はじまりの旅
ニタは「ありがとう」と言って、嬉しそうに瘴気止めを呑みこんだ。
そして再会の喜びもひと段落ついたところで、ティアが全員に向かって尋ねる。
「それにしても一体なんでこんなことが起きたの?」
4人はお互いに目配せをしあった。正直なところ昨晩の出来事に関して、彼ら自身も良く分からないのだ。何があったかということは話せても、どうして起きたのか、ということまでは話せないからだ。
とりあえず、ニタがこの顛末をティアに説明すると、ティアもまたちんぷんかんぷんな様子だった。
「全く!その女って一体何なのよ。」
ただティアの中では、大切な仲間を水攻めに遭わせた怒りは納まらないようだ。
そんな中クグレックはあの袴姿の女性をどこかで見たことがあったような気がしていた。その声も聞いた覚えがあった。だが、いつ、どこで彼女に会ったのかがはっきりせずに、もやもやしていた。
するとディレィッシュが
「あぁ、そう言えば私はあの袴の女性の妹にあったぞ。私達を襲った彼女よりも大分若かったが、顔や姿かたちはそっくりだった。だから妹だと思うんだが。私が見張りをしていた時に、その子が突然現れたんだ。その子はドラゴンは魔の力に囚われて、苦しんでいるから助けてあげて、そうすれば、アルトフールへ導いてくれるって言っていた。お姉さんだと思われる彼女ほど禍々しい様子は感じ取られなかったな。」
と、軽い様子で言った。ニタはしかめっ面になりながら
「なにそれ。しかも姉妹だなんて。」
と、呆れた様子で言った。
ディレィッシュは続ける。
「ただな、ちょっと夢うつつな時だったから、もしかすると、夢かもしれない。でも、夢のような感じはしなかったし、私は現実だと思うんだよな。」
どうにも軽い様子のディレィッシュにニタやティアは肩を透かす。ハッシュは「居眠りする位なら、強がらずにちゃんと寝れば良かったのに」と小さくこぼした。
ディレィッシュはへらへらと3人の追及を交わすが、クグレックだけは彼の話に思うところがあった。というよりも、ようやく思いだしたのだ。夢かもしれない、いや、妙に現実的な質感を持った夢のような空間であの黒髪の少女に出会ったことを。
クグレックたちを襲った袴姿の彼女はクグレックの夢で出会ったはずの彼女よりも大人だったのだ。だから、クグレックは気付かなかった、というよりも思いだせずにいた。
「夢」と「少女」という言葉の鍵がクグレックの記憶を呼び起こす。
クグレックも少し前にディレィッシュがいう女の子に出会っていた。
それは祖母が亡くなり、ニタに出会う前。クグレックが自らを思い出の詰まった燃え盛る住居に身を隠した後。クグレックは彼女に出会った。
クグレックよりも小さな、齢にして12,3歳くらいの白い袴を着たおかっぱの女の子がしくしく泣いていた。おそらくディレィッシュが言っていた『妹』と呼ばれる女の子だ。
彼女はクグレックになんと言っていただろうか。
確か、あの時彼女は『お姉ちゃんを、待ってる』と言っていた。
待ってるというのは、アルトフールで待っているということなのか。彼女はアルトフールと一体何の関係があるというのか。
クグレックはその後、祖母の声を耳にして、それどころではなくなってしまったので、彼女のことは全く気に欠けることなく意識の底に追いやっていた。そう言えば、あの時の祖母が何と言っていたのか、クグレックは思いだせない。
次に彼女と会ったのはポルカのニルヴァ防衛戦時。魔力が尽きたクグレックは気を失って倒れてしまった。その時の夢でも彼女と出会った。彼女はクグレックを鼓舞してくれ、そして、尽きた魔力を元に戻してくれた。
最初にあった時と異なって、泣いている様子でもなく、比較的落ち着いていたと思う。
それ以降、彼女はクグレックの夢には現れなかった。トリコ王国ではクグレックの夢に出現したのは、ディレィッシュに潜んでいた魔だった。
ディレィッシュは彼の夢に出て来た幼い彼女と、攻撃的な大人の彼女を姉妹としたが、クグレックはそうではないような気がしていた。どちらも同一人物だと感じたが、理由は分からない。何故彼女が成長した姿で現れたのか、どちらが本物の彼女なのか、ということもクグレックには分からない。
ただ、現実に現れた彼女はともかく、夢の中の幼い彼女の言うことならば、信用しても良い、とクグレックは考えた。何故ディレィッシュだけに姿を見せたのかは分からないが、きっと、ディレィッシュが会った彼女はクグレックが会った彼女と同一人物であろう。
だから、クグレックは決意した。
山頂のドラゴンを救ってあげなければ。
それが、アルトフールへの道へとつながるのかもしれない。
瘴気が濃くなる御山を一行は再び登り始めた。
足場はだんだん悪くなる。これまでは整備された登山道だったが、洞窟を抜けてからは植物が次第に減り、ごろごろとした岩場が続く不安定な道だった。気を抜けばクグレックみたいな鈍臭い人間は転んでしまうだろう。さらに足場の悪さは体力も奪うのだ。大した距離を進んでいないのに、クグレックは足が痛くなり、息も上がって来た。
その上疲労との戦いだけでなく魔物も出現する。ここで現れたのは猿の様なすばしっこい魔物だ。岩場を巧みに駆け回り、ティアやハッシュを翻弄する。ニタはかろうじて岩場を俊敏に動けるが、魔物ほどではないので、追いつけなかった。クグレックとディレィッシュは後方待機で荷物番だ。
「もう、なんなの、すばしっこいわね!」
「ここじゃ動きづらいな。」
立ち往生するティアとハッシュ。ニタに追いかけられながら魔物は、石を拾っては投げつけて来る。ニタは済んでのところで石を交わしたり、キャッチしたりて相手の攻撃を回避する。
すると、荷物番をしていたディレィッシュがおもむろに鞄の中を漁り、長さ30センチほどのケースを取り出した。中から何本か棒を取り出して、手慣れた手つきで組み立て始める。次第に形作られるそれはボウガンの形をしていた。が、普通のボウガンよりも一回りほど小さく、子どもでも取り扱えそうなくらい可愛らしいサイズだった。
「ディレィッシュ、それ、何?」
クグレックが尋ねる。
「ん、ボウガンだ。持ち運びに楽なように、分解可能で軽量、小型化してみた武器だ。殺傷力はあんまり高くないが、昨日、手入れをしてまぁ、いい感じだったので、実践投入してみようと思って。」
「ディッシュが作ったの?」
「まぁな。おもちゃみたいなもんだけど。」
鉛筆程の矢をボウガンに込め、ディレィッシュは片手で小型ボウガンを構え、魔物に照準を合わせる。
「射撃は得意でね。銃器を扱う方が得意なんだが、あの武器は今の世界じゃ物騒だ。」
余裕の笑みを浮かべながら、ディレィッシュがボウガンの引金をひくと、小さな矢は魔物に真っ直ぐに飛んで行きぷすっと刺さった。
魔物は不意打ちの攻撃に驚き、動きが鈍った。その隙を着いて後を追っていたニタが魔物に回し蹴りを喰らわせ、魔物は霞となって掻き消えた。
「クク、なんか魔法使った?」
ニタが不思議そうに尋ねた。クグレックは魔力温存のため、緊急時以外は魔法を使わないことになっている。