小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」
熾(おき)
熾(おき)
novelistID. 55931
新規ユーザー登録
E-MAIL
PASSWORD
次回から自動でログイン

 

作品詳細に戻る

 

月のあなた 上(3/5)

INDEX|13ページ/13ページ|

前のページ
 

 丸坊主は、着替える前の祇居を見ていなかったらしく、明らかに狼狽した。

「えっ、ちが…あのさ…きみも…おんなのこだったの?」

 この時はまだ、祇居があの「水凪祇居」だとは判明していない。
 丸坊主が見ているのは、流れ落ちる長い黒髪を白い指で結わえ直している、性別不明の(というか美少女にしか見えない)袴姿の一年生だった。

「ご心配なく。ぼくは男です。先輩とはちがって」
「――なんだと」

 タコの様に唇を突きだしていた丸坊主は、侮辱をうけたと分かるや茹で上がった。

「上までこい」

 戦いの場は、板の間である一階剣道場から、この発泡体の敷かれた二階へと移って行く。
 行きがかり上良子と、晶や法子などギャラリーも引き連れて。

 丸坊主が練習していた部員に審判を頼んで、二人は正対する。
 審判が合図するや、頭に血の登っていた丸坊主は、勢いで祇居に掴みかかった。

「あ、いた、いたた」

 だが良子の時と同じく一瞬で後ろに回った祇居は、相手の後ろ手を締め上げていた。

「謝れ」

 それは、傍から聞いてさえぞっとする声だった。

「わ、わかった…あやまる…あやま」
「あいわかった!」

 その時割って入ったのが、柔道部員の中でも一際体の大きな海坊主だった。

「〈逆鱗〉水凪祇居だな――皆美に入ってくれたとは嬉しいぞ」
「……」

 祇居は黙って柔道部長を見ていたが、海坊主はむしろ快活に提案した。

「どうだ水凪、どうせ下げさせる頭なら多い方がいいだろう。二、三年のレギュラー全員とあたってみるか」
「お好きにどうぞ」
 祇居は表情を変えずに答えたという。

  *

「あいつ、そんなこといったの…」

 日向は、信じられない、という顔をした。
 それから、

「げきりんって、なに?」
「ええと…」

 法子が言葉に詰まると、蜜柑が補足した。

「龍の顎の下に付いてる鱗のことだよ。龍は、もとは大人しい生き物なんだけど、そこを触られると相手を殺しちゃうんだって」
「へええ」
「うーん、さすがみかん! ――まあとにかくだ」

 分かっていないことが丸見えの返事をして、晶が話を進める。

「その後の立ち会いは正にちぎってはなげ、ちぎってはなげ」
「ごぼう抜きね」
「三本勝負で、二年の副将までが降参したところで、あたしがクラスメートを呼び出しに回ったって訳だ」
「なるほど…」

 今四人が目にしているのは、最終試合ということだった。

 三年かつ部長にして主将の海坊主の柔軟体操がおわり、審判を挟んで二人が向かい合う。
 開始の合図前にすでに、海坊主は両手を熊の様に広げていた。
 百九十センチ近い巨体の筋肉達磨が迫ってくる威圧感ときたら、半端ない。

(水凪君…)

 それまでを見ていない蜜柑は、心配になって祇居を見た。だが、祇居の表情は、殆ど普段と変わらない穏やかさだった。
 それが逆に、蜜柑の背筋をぞくり、とさせた。

(夫(そ)れ龍の蟲(むし)たるや、柔(じゅう)なるときは押(な)れて騎(の)るべきなり。)

 昔『幻想動物事典』で読んだ『韓非子』の抜粋を思い出す。

「はじめ!」

 一本目。

 上から覆いかぶさるように掴みかかった海坊主は、空気を抱いていた。
 そこから先は、最初の再現だった。
 祇居は後ろから斜め後ろから手首を取り、締め上げる。
 どのような仕組か、祇居が掴んだ手首をぐい、と下にさげるだけで、海坊主の膝が床に着く。

「そこまで!」

 審判が二人を離れさせ、もう一度正対させる。
 そこで海坊主は何を焦ったのか、あるいは相手の冷静さを奪おうとしたのか。

「女”でも”できるような技ばかりか」

 無用の挑発をした。
 祇居が明らかに表情を変えたのを、蜜柑は見た。

(然(しか)れども、其(そ)の喉下(こうか)に逆鱗の径尺(けいしゃく)なる有り。)

「はじめ!」

 海坊主は、流石に今回は両手を拡げる様な事もせず、慎重に構え、自分から仕掛けもしなかった。 

「ぉ――」

 だがそんなことは関係なかった。
 一瞬で。
 祇居の左手は相手の右袖を、右手は左襟を捕えていた。海坊主の上体のバランスが崩れる。
 いつ懐に入ったのか、だれも見えていなかった。

(若(も)し之(これ)に嬰(ふ)るるもの有らば――)

 音を立てて足が払われ、腰が回転する。

(即ち必ず人を殺す。)

 巨体がさかさに浮き、背中から、地面に叩き付けられた。


 場内は森(しん)、となった。

「部長…」
「ぶちょーっ!」

 だが柔道部が叫び、駆けだすと共に、ギャラリーからも歓声が上がる。
 祇居は一礼すると、静かに退場して行った。


(※月のあなた 上(4/5)へ続く)