阪神タイガース歴代背番号1 物語
29試合出場 12勝9敗 184イニング 防御率3.57
7月上旬に負傷
7月~10月戦線離脱 東西対抗戦出場
1951年 35試合出場 13勝7敗 180.1イニング 防御率3.43
1952年 背番号3に変更
38試合出場 21勝8敗 257.2イニング 防御率1.71
最優秀防御率
1953年 40試合出場 16勝13敗 250.1イニング 防御率3.01
キャンプで渡辺省三の死球を受ける
1954年 31試合出場 8勝11敗 172.2イニング 防御率3.02
1955年 9試合出場 2敗 36.1イニング 防御率4.14
1956年 背番号32に変更
2軍コーチ兼務 登板なし 10年選手の権利を得た
現役引退
1957年 背番号50に変更
2軍投手コーチ
1958年 2軍投手コーチ
1959年 2軍投手コーチ
1960年 2軍投手コーチ
1961年 2軍投手コーチ 藤本監督昇格で1軍コーチに昇格
1962年 背番号66に変更
1軍投手コーチ
1963年 1軍投手コーチ
1964年 2軍投手コーチ
退団
タイガースOB会長
阪神大震災まで神戸市在住、震災後、千葉県浦安市移住。
2003年3月23日没 享年83歳
阪神タイガース 歴代背番号1物語 5代目
西尾慈高 にしお・しげたか
生年月日 1934年2月27日
出身地 京都府京都市下鴨
出身校 立命館高校(神山) 立命館大学経済学部中退
投手 左投左打
立命館大学では吉田義男の同期 左腕投手として開花。
54年春のリーグ戦優勝 夏の大学選手権出場
先発・中継ぎの左腕投手。綺麗なフォームから強気に内角をシュートで
攻め、鋭いドロップ、フォークボールで勝負するピッチングスタイル。
エース小山正明に次ぐ先発投手として期待もされたが、村山実の入団から
登板機会が減り1960年オフ、星山晋徳とともに、伊奈努と横地由松との
複数トレードで中日に移籍。
実動12年 296試合出場 39勝 40敗 16完投 817.1イニング
奪三振415個 防御率2.99(中日成績含む。61年~65年 12勝10敗)
1954年 大阪タイガース 背番号1 2試合出場 防御率3.00
1955年 13試合出場 2敗 防御率3.72 肩故障、夏から二軍
1956年 29試合出場 3勝3敗 防御率2.80 4月、中日戦で完封初勝利
1957年 15試合出場 1勝6敗 防御率4.62 開幕投手
1958年 40試合出場 11勝10敗 防御率2.71 背番号28に変更
1959年 37試合出場 8勝9敗 防御率3.41
1960年 32試合出場 4勝4敗 防御率2.30
西尾・星山-伊奈・横地交換トレードで中日ドラゴンズに移籍
1961年 中日の若手選手だった中利夫に懇願され、自身のグラブを譲渡。
こののち、中は外野守備の名手としも活躍、引退までこのグラブを使い続けた。西尾は1961年6勝を挙げたが、活躍はできず、1965年に引退した。
阪神タイガース 歴代背番号1物語 6代目
白坂長榮 しらさか ちょうえい
生年月日 1922.7.23生
出身地 岩手県二戸郡一戸町
出身校 福岡中学 (現福岡高校)
ノンプロ 仙台鉄道管理局 華中交通 盛岡鉄道管理局
遊撃手→二塁手 右投げ右打ち
広大なリンゴ園の三男。全国鉄道大会で優勝 都市対抗出場。
若林監督が札幌遠征の帰路、盛岡で入団要請。吉田義男と二遊間を組んだ
名内野手。8年間レギュラーを守る。オールスター4回出場。
実働11年 1020試合出場 3313打数 789安打 59本塁打 360打点
102盗塁 打率.238
投手 1年 8試合 2敗 12イニング 奪三振1 防御率12.00
1948年 背番号27 1試合出場 .000
1949年 背番号26 73試合出場 182打数 39安打 打率.214
投手8試合登板2敗 12イニング 奪三振1 防御率12.00
1950年 背番号17 139試合出場 520打数 132安打 18本塁打 72打点 打率.254
1951年 106試合出場 324打数 78安打 6本塁打 44打点 打率.241
オールスター出場
1952年 120試合出場 446打数 121安打 6本塁打 43打点 打率.271
オールスター出場
1953年 101試合出場 375打数 106安打 8本塁打 50打点 打率.283
1954年 123試合出場 366打数 78安打 8本塁打 42打点 打率.213 オールスター出場
1955年 110試合出場 366打数 84安打 5本塁打 33打点 打率.230 オールスターファン投票で選出
1956年 109試合出場 337打数 71安打 2本塁打 32打点 打率.211
1957年 128試合出場 394打数 84安打 6本塁打 32打点 打率.203
1958年 背番号1 主将 10試合出場 打率.000 浅越・鎌田らが躍進
1959年 主将 出場なし 現役引退 フロント入り60年~ スコアラー
64年 二軍監督就任 背番号65
65年 二軍監督
66年~70年 スコアラー兼スカウト
71年 二軍監督就任 背番号75
72年 二軍監督
73年 二軍監督
74年 二軍監督
75年~ スコアラー
78年 球団資料部勤務
西宮市在住
阪神タイガース 歴代背番号1物語 7代目
滝田 政治 たきた まさはる
生年月日 1926.10.16生
出身地 秋田県
出身校 秋田商業 秋田鉱専(現秋田大学)
ノンプロ 中央工業
外野手 一塁手 左投左打
2リーグ分裂直後に大映スターズで活躍。15年の選手生活。
大映スターズ時代から藤本監督の秘蔵っ子、その縁で晩年に
タイガースに移籍してきた。
戦後 新設された中央工業野球部(東京都)に入団 梶岡と同時期に
在籍していた。
プロ通算1314試合出場 3863打数 991安打 42本塁打 404打点 74盗塁
10犠打 打率.257
62年 大阪タイガース 背番号1 55試合 10安打 打点6 .194
阪神タイガース 歴代背番号1物語 8代目
フランク ヤシック Frank Jaciuk
生年月日 1940.5.17生
出身地 アメリカ ミシガン州
出身校 セオドール・ルーズベルト高
三塁手 右投右打
デトロイトタイガースのキャンベル副社長の推薦入団。
1963年フロリダキャンプでの対抗試合で2安打、キャンプ中に
2年間借用契約23歳で来日。入団会見で40本塁打を宣言し、開幕までは期待も大きかった。開幕から2番を打ち。新聞にも「守備・脚・肩は大リーグ級だが打撃はあまり」と酷評。打撃は期待外れに終わった。
1963年 大阪タイガース 背番号1
実働1年 87試合出場 199打数 38安打 2本塁打 16打点 3盗塁
40三振 打率.276
阪神タイガース 歴代背番号1物語 9代目
作品名:阪神タイガース歴代背番号1 物語 作家名:少年Y