遠い道程(みち)
思えば遠くまで来たもんだ
ある時 ふっと思った
背後を振り返ってみれば ひたすら続く一本の道
また前に向き直れば ずっとはるかに続くひとすじの道
その道を自分はずっと歩き続けてきて
これからも歩き続けてゆくんだろうなと思った
人が人生について考えるのは どんなときなのだろう
哀しい時 辛い時
それとも嬉しい時 歓びに溢れている時
遠くまで歩いてきたと思ったけれど
私のゆく手にはこれまで歩いてきたよりも更に何倍もの距離の道がのびている
私が目指すものは そのはるか彼方にある
あるときは それ故に苦しみ悩み傷つき
あるときは そのお陰で生きるということの歓びと意味を知った
私には大切なものがたくさんあり かけがえのない人たちがいる
それでもなお私が私らしくいられるのは遠方に待ってくれているものがあるからだ
ひとすじの道を私は歩き続ける
遠くで待ってくれるものが小さな灯りとなって私の足下を照らしてくれるから
はるか遠くで瞬くささやかな灯りが私のゆく道を小さな歓びで満たしてくれるから
私は今 この上なく静かなこころでゆく先を見つめている
☆昨日、この詩のことを思い出しながら、ふっと今まで歩いてきた道を思い出たんです。
その中で特に印象的というか忘れられない出来事があります。
私は若い頃には、まさに投稿時代という時代を過ごしていた時期がありました。
自作の小説を次々色々な種類の出版社の主催する文芸コンテストに出していました。
〝公募ガイド〟という有名なコンテスト情報誌があり、それを見て〝公募カレンダー〟というのを
自分で作っていました。
○月○日 A社 ○○大賞 というようにズラリと書き連ねて、それに片っ端から応募してい
ました。
下手な鉄砲も数打ちゃ当たる式で、その中の幾つかは当たったものもありました。
そんな中で、とある出版社が主催する文庫大賞といものがありました。
結構大きなコンテストでした。
私はそのコンテストで3度、最終選考に残ったことがあります。
しかし、最初の2度は入賞は果たせませんでした。
一度目も二度目も悔しくて辛くて泣きました。
なので、三度目にまた速達で最終選考通知が来たときは、今度もどうせまた駄目だろうなと
諦めていたら、三度目の正直で優秀賞に入賞することができたのです。
本当に嬉しくて、今度は別の意味で泣きました。
入賞作の出版化も決まり、担当の編集者さんも決まって、書籍化に向けて期待と歓び一杯
の日々を過ごしていたある日、担当さんから電話がありました。
その内容は―、出版社の経営状態が思わしくなく、今の状態では出版は難しくなったという
ものでした。
眼の前が真っ暗になりました。
結局、それは現実となってしまい、私の入賞作品は出版されることはなく、
当初貰えるはずであった入賞金も貰うことはありませんでした。
そのときはもう涙さえ出ませんでしたね。
なにか茫然自失の日々でした。
入賞金はどうでも良かったけど、待望の書籍化を逃した私のショックは大きかったのです。
しかも三度目でやっと手にした入賞だったのに―。
この世には神も仏もいないんじゃないだろうかと本気で思いました。
ですが、いつまでも落ち込んでいても意味はないし、何も生まれません。
かつて受講したシナリオセンターの先生が課題を修了したとき、こんな言葉をはなむけとして
下さいました。
―作家は書くのを止めたそのときから、作家ではなくなります。
これからも書き続けて下さい。
先生の言われるとおり、落ち込んでいるよりは立ち上がり、また書き続けるべきだと、
書いていてこそ、自分は自分なのだと自らを励まして何とか立ち上がりました。
丁度その頃、三人目の子どもも生まれたりして、私の公募時代はひとまず終わりました。
それからは同人誌を活動の拠点として書き続けました。
その同人誌がかつてご紹介したコスモス文学です。
母体が大きく、会そのものが公募の賞を実施していたので、実力試しにもなったし励みにも
なりました。
しかし、また転機が訪れました。
そのコスモス文学が突然、廃刊になってしまいました。
主宰者の方の体調不良でした。
またしても私は心のよりどころだけでなく、活動の場を失いました。
このときは出版化を逃したとき以上にショックでした。
次の同人誌を探してみても、なかなか思うようなところはなく、時間だけが無為に過ぎていく中、
―作家は書くことを止めたときから、作家ではなくなります。
その恩師の声が常に耳で響いていました。
このままではいけない。私はそう思い、活動の場をネット小説に求めました。
ただ、これはあくまでも当時は暫定的な対策、つまりネット小説の世界にそう長居するつもりは
なかったというのが正直なところです。
しかし、思うような同人誌は見つからず、発表すれば必ず何人かは読んでくれるというネット小説の
世界が結構居心地が良くて、そのまま現在に至っています。
その同人誌には16年いました。
それだけでもはや、どれだけの年月が経っているかが知れます。
まさに私の歩いてきた道ははるかな道程であったと我ながら思います。
若いときには時間の経つのを意識しことなど殆どありませんでしたけど、
やはりアラフォーとなってからは意識することが多くなりました。
ですが、七十代後半の私の母は言います。
―この年になったら、もっと早いわよ。
これまで歩いてきた道はけして平坦なものではありませんでした。
そして長い道程だったと思うこれまでの道よりも更にはるかに険しい道が
眼の前には続いています。
これまでにも泣いたことはたくさんあったけれど、これからもきっと辛いことは
たくさんあるでしょう。
でも、書くことを止めたときから作家ではなくなるという恩師の言葉を大切に
投げ出すことなく長い道を歩いていこうと考えている今日この頃です。