記憶のかけら
博明(ひろあき)が八つの年の頃住んでいた町には、小さな山があった。その山は、“山”と呼ぶにはあまりに低く、皆さんが山と聞いて想像されるイメージの物とは、かなりの差がありますでしょう。何たって、この山を超える為に自動車など必要ありません。人の足で難無くこの山を挟んだ隣町へ通う事が出来ます。それは時間にして、成人の足で(脇目も振らなければ)十分、十五分程で、傾斜の緩やかなこの山はお年寄りの足でも、三十分やそこらで隣町へ辿り着く事が出来るくらい小さな山なのです。その緩やかで平坦な姿は、丘と言ったほうが正解なのではないかと思わせる程なのですが、正式にも山と名を付けられており、地元の人たちも山と呼んでいるのだから、やはり山なのであろう。
博明は、小さな頃から他の子たちとは違ったトコロに面白味を感じる少年だった。同級生が公園でボール遊びをしたり、追いかけっこ等で大はしゃぎをする中、彼はそういった事にはそれほど興味を抱かず、どちらかと言えば独自の遊びを見つけ出し、実行する事に心の底から楽しさを感じる少年だった。
ここにその一つを紹介するとしよう。と或る休日、博明少年は建設途中(八、九割方は完成していた)の四階建てのマンションに友達四人と忍び込み、閑散とした無人の巨大なマンション全体を使って鬼ごっこを敢行した。さすがに建設途中とはいえ、室内に入るのはまずいと云う事になったが、四つの長い廊下とその両端にある階段、そして廊下中央部に設置されていたエレベーター(既に作動出来る状態だった)を範囲としたこの遊びは、公園で行われる通常の――走り回って見える者を追いかけるだけの単調な鬼ごっことは違い、一階、二階、三階、四階と上下を立体的に考えなければならず、逃げる方も追う方も頭を使う遊びだった。さらに、エレベーターの存在がこの鬼ごっこのゲーム性を高くする要因になったのである。それは、安易にエレベーターに乗ってしまえば鬼に感付かれ待ち伏せされてしまうが、鬼役の追手からギリギリのタイミングでエレベーターに逃げ込めれば、一気に別の階へワープ出来たからであった。この遊びは博明たちの一大ブームになったのだが、マンションが完成すると出来なくなってしまった。住人からしてみれば、この遊びは騒々しくて傍迷惑なだけにすぎないのだから当たり前です。何度かマンションの住人、もしくは管理人に注意され、時には叱りつけられた後、このブームは去ったのでした。
こうしたオリジナルの遊びを日々編み出しては決行していた博明は、決して誰からも好かれるタイプの少年ではなかった。むしろ協調性がなく、それでいて物事を斜めから見るかのように同級生が盛り上がる学校の運動会やクラスのレクリエーションの時間には、出来るだけ関わらないように二歩三歩引いた位置から客観視していただけに、友達は少なかったと断言してもよい。が、それでも彼の独創的な発想力のおかげか、それとも猪突猛進な行動力のおかげか、はたまたえも言われぬ魅力を感じ取ったのか、僅かではあるものの数人の友人たちからは大変に慕われていた。その友人たちも元々は皆、天の邪鬼な性分であり、周りの人間と足並みを揃える事に嫌気がさしていたのだが、幼さ故に枠からはみ出せずにいた者たちであった。だからこそ、博明の個性に憧れていたのかもしれない。友人たちは毎日彼を追うように、くっついて行動したのであった。
博明は、そんな友人たちと馬鹿やって遊ぶのが何よりも好きだった。が、度々行き過ぎた行動を起こすこの連中は、教師や保護者たちから問題視されており、特にリーダーと見なされていた博明(自分でリーダーを名乗った覚えはない)には、厳しい指導が与えられた。友達の中には、「博明と遊ばないように」と釘を刺される者もいた程だ。それでも博明に反省の色は無く、友人たちもまた親や教師の忠告に誰も耳を貸さなかった。
自分の思うままに行動をする博明は、夏休みが明けたばかりの或る日の学校からの帰宅時に、突然「山に行こうゼ」と提案した。常日頃から、下校の際は寄り道せずに真っすぐ家に帰るようにと、また山を通らずに帰宅するようにとも教師たちから言われていた事が博明の好奇心をその日突然そそったのだ。彼は提案した刹那、スタスタと自分たちの家とは反対方向にある山の方へ向かって歩き出した。友人たちは、誰も臆する事なく博明の後に続いた。
五分としない内に複数ある登山道の一つに着いた。――登山道と言っても、あの山だ。そんな大それた道ではない。人がすれ違えるくらいの幅に木々を伐採して、そこを階段状に抉り均しただけの粗末な道である。博明たちはなんの躊躇も無く、ピョンピョンと登り始めると、ものの二、三分だったであろうか、あっという間に頂上にある広場へ着いてしまった。結局のところ、何を目当てに山に登ったわけでもなく、いつもと違う事をしたかっただけの博明は、すんなりと登り切ってしまった事に拍子抜けした。そこで彼は、一周ぐるりと見渡してみた。すると学校の授業で、その昔の戦争の時にこの山に防空壕なるモノが造られ、その中で人々が降って来る爆撃から身を免れたと教えられた事を思い出した。勿論今は使われてはいないが、たしか未だに残っていると云う話だった。博明は、「防空壕を探そう。この山を探検しよう」と友人たちを誘った。“探検”と云う言葉の響きは少年たちの心をくすぐり、友人たちは「おおし!」と一斉に高揚した。博明が“探検”と云う単語を用いたのには、決して友人たちを唆す為ではなく、れっきとした意味が存在した。子供たちだけでも容易に登れるこの山は、この町で育った博明たちにとっては裏庭みたいな物であった。しかし、幾度も登り、複数ある登山道を全て熟知していた博明も防空壕なるモノ(それは洞穴のような物だとは授業で習った)を見かけた事が無かったので、それは即ち、今は人が通らないような場所に有るのだと推測した為であった。
博明を先頭に彼らは、所によっては自分たちの背丈をも超える高さにまで成長した草が縦横無尽に生い茂る道なき路(みち)に分け入った。路と言っても、人の手がからきし加わっていない唯の斜面である。勝手気儘に生え狂った木々草々(きぎくさぐさ)がきりなく行く手を阻み、また地面の砂は日頃踏み均されていないせいかさらさらとした滑らかな感触で、足の踏ん張りを少しでも緩めようものなら一気に崖下まで滑り落ちる危険性があった。そのような悪路(すでに路とは呼べないが)をひたすらに突き進むのは、防空壕なるモノへの期待だったのか。否、何も期待などしていなかった。ただ、「いつもと違う事」への好奇心だけであっただろう。
博明は、小さな頃から他の子たちとは違ったトコロに面白味を感じる少年だった。同級生が公園でボール遊びをしたり、追いかけっこ等で大はしゃぎをする中、彼はそういった事にはそれほど興味を抱かず、どちらかと言えば独自の遊びを見つけ出し、実行する事に心の底から楽しさを感じる少年だった。
ここにその一つを紹介するとしよう。と或る休日、博明少年は建設途中(八、九割方は完成していた)の四階建てのマンションに友達四人と忍び込み、閑散とした無人の巨大なマンション全体を使って鬼ごっこを敢行した。さすがに建設途中とはいえ、室内に入るのはまずいと云う事になったが、四つの長い廊下とその両端にある階段、そして廊下中央部に設置されていたエレベーター(既に作動出来る状態だった)を範囲としたこの遊びは、公園で行われる通常の――走り回って見える者を追いかけるだけの単調な鬼ごっことは違い、一階、二階、三階、四階と上下を立体的に考えなければならず、逃げる方も追う方も頭を使う遊びだった。さらに、エレベーターの存在がこの鬼ごっこのゲーム性を高くする要因になったのである。それは、安易にエレベーターに乗ってしまえば鬼に感付かれ待ち伏せされてしまうが、鬼役の追手からギリギリのタイミングでエレベーターに逃げ込めれば、一気に別の階へワープ出来たからであった。この遊びは博明たちの一大ブームになったのだが、マンションが完成すると出来なくなってしまった。住人からしてみれば、この遊びは騒々しくて傍迷惑なだけにすぎないのだから当たり前です。何度かマンションの住人、もしくは管理人に注意され、時には叱りつけられた後、このブームは去ったのでした。
こうしたオリジナルの遊びを日々編み出しては決行していた博明は、決して誰からも好かれるタイプの少年ではなかった。むしろ協調性がなく、それでいて物事を斜めから見るかのように同級生が盛り上がる学校の運動会やクラスのレクリエーションの時間には、出来るだけ関わらないように二歩三歩引いた位置から客観視していただけに、友達は少なかったと断言してもよい。が、それでも彼の独創的な発想力のおかげか、それとも猪突猛進な行動力のおかげか、はたまたえも言われぬ魅力を感じ取ったのか、僅かではあるものの数人の友人たちからは大変に慕われていた。その友人たちも元々は皆、天の邪鬼な性分であり、周りの人間と足並みを揃える事に嫌気がさしていたのだが、幼さ故に枠からはみ出せずにいた者たちであった。だからこそ、博明の個性に憧れていたのかもしれない。友人たちは毎日彼を追うように、くっついて行動したのであった。
博明は、そんな友人たちと馬鹿やって遊ぶのが何よりも好きだった。が、度々行き過ぎた行動を起こすこの連中は、教師や保護者たちから問題視されており、特にリーダーと見なされていた博明(自分でリーダーを名乗った覚えはない)には、厳しい指導が与えられた。友達の中には、「博明と遊ばないように」と釘を刺される者もいた程だ。それでも博明に反省の色は無く、友人たちもまた親や教師の忠告に誰も耳を貸さなかった。
自分の思うままに行動をする博明は、夏休みが明けたばかりの或る日の学校からの帰宅時に、突然「山に行こうゼ」と提案した。常日頃から、下校の際は寄り道せずに真っすぐ家に帰るようにと、また山を通らずに帰宅するようにとも教師たちから言われていた事が博明の好奇心をその日突然そそったのだ。彼は提案した刹那、スタスタと自分たちの家とは反対方向にある山の方へ向かって歩き出した。友人たちは、誰も臆する事なく博明の後に続いた。
五分としない内に複数ある登山道の一つに着いた。――登山道と言っても、あの山だ。そんな大それた道ではない。人がすれ違えるくらいの幅に木々を伐採して、そこを階段状に抉り均しただけの粗末な道である。博明たちはなんの躊躇も無く、ピョンピョンと登り始めると、ものの二、三分だったであろうか、あっという間に頂上にある広場へ着いてしまった。結局のところ、何を目当てに山に登ったわけでもなく、いつもと違う事をしたかっただけの博明は、すんなりと登り切ってしまった事に拍子抜けした。そこで彼は、一周ぐるりと見渡してみた。すると学校の授業で、その昔の戦争の時にこの山に防空壕なるモノが造られ、その中で人々が降って来る爆撃から身を免れたと教えられた事を思い出した。勿論今は使われてはいないが、たしか未だに残っていると云う話だった。博明は、「防空壕を探そう。この山を探検しよう」と友人たちを誘った。“探検”と云う言葉の響きは少年たちの心をくすぐり、友人たちは「おおし!」と一斉に高揚した。博明が“探検”と云う単語を用いたのには、決して友人たちを唆す為ではなく、れっきとした意味が存在した。子供たちだけでも容易に登れるこの山は、この町で育った博明たちにとっては裏庭みたいな物であった。しかし、幾度も登り、複数ある登山道を全て熟知していた博明も防空壕なるモノ(それは洞穴のような物だとは授業で習った)を見かけた事が無かったので、それは即ち、今は人が通らないような場所に有るのだと推測した為であった。
博明を先頭に彼らは、所によっては自分たちの背丈をも超える高さにまで成長した草が縦横無尽に生い茂る道なき路(みち)に分け入った。路と言っても、人の手がからきし加わっていない唯の斜面である。勝手気儘に生え狂った木々草々(きぎくさぐさ)がきりなく行く手を阻み、また地面の砂は日頃踏み均されていないせいかさらさらとした滑らかな感触で、足の踏ん張りを少しでも緩めようものなら一気に崖下まで滑り落ちる危険性があった。そのような悪路(すでに路とは呼べないが)をひたすらに突き進むのは、防空壕なるモノへの期待だったのか。否、何も期待などしていなかった。ただ、「いつもと違う事」への好奇心だけであっただろう。