれている、と祇居は前向きに結論した。

(あ、そろそろくるな)

 地面の下から振動が伝わってくる。

 やがて、曲がり坂の下からバスがやって来る。
 ただ一人の乗客である祇居は、運転手の顔が見えた所で頭を下げた。
 運転手もまた、内側から手を振りかえしてくる。

 運転手は、路線に滅多にいない定期ホルダーであるこの美しい学生を気に入っている。だから祇居が、会社で今週の話題となった、体でバスを停めた挙句、病人が中にいるという狂言をした長髪の巫女本人であるとは、夢にも思わない。

 バスは村の入り口である岩の門の、脇に切り拓かれた空き地を使って、方向を切り替え、祇居は涼しい顔で乗り込んで行く。

「おはようございます」

 大きな窓からの朝日が、誰もいない座席を白く照らし出している。
 祇居は、後部窓側の席を選んだ。

 バスが出発する。

 曲がりくねった道が段々と真っ直ぐになり、狭かった道が広くなる。
 Y字型に切れ込んでいた谷が、カーテンの様に開かれて行き、眼下に水田と住宅街が混じる桜垣の風景が見え始める。

 住宅街が密度を増していって出来た都市部と、鉄道、そして平野全体を真横に横切る大きな河。
 街のところどころを薄く染める桜が、その河の両端をずっと埋め尽くしている風景は、四度目でも壮観である。
 朝の澄んだ空気に浮き上がる一幅の絵を見ながら、祇居は妹の言葉を思い出した。

 ――あのお姉ちゃん、いつ来てくれるの?――

「……」

 入学式の日、はじめて乗るバスに一緒に感動してくれた妹。その笑顔を、あとすこしで永遠に失うことになるかもしれなかったのだ。

(今後、自分が慣れるまでは、新しい場所に凛を連れて行くのは止めよう。)

 祇居は繰り返し自分に言い聞かせた。

(となると…月待さんの方をこっちに連れて来るしかないんだけど…)

 昨日これが、予想外の難事であることが判明した。

 月待、日向。

 いま頭の中に居る彼女は、腕組みをして「なによ?」とこちらを睨んでいる。

 月待日向。

 自己紹介で席を立った瞬間から、彼女は他とは違っていた。
 本当は、自分と妹を助けてくれた瞬間から違っていたのだが、あの時は全く冷静ではなかったし、校門の前でもう一度出会った時には、もう目が座っていた。

 月待日向。

 昼食をとりながら笑っている月待日向。クラスで友人に囲まれている月待日向。挙手をする月待日向。目が合うとすぐ隣の子に話しかけてしまう月待日向。廊下で出会いそうになると回れ右をしてしまう月待日向…

「……?」

 気づけば、バスがもう住宅街から、駅前へと入り始めるところだった。座席もいつの間にか、人で埋まり始めている。
 次の停留所のアナウンスを聞いて、祇居は動揺した。

(三十分以上も?)

 時間を盗まれたようだった。

(なんか変だ。)

 さっきから頭の中に甦って来るのは、ことごとく彼女のことばかりである。
 しかもそのすべての笑顔は自分以外の人に向けられていて、自分にはしかめっ面や嫌そうな顔や無視しようとするそぶり、そんなのばかりだ。

 ――話しかけないで。

「なんだよ! 僕が何した?」

 そのときの声、表情、息遣いまでが一気に思い出されて、祇居は思わず独り言を言っていた。

「…あ。す、すみません…」

 驚いた周囲の誰にともなく、頭を下げる。

(なんで。)

 いちばんいやな記憶。
 拒絶されたこと。
 そんなものを、自分は昨日からなんどもなんども思い出しては苦しんでいる。

(月待さんは、変な子だ!) 

 まず、初めて会った時と今が違いすぎる。
 それに、女の子たちと僕への態度が違いすぎる。
 あの吉田先生への態度と比べてさえ、大違いなんじゃないか?

(なんなんだ…)
 
 祇居は、ため息を吐いて項垂れた。

「でも、凛には約束してしまったしなあ…」
 
 言って、はっと背筋を正す。

「そうだよ。妹と約束したんだから」 

 僕は、そうだ。
 今日もあの子に話しかける理由がある。