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サニーサイドアップ
サニーサイドアップ
novelistID. 56539
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センパイんとこ住まわせてもらっていーっすか? <後編>

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 暗闇の向こうから、地面を何か硬いもので叩く音と共に、聞き覚えのある声が飛んできた。和歌子は反射的にびくりと体を強ばらせた。
「ワコだろ?」
 地面を叩く音が早くなった。今最も会ったらいけない人物が、サンダルを蹴立てて和歌子の側に駆け寄ってきた。あっという間の出来事に、和歌子は逃げることも涙を引っ込めることもできなかった。
 
 何でどうして今来るんすかアタシどうしたらいいのどんな顔したらいいんすか
 
「何してんだよ」
 軽く息を弾ませながら、倫が和歌子の前に立った。何とか嗚咽は押しとどめたが、涙と鼻水でぐしゃぐしゃの顔はそのままだ。和歌子の顔を覗き込んだ倫が、はっと息を詰まらせた。
「何かされたんか?」
 気色ばんだ様子で倫が和歌子に詰め寄った。和歌子は無言でぶんぶん首を振った。その拍子に涙が四方八方に飛び散った。
「……そっか」
 倫を覆っていた緊張の膜がふっと解けた。和歌子は視線を倫の胸の辺りにさまよわせながら、混乱した頭の中身を必死に解きほぐそうともがいた。
 
 何か言い訳を考えなくちゃ。この場を切り抜けるうまい言い訳を、早く、早く、センパイに訊かれる前に早く……!

「遅いから心配した」
 穏やかな声だった。優しい、と言ってしまってよかった。和歌子はゆっくり視線を上げて、恐る恐る倫の顔を見た。
 街灯の弱い光の下で、倫は色彩が抜け落ちたような、遠い表情をしていた。
「それ一つ寄越せよ」
 倫は和歌子の手から強引に袋を奪い取ると、「帰んぞ」と、踵を返してすたすた歩き出してしまった。
 和歌子は、闇に溶け込みつつある倫の背中を呆然とした思いで見つめた。
 
 ……理由、訊かないんですか?

 倫は涙の理由に触れなかった。
 和歌子にとっては願ったり叶ったりの展開のはずだ。だけどほっとしたのはほんの一瞬だけのことで。
 次の瞬間には、腹の底がかっと熱くなった。
 気付いたら、思ってもいなかったことを大声で口走っていた。

「さっきの話、ほんとうですか?」

 暗闇の向こうから響いていた足音が、ぴたりと止まった。和歌子は肩でふーふー息をしながら返事を待った。腹の熱は今や全身に回り、頭の中がかっかしている。

「さっきの話って?」
 
 とぼけてるの!?それともセンパイにとってはどうでもいい話なの!?
 アタシがこんなにぐしゃぐしゃになってるのに!?
 
 暗闇の向こうから投げ返された言葉が、ヒートアップした和歌子の脳内に燃料を投下した。地面に埋まっていた両足を引っこ抜き、倫に向かって猛然と駆け寄った。
「センパイの元カレの話です!忘れちゃったんですか?」
 駆け寄りざま、まるで喧嘩をふっかけるような勢いでまくしたてた。
 首だけで振り返っていた倫は、体ごと向き直ると、
「龍一先輩のことか?」
 とぼそりと訊いた。
 龍一先輩……。改めて倫の口からその名前を聞いて、和歌子の心臓は締め上げられたようにぎゅっと痛んだ。
「つ、付き合ってたって、ほんとうですか?」
 問いつめておきながら、和歌子は倫の顔を見ることができなかった。
「ほんとだよ。一年の時付き合ってた。すぐ別れたけどな」
 ひと呼吸分の間を置いて倫の口から出た言葉は、和歌子を打ちのめした。
 他人の口から聞くのと本人から直接聞くのとでは、衝撃の度合いがまったく違った。耳の奥でぐわんぐわん音がして、握りしめたこぶしがぶるぶる震えた。体がねじ切れそうなほど切ないこの気持ちは、どこから湧いてどこに行くんだろう。
「な……んで別れたんですか」
 そんなこと知ってどうしようというのか。もうどうにでもなれという捨て鉢な気持ちだったのか。和歌子は自分の気持ちに収拾を着けることができなかった。
「そんなことお前に何の関係があんだよ?」
 固くて冷たい声だった。何となく、悲しげにも聞こえた。和歌子は何も言うことができず、ぎゅっと唇を噛み締めた。
「もしかして、嫉妬でもしてくれてんのかよ?」
 一転して、からかうような、嗤うような口調だった。
 
 もしかして、嫉妬でもしてくれてんのかよ?
 
 その言葉を聞いて、かっかしていた頭が、一瞬でしんと冷えた。
 和歌子は生まれて初めて、倫に対して心底からの怒りを覚えた。

 嫉妬してたらどうだっていうんですか。嗤うほどおかしいですか。

「……だったらどうなんですか?」

 和歌子は地を這うような低音を絞り出し、倫をねめつけた。
 
 だが、倫の表情を見た途端、和歌子の中にわき上がった怒りの感情はあっさり吹き飛んでしまった。
 倫は、切れ長の細い目を大きく見開いて、驚愕の表情で和歌子を見つめていた。
 
 和歌子の言葉は、倫にとってまったくの予想外だったらしい。

 倫は表情を凍り付かせたまま、言葉を探すように唇を小さく開け閉めしている。和歌子はここに来てようやくその言葉の持つ意味の重さに気付いて、全身から血の気がサーッと引いていくのを感じた。だけど一度口から出した言葉は、二度と引っ込めることはできないのだった。
 
 気まずい睨み合いの時間は、長くは続かなかった。

 先に折れたのは倫だった。見開いていた目をすっと伏せ、くるりと踵を返すと、怒ったような足取りで歩き出した。
 和歌子は倫の姿が見えなくなってから、よろよろ歩き出した。裸の腕で顔をごしごし擦りながら。
 
 どんなに気まずくてもどんなに苦しくても、和歌子が帰る場所は、あのぼろアパートしかないのだった。