My Funny Valentine
カノはヨシコさんのトランペットが好きだ。
普段あんまりしゃべらないヨシコさんは、トランペットを吹き始めると、とたんにおしゃべりになる。彼女の吹くトランペットは音楽じゃない、彼女の声だ。
それはまるで、助けを呼ぶ声のような、いままで聞いた事のない、自分の本当の声のような、そんなトランペットを吹くヨシコさんは、誰にも言えない思いを胸に秘めていた。
1 ヨシコさん
トランペットはお父さんが買ってくれた。そのお父さんとわたしは今、離れて暮らしている。お父さんが転勤しているシカゴは遠いけど、小さい頃からひとりだったわたしには、どこであろうと一緒だった。
昔から出張が多かったお父さんを、ひとりで待つことにわたしは慣れている。お父さんが週に一度は必ずくれるメールにはたまに寂しいって書いてあるけれど、わたしからは一度も、寂しいと書いたことはない。
お父さんがいないことなんて、いつものことだったし、それにわたしは、いつもひとりだったから、寂しいなんて当たり前で、なんでもないはずだった。今の家には新しい家族がいるけれど、お父さんがいないことと、わたしがひとりで待っていること。それは昔と変わらない。わたしは、昔と変わらずひとりだった。
わたしは自分の本当のお母さんを知らない。お母さんはわたしがまだ赤ん坊の頃、病気で死んだ。だからわたしにはお母さんとの思い出がない。
一番小さい頃の記憶はお父さんのピアノだった。音楽が好きなお父さんは休みの日によく、リビングのソファで絵本を読むわたしのためにピアノを弾いてくれた。
普段仕事で忙しく、なかなか一緒にいられないお父さんのお休みの日、わたしの読む絵本に合わせていろいろな曲を弾いてくれる、お父さんのピアノが好きだった。お父さんの話だとわたしは赤ん坊の頃からピアノが好きで、夜泣きするわたしをいつもピアノを弾いてあやしたそうだ。
そのピアノの上にはお母さんに抱かれた赤ん坊のわたしとそれに寄り添うように立つお父さんの写真。その写真は、わたしが中学に入り、お父さんが再婚するまでリビングのピアノの上に飾られていた。
わたしが自分の吃音を意識したのは保育園の頃だった。お父さんはもっと早くから気づいていて病院や知り合いの医師にわたしを会わせていたが、その時のわたしには自分がなんのためにその人たちに会っているのかわかっていなかった。
わたしは月に一回お父さんと一緒に地域のことばの教室に通い始め、呼吸やおしゃべりの練習をするようになると、自分のおしゃべりと他の人のおしゃべりの違いを意識するようになった。ことばの教室の指導で毎晩、お父さんと一緒に絵本を声に出して読んだ。ひとりで読むとつっかかるのに、お父さんと一緒に読むと読みやすかった。
誰かが助けてくれると思うと安心して読めたけど、あの頃のわたしはお父さんの話や音楽を聞いたりしているほうが好きだった。
ある日、お父さんがわたしにトランペットを買ってきた。子供用のポケットトランペットだった。その金色の短いトランペットをわたしは喜んだ。わたしの小さい手にもぴったりだったし、あんなかわいい楽器を見るのは初めてだった。
お父さんは、わたしが音を出せなくてすぐ飽きてしまうと思っていたようだけど、わたしはその夜のうちに音を出した。はじめは無闇にただ息を吹いているだけだったから何の音も出せなかったが、きちんとお腹から息を出してみると、少しの息でも簡単に音が鳴った。ことばの教室で習った腹式呼吸と同じだった。
はじめて音が出た時はうれしかった。おならみたいな変な音だった。自分の出したその音がおかしくてトランペットを吹いては笑い転げた。まったく音が出せないお父さんを前に、わたしは得意になって吹き続け、その夜はトランペットと一緒に眠った。
自宅で吹くには大きすぎる音が出るその楽器を練習する為に、お父さんはわたしを近所の音楽教室に通わせてくれた。初めはお父さんと一緒に通っていたけど、慣れてくるとひとりで通うようになった。トランペットと譜面を入れるバックはその頃のわたしには重かったが、ひとりで通う自分と黒い楽器ケースが大人っぽくて、誇らしかった。
幼稚園に入ると自分の言葉のつまりに対する他人の目が気になるようになった。吃音を知らない子は驚き、めずらしがり、おもしろがり、飽きるとおしゃべりの邪魔だと迷惑そうな顔をした。吃音を友達に真似されることもあったけど、わたしはそのことをお父さんに言ったことはなかった。心配させたくなかったからじゃなく、早く忘れたかったからだ。お父さんに言うためにはもう一度、自分がその日言葉に引っかかったことを思い出さなくちゃならない。それがたまらなく嫌だった。
一度言葉に引っかかると、引っかかることを恐れるあまり緊張してよけいうまくしゃべれなくなる、わたしは、そんな自分をもう一度思い出したくなかった。家の中ではせめて、自分の吃音を忘れていたかった。
家ではちゃんとしゃべれても、幼稚園ではうまくしゃべれない。慣れていない友達が近くにいると思うと、その友達にわたしのおしゃべりが聞こえていると思うとそれだけで緊張した。つまりそうな言葉を避けたくて、言葉を選ぼうとすると何も浮かばなくなって、頭の中が真っ白になった。
ことばの教室では、もし緊張してしまいそうな時には腹式呼吸をするように言われていた。だけど、それでもダメな時にわたしは、自分のトランペットの音を思い出すようにしていた。
音楽教室は楽しくて、個人レッスンの先生は美人でやさしくて好きだった。いつも次の教室が待ち遠しかった。家で楽譜を眺めていると、教室で出した自分の音が頭の中で鳴った。そんな時わたしはマウスピースだけを口に当てて、指でバルブを動かした。早く吹きい、思い切り吹きたいと思った。消音ミュートを持っていなかったわたしが我慢出来ず、布団を被ってトランペットを吹くと、それでも大きな音が出ていて驚いたお父さんが飛んできた。
音楽教室に通い始めて数ヶ月すると簡単な曲が吹けるようになってきた。練習は大変だったけど、少しずつ上達していく自分がうれしかった。楽譜を見て指が自然に動いていくようになり、身体からトランペットを通じて吐き出される自分の息を、音として耳で感じると、自分自身が楽器になった気がした。
幼稚園の最後の年のクリスマス会で、わたしは初めてみんなの前でトランペットを吹いた。吹く前はどきどきしたけど、こわくはなかった。それよりも、早くみんなにトランペットを聞かせたいという気持ちのほうが強かった。
あの日、暗い幕の後ろでどきどきしながら舞台が開くのを待っていたわたしは、生まれて初めて人の前に出ることを楽しみに感じて、手のひらにかいた汗を天使の白い衣装で拭いた。
キリスト様の劇の幕が開くと小さなステージの上で、天使の格好をしたわたしはトランペット・チューンを吹き始めた。仲のよい友達やいじわるな子たち、見にきていたお母さんたち、みんなが驚いた顔でわたしを見上げていた。暗くした幼稚園の大部屋の中で、わたしにだけライトが当たり、わたしの金色のトランペットは誇らしげに鳴った。
あの時わたしは、わたしのもうひとつの声を見つけた。
2 カノ
作品名:My Funny Valentine 作家名:MF