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LISBOA 記憶の欠片 1 (8/5加筆)

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 これでは時間を潰せるテーブル席など空いているはずがない。片岡が言った「小さな広場に面したカフェ」を見つけたものの、エリは途方に暮れてしまった。だが、カフェの目の前にまだ実をつけたオレンジの木があって、その下に小さなベンチがあった。二人掛けのうち半分を初老の女性が陣取っていたが幸いもう半分は空いていたので、エリは取りあえずそこに腰掛けることにした。
 ベンチに座って少し気分が落ち着くと、彼女はまず店の外観を見回した。この界隈では道の脇やこうした小さな広場で街路樹のつもりなのか、オレンジの木をよく見かけるのだが、ここも例外でなかった。古びた家並みに合わせた白い漆喰と石垣の外観に黒のペンキで塗られた扉と窓枠。そして扉と窓枠を囲むように、深い緑と黄色の花紋のタイル装飾が控えめに施されていた。一見はこの界隈らしいたたずまいだが、漆喰が塗り直された形跡があり、タイルにも欠けやひびがなく、比較的最近修復されたか改装されたことがわかる。
 そして、この街では大抵の菓子屋兼カフェのショーケースは窓際にあるのだが、この店にはない。ベンチから店の窓の奥を覗くと、客席が見えた。すると、外の混雑とは裏腹に空席があるようだった。テーブル料金を取られたくない客は立ったまま菓子を食べたりビカを飲んだりしているのだ。だがエリはテーブル料金を取られることを気にしない。早速店のテーブル席に座るべくベンチから立ち上がり、店の入り口のドアを開けた。店の中の壁も漆喰で、店の看板と同じ鉄製のオーナメントで所々装飾されていた。白一色の壁にモノクロームの絵画があるような効果を与えている。
 床は石畳風で、テーブルは恐らく古いものを集めて修復しているのだろうが、全て黒く塗られている。椅子は同じく黒と、クッション部分は鮮やかな黄緑だった。
 色彩は現代的でシンプルだが、店内の内装自体はクラシカルで落ち着いた雰囲気もあり、この界隈の店にしては珍しく洗練されているとエリは思った。そして、そして普段は興味も持てないポルトガルの伝統菓子が並ぶショーケースにもいつになく目がいった。
 日本でいうエッグタルトはもちろん、他の菓子もこの街ならどこにでもありそうなものばかりなのだが、全体的に少し小ぶりで形も綺麗だった。パイ菓子の薄い皮はまるで花びらのように重なり、粉砂糖で化粧した姿がいかにも美味しそうで、吸い寄せられるように指を指して注文してしまった。片岡が見れば必ず注文するナタも一つ頼んだ。飲み物は、この街のカフェのお茶の味が悲惨なことは身を以て学習していたから、仕方なくガラオンと呼ばれるカフェオレを選んだ。これも日本やフランスのカフェオレとは似ても似つかない、生温くて味の薄い飲み物で美味しいとは言い難いのだが。
 先にレジで会計を済ませてテーブルで待つこと数分、若い女性のホール係が注文した菓子と飲み物を持ってきた。使われている食器もシンプルだがデザインがいい。ガラオンはガラスのタンブラーで出てくるのが普通だが、この店では円筒形の美しいグラスが、コルクのコースターの上に乗せられている。
「もしかして、日本の方ですか?」
 ホール係の女性が英語で話しかけてきた。
「ええ」
「この店のオーナーも日本人なんです。お菓子は全て彼が作っています」
「へえ…そうなの?」
 だからか、とエリは納得した。一見とてもポルトガルらしくもあるが、全てが行き届いた店の様子には確かに日本人らしさを感じる。
 誓の他にもこの街で商売する物好きの日本人がいたのかと、エリは苦笑いしながらパイを手に取って口に運び、一口かじった。
「あ…美味しい…」
 かじりかけた菓子を見つめてエリは思わず呟いた。薄いが歯ごたえのあるパイの間にアーモンドのクリームを挟み込んである。あっと言う間に一つ食べ終えてガラオンを一口飲んだ。こちらも自分がよく知るカフェオレの味に近く快適に喉を潤してくれる。
「君がそんなものを食べてるなんて珍しいな」
 すっかり満足して今度はナタを口に運ぼうとしていたエリの目の前で声がしたので、驚いて目を上げると片岡が腕組みをしてテーブルの前に立っていた。
「あら、もう終わったの」
「君が早く迎えに来いって言うから急いで済ませて来たんだろ…何だよ、美味そうだな、それ」
 早速菓子に興味を示した片岡に、エリはこくりと頷いた。
「美味しい。ここのは絶対美味しいと思う。お店の雰囲気もいいし…流行ってるわけよね。誓も何か頼んできたら」
 そうする、と一言返して片岡もショーケースを覗きに行った。
 まずビカを注文して、焼き菓子を選びながらカウンターに立っている店員とやり取りしていると、奥の厨房から白い作業着を着た男が一人、籠を手にして出てきた。籠には焼いたばかりのナタがぎっしり乗せられている。
「これで最後だよ。よろしく」
 ショーケースに見入っていた片岡は思わず顔を上げた。
 カウンターの店員にかけられたその男の声に覚えがあったからだ。
 籠を抱えた男の方も片岡に会釈しようと振り返ったが、一瞬驚いたように動きを止めた。
「…瞠」
 先に名を呼んだのは片岡の方だった。

「君は……片岡?片岡…誓か?」

          二
 片岡が卯藤瞠(みはる)に出会ったのは、父の勧めで一時東京の大学に編入していた時だった。彼は既にコロンビア大を卒業していたが、在籍中に立ち上げた会社を一旦売却して時間に余裕があったからだ。
 卯藤とは大学の学食で出会った。学食で働いているのを見かけたのだが、学生がバイトで入っているのだろうと思っていた。男にしてはやや華奢で綺麗な顔立ちだったから何となく目がいったのだが、彼が食堂のカウンターから学生達を見つめる様子が気になった。何だかとても…遠い世界を見つめているような、寂しさを湛えた瞳だった。
 ある時午後一番の講義が休みになったので、時間を潰すために本を持って学食へ行くと、昼食のピークが過ぎて閑散とした食堂のテーブルを拭いて回る卯藤の姿があった。声をかけて少し話をしてみると、二つ年下の彼は学生ではなく、高校を出てからこの食堂と、夜は別の飲食店でバイトをしてどうにか生活をしているとのことだった。そして幼い頃に両親と生き別れて施設で育ったのだと、淡々と語った。彼があんな顔をして学生達を見ていた理由を片岡は察して心の中で同情したが、当初はそれ以上踏み込まず食堂で彼と出会うと挨拶を交わす程度しか関わることはなかった。
 見てくれもよく目を引く経歴の持ち主だった片岡は、女子学生たちの注目の的だったのか何かと言い寄られていた。しかしまんざらでもないと言えば嘘になるものの、それで優越感に浸れるほど単純な性質ではなく、ニューヨークの女子学生に比べると子供っぽい彼女たちを物足りなく感じた。