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サニーサイドアップ
サニーサイドアップ
novelistID. 56539
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センパイんとこ住まわせてもらっていーっすか? <後編>

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 平気で背中に飛びついてきたり、体に触れてきたり。高校時代から変わらない和歌子の無邪気な振る舞いに翻弄される度、倫は心臓が飛び出そうな心地になり、一時期このままでは本当に心臓がどうにかなってしまうのではないかと不安になったものだった。だが最近、そんな振る舞いはぱったり影を潜めていた。
 要するに、人並み以上に狭かった和歌子のパーソナルスペースが、ある時を境にぐっと広がったようなのだ。それが世間全般に対してなのか、それとも倫限定なのかは今のところわからないが。
 とりあえず心臓病の心配は去った訳だが、どうにも腑に落ちないところがあった。
 近付かないくせに、離れたがらないのだ。
 ベランダで煙草を吸っていると、「失礼します」と隣にやってくる。懲りたのか、もう煙草をせがんでくる事は無いが、ろくに話もしないくせに、倫が煙草を吸い終わるまで隣でじっと身を固くしている。
 朝家を出る時、以前は「早く帰ってきて下さいね~お土産待ってまーす」なんてケラケラ笑いながら言っていたくせに、今は上がりかまちに突っ立ったままうんでもすんでもない。仕方なく「行ってくる」と声を掛けると、「行ってらっしゃい……す」と下を見ながら素っ気なく呟くのだ。だが外階段を下りて何気なく見上げると、ドアのすき間からこちらを見下ろしている和歌子と目が合ったりする。もちろん次の瞬間には、バタンとドアは閉じられる。
 和歌子の心持ちがわからない。一言で言えば、ぎこちないのだ。

 だけど、と倫は思った。
 ぎこちないのはお互い様かもしれない。

 元々機能不全の二人が、ひょんなことから始めた同居生活なのだ。しかもその片方……自分は、相手に対してあらぬ思いを抱いている。
 スムーズに行く方が不自然なんだ。倫は無理矢理そう思う事にした。

 それに。

 どんな形でもいい。カッコ悪くてもズルくてもいい。ただ、アイツの側にいたい。

 不自然だろうがぎこちなかろうが、倫はこの生活をーー和歌子との生活をーーもう二度と、手放したくはないのだった。

 ♢ ♢ ♢

 8月中旬。黒倉建設は、3日間のお盆休みに入った。
 
 テレビのニュースでは駅の混雑が映し出され、定点カメラが高速道路の渋滞を垂れ流していた。
 家族と疎遠で、行楽地に出かける金も無い。帰省ラッシュもUターンラッシュも別世界の出来事の倫と和歌子は、蒸し暑いアパートの一室で、扇風機の風に当たりながらぼんやりテレビ画面を眺めていた。座卓に置いた麦茶の瓶が盛大に汗をかき、丸い水の輪っかを形作っている。開け放った窓からは、生暖かい風と8月の容赦ない日差し、そして人々が織りなす生活の音が途切れなく流れ込んでくる。
「……あちーな」
「……そっすね」
 朝から何度この不毛なやり取りを繰り返しただろう。言っても涼しくなる訳ではないのだが、放っとくと何かの拍子に口から転がり出てしまうのだ。
 
 どっかに連れてってやれりゃいーんだけどな。
 
 和歌子は座卓に両肘を突いてだるそうな表情でテレビを観ている。

 ごめんな、ワコ。

 倫は仰向けに寝転がり、和歌子を目の端でちらりと見やると、心の中でそっと謝った。
 和歌子は高校卒業したてのまだ19、今が一番遊びたい盛りだろう。盆休みくらい和歌子をどこかに連れ出してやりたい所だが、いかんせん懐事情がそれを許さなかった。正直、今の倫の稼ぎでは二人分の食費を捻出するのも危ういのだ。そこを気にした和歌子は、最近になってバイト探しを始めたところだった。「すぐバイト決めて、食費くらい入れるっす」と息巻く和歌子に、「ゆっくりでいーぞ」と言った倫だったが、和歌子の申し出は正直ありがたかった。
 だが、本音の本音では、そんなことはどうでもよかった。倫はこうして和歌子と過ごす事ができれば何も要らないと思っていた。
 
 贅沢なんかしなくていい服もぼろでいい一日一食でもいい何なら煙草も酒も今すぐ止めたっていい。
 和歌子が側にいてくれさえすれば、私はどうなったって構わない。

 倫は本気でそう思っていた。
 だが、そんな自分の我がままに和歌子を巻き込む訳にはいかなかった。和歌子は和歌子らしく、明るく屈託なく過ごして欲しかった。今までの過酷な生活を、全部リセットできるくらいに。
 さて、取りあえずこの3日間どう過ごしたもんかな。倫は何か妙案が浮かばないかと天井を見上げてむむむと唸った。
「あ、あの、センパイ」
 倫と天井の間に、和歌子がおずおずと顔を挟み込んできた。ん?と目顔で答えたら、
「今ヒマすか?」
「……」
 これが暇じゃなかったら何を暇と言うのだろうか。
「見りゃわかんだろ」
 とんちんかんな質問に吹き出しそうになるのを堪えながら、コイツのこういう所が人を惹き付けるんだろうな、と倫は思った。
「そ、そっすね」
 和歌子はエヘヘと笑いながら、テレビに視線を戻した。
 ……
 ……
 ……
 いくら待っても、和歌子はそれ以上何も言おうとしなかった。
「おい」
「はいっ!?」
 痺れを切らして声をかけたら、和歌子は座ったまま宙に飛び上がる勢いで居住まいを正し、倫に向き直った。
「何か用事あったんじゃねーのかよ」
「あ、いや、その……」
 和歌子は言いずらそうに、正座した膝頭をもじもじこすり合わせている。自分にびびって言えないのかと思い、倫にしては最大限の努力で
「怒んねーから言ってみな」
 と努めて優しい口調で問いかけた。和歌子は少しひるんだ様子だったが、口をもぐもぐ動かしたあと、ぽつりぽつりと喋り出した。
「えっと、まあ、天気いーし、ちょっと外、散歩しませんか......なんて」
 倫は上半身を持ち上げ、ぽかんと和歌子の顔を見つめて訊いた。
「……散歩?」
「……はあ」
 倫は窓の外に視線を向けた。真夏の太陽はちょうど中天に差し掛かった所で、ギラギラぎとついた日差しが暴力的な勢いであたりに乱反射している。アスファルトなら余裕で溶けそうな勢いだ。
 本気か?倫は和歌子にゆっくり顔を戻して訊いた。
「今?」
 倫の様子を見てまずいと思ったのか、和歌子はあわあわと胸の前で両手を振った。
「いや、じょーだんっす! 炎天下に散歩なんてヤンキーのすることじゃねっすよね!」
 和歌子は額に汗をかきながら「あ、麦茶冷やしとこっかな」と席を立とうとした。倫はハッと思い立ち、「待てよ」と制した。
「いいよ、行こう」
「え?」
 倫の言葉が意外だったのだろう。和歌子はきょとんとした顔でその場に固まった。
「すぐ出るぞ」
「え、でもセンパイ、外めっちゃ暑そうで……」
「つべこべ言ってねーでさっさと用意しろよ」 
 和歌子の言葉を遮って、倫は身支度するべく流しに向かった。
「う、うっす」
 背中で聞こえた和歌子の返事は、戸惑い半分嬉しさ半分といった声音だった。

 予想外の言葉に面食らったが、和歌子が何かを望むのは、実は珍しい事だった。一見ワガママ勝手そうに見えるが、和歌子はどこか人生を諦めている所があり、物事への執着心が薄く、普段の言動にもそれが現れていた。