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古い歯ブラシ
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完 千に一つの青い森

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3、ただひとつ

 どうやら私はまだ逮捕されないらしかった。今のうちに、何とかしなければ。
 母は知っているはずだ。父が失踪したのではないことも、弟のことも。そして、母は弟の死を私のせいにしようとしている。
  母は今、どこにいる? どこに隠れている?
 私は必死に考えていた。
私は今、歪んだ水槽に戻された1匹の金魚だった。ここは歪んだ水槽なのだ。歪みから目を逸らせてはいけない。歪みを見つめろ、その歪みの中に、答がある。私は自分に言い聞かせていた。
 父の記録によると、曽祖父は研究室から『大魔王』を盗み出すために、通路を作ったという。その通路はどこにある?
曽祖父といえば、ここにも彼の肖像画がある。
私は研究室を出ると、休憩室に入った。
テーブルの上には、冷凍ピザの空袋があった。
このピザはどこの冷蔵庫にあって、どこのレンジで温めたのだろう。そんなこと思いながら、私は曽祖父の肖像画に近づいた。左側に手垢のついている場所があった。
私はそこを押した。
ぎし、と音がして、肖像画がゆっくりと半円を描いた。肖像画の後ろに下りていく階段が現れた。
「これ、隠し扉だったのか。」
近藤と三瓶が驚いた。
 「これが、曾祖父が『大魔王』を盗みだすために作った通路なんだわ。これが屋敷から森に行く近道だったのね。」
 何という執念だろう。完全犯罪で人を殺すために、曽祖父はこの通路を作ったのだ。
階段は真っ暗だった。私たちは手探りで壁を伝いながら、一足ずつ降りて行った。階段の先には細長い通路があった。その通路も手探りで進んだ。壁は土壁で、ひんやりとしていた。
やがて通路は行き止まりになった。
 「この壁のどこかに、開口部があるはず。」
私はそう言いながら、壁を探った。
 「きっと、この先は、屋敷の地下室につながっているのよ。リネン室や食品庫のある、あの地下の突当りにも、肖像画があったから。」
 「なるほど。肖像画が隠し扉というわけか。」
 近藤が言った。
 「ええ。」 
その時、
「誰だ!」
三瓶が叫んだ。
 「誰かいます! こっちです! 左!左!」
 私たちは左側を手探りで進んだ。
 「誰かが明かりを持っていた。あ、ここに、階段があります。」
 三瓶は叫び続けていた。
行き止まりに見えていた左側に、昇って行く階段があった。私たちは階段を足で探りながら1段ずつ登った。長い階段だった。
 階段が終わると、ドアがあった。三瓶がドアを開けた。
 光が差し込み、急に明るくなった。 
そこは母の寝室だった。
ベッドの脇に母が立っていた。母は真っ赤なドレスを着て、右手には懐中電灯を持っていた。
10年ぶりに見る母は、明らかに常人ではなかった。目がぎらぎらと燃えていた。
 母は私を見るなり、怒鳴った。
「この親不孝者。警察に連れられて戻ってくるなんて。」
「あなたが警察に電話をかけたからでしょう。」
私が言った。
「何だって。何を言っているの。」
「そもそも、あなたが1か月も隠れているから、こういうことになったのよ。人が来ると、隠し扉の後ろに隠れていたんでしょう。」
母は黙っていた。
「この置手紙を書いたのも、あなたでしょう。」
私はベッドの上の便箋を取り上げて、母に突き付けた。
「何が『満月の晩に、私に殺される』よ。私があなたを殺すはずがないでしょう。だって、私はあなたに何の関心もないのだから。」
そう、私には母と弟を殺す動機がない。家出して10年。母や弟、桃山家に対する憎しみを、私はとっくに失っていた。それは、愛も失っていたということなのだ。生きるために必死になっているうちに、いつしか無関心になっていた。愛の反対は憎しみではなく、無関心だというのは本当だ。私は彼らが生きようが死のうがどうなろうと知ったことではなかった。
だが、罪悪感はあった。親兄弟を愛せない自分は、だめな人間なのだといつも思っていた。自分の無関心に、自分で傷ついていた。
この痛みは誰にもわからない。誰にも話せない。だから私はこの痛みを一人で抱えて生きていくつもりだった。
なのに、それもできなくなった。自分の暗闇を、自分でさらけ出すなんて。
「そんなの、ただの腹いせで書いただけさ。深い意味なんてないよ。」
母が言った。
「腹いせ? ずいぶん、ひどい腹いせですね。」
近藤が言った。
「ただの親子喧嘩だよ。警察の出る幕じゃないね。」
母が言った。
「1階にあった便箋も、あなたが書いたのね。『私が弟を殺した』だなんて。」
「だって、そうじゃないか。おまえが弟を守ってやらないから、勝太郎ちゃんが死んじゃったんだ。おまえが殺したも同然なんだ!」
「どうして弟は亡くなったの。」
「死んじゃった、死んじゃった、大事な勝太郎ちゃんが死んじゃった。」
そう言うと、母は顔を歪めて泣き出した。
「どうしてすぐに救急車を呼ばなかったの。」
「わああん。わああん。」
母は手を振りながら、大泣きしていた。
「お前が死ねばよかったのに! 勝太郎ちゃんの代わりに、お前があそこに行けばよかったんだ!お前が悪いんだ!」
「わかった。弟は自分からあそこに行ったのね。そしてあそこで亡くなった。弟は何をしにあそこに行ったの。」
 「お前になんか、教えてやるか。」
 「そう、私には知られたくないことなのね。つまり、」
つまり、母にとって、とても大切なことだ。
「もしかして、青い桜が咲いたの?」
私が尋ねると、母の嗚咽が止まった。
「あれは私のものだ。」
母が怒鳴った。
「あの青い桜は私のものだ。今、桃山家はどん底にある。貯えはなくなり、収奪できる人間もいなくなった。それどころか、財産の差し押さえ、没収が迫っている。だが、あの青い桜さえあれば、この苦境を逆転することができる。桃山家は再び世界で唯一の、選ばれた一族になれる。」
母の目には狂気が満ちていた。私は思わず母から目を逸らせた。この血が私の体にも流れているのかと思うと、ぞっとする。
「ほら、その目。」
母の目がさらに光った。
「お前のその目。おまえはいつだってそうだ。桃山家を軽蔑している。この家に生まれたくせに、この家の血を恥じている。おまえには絶対に、この家も、青い桜も渡さない。」
母の憎しみは空気の渦となって、私にぶつかってきた。母のことばが古傷に刺さった。
「青い桜が咲いたのは、いつなの。」
「1か月前だよ。ベランダから見えたんだ。」
「1か月前?3月初めに、桜の花が咲いたの?」
「馬鹿にするな。ほんとうに咲いたんだ!」
母は怒っていた。
「馬鹿なお前に教えてやろう。この森の桜が普通の桜だと、この山も桜も差し押さえられてしまう。だが、青い花が咲けば差し押さえられないんだ。ずっと私のものなんだ。」
「そうか、『差押禁止動産』か。民事執行法 第131条 (12)だ。」
三瓶が言った。母がうなずいた。
「おまえ、詳しいな。」
近藤が驚いた。
「俺は刑事は知っているが、民事までは知らん。」
三瓶は説明を始めた。