はじまりの旅
どん、と壁か何かにぶつかって、「ぐえ」とくぐもった声が部屋から聞こえてきたが、クグレックは無視した。そんなことよりもニタが心配だった。
廊下を突き当りまで進んで行くと、右手側にも廊下が続いていた。その先にある扉は既に解放されており、杖を取り戻して無敵な気持ちでいるクグレックはそのまま部屋へ突入した。
「ニタ!」
その部屋はなんとも悪趣味な部屋だった。壁は全て金で覆われていた。床は白いふかふかとした絨毯というよりかは何か巨大な動物の毛皮が敷かれている。壁際にはまるで生きているかのような姿の動物の剥製。雉の様な大きな鳥や狸、獅子といった動物だ。棚にはウサギの様な小動物が並べられていた。また、壁には武器庫で見た筒状のL字型の武器が飾られている。武器庫で見たものよりも、少々大きくて長く見えた。
そして、部屋の中にいたのは金色のシルクハットをかぶり、金色のスーツを身に纏った狸顔の大きな男だった。でっぷりとして顔は脂ぎっており、金色のスーツがはちきれんばかりの体をしていた。
「やぁ、魔女のお嬢さん。ペポならそこでゆっくりと休んでいるよ。」
ニタは金の机の上にある鉄の檻の中ですやすや眠っていた。まだ目が覚めていないようだ。鉄の檻はニタの身長の半分ほどの高さだった。1階の部屋にあった木の箱と同じくらいの大きさだった。
「可愛いねぇ。魔女のお嬢さん、このペポの子をお嬢さんに返すから、私からのお願いを聞いてくれないかな?」
比較的優しい声で狸顔の男はクグレックに言った。男の指にはぎらぎらとした色とりどりの指輪が嵌められている。
「マシアスと呼ばれる男を殺してくれないかな。」
「殺す?」
「お嬢さん、そんな怖い顔をしないで。」
「マシアスは貴方たちの仲間じゃないんですか?」
「…いや、彼はちょっとやり過ぎたんだよ。そうだね、うん、マシアスはハンティングした希少種を高値で売りさばいてくれていたんだけど、そのうちのいくらかを横領していたんだよ。そしてその金を何に使っていたかというと、人外排出運動を行う団体に貢いでいたんだ。ピアノ商会は確かに希少種をハンティングしていたけれども、人外排出団体のように絶滅まで追い込むことはしない。私達の理念に反するんだよ。ハンティングはあくまでスポーツだ。一つの命に対して敬意を持って接するんだ。だから、絶滅に追い込むなんて野蛮な真似は出来ない。」
優しい口調で語る狸顔の男。
しかし、クグレックにはハンティングの崇高な理念は理解できなかった。ピアノ商会も人外排出団体も同じものだと感じていた。結局両方とも命を奪うのだから、同じことだ。
「だけど、それをやってしまう輩と関係を持っていたのがあのマシアスという男だ。私は彼を許せない。それに、私は絶滅したはずのペポを見て、思ったんだ。希少種、希少種でないからという理由で価値をつけるハンティングなどもうやめようと。こうやって一人生き残ったペポはどれほど辛い思いをしたのか。それを考えると、心が締め付けられるように苦しくなってね。もうこんな悲しいことはやめようと思ったよ。」
希少種ハンターのボスは意外と良い人なのか、とクグレックは思い始めて来た。
「希少種ハンティングはもうやめるよ。私達は、全うに働いて、世間のために生きていこう。だから、魔女のお嬢さん、マシアスを殺してくれ。」
「それは…、私には出来ません…。でも、ニタを返してください。もしかすると、ニタならマシアスを懲らしめてくれるとおもいます。殺しはしませんが…。」
狸顔の男はにっこりと微笑んだ。
「ふむ、じゃぁ、懲らしめる程度なら、魔女のお嬢さんには出来ないかな?懲らしめて、連れて来てくれればいいんだ。」
「…」
クグレックは俯いた。魔法の力で誰かを傷つけてしまうことは、それこそ魔女の血が穢れてしまう行為だと思うからだ。クグレックは魔女であるが、忌み嫌われるべきは魔女の血であり、クグレック自身ではない。誰かを傷つけてしまったら、忌み嫌われても、もう言い訳をすることは出来ない。その行為は魔女の血をもつクグレック自身の行為になるのだから。
「ばか。」
クグレックは不意に頭をポンと掴まれた。ふと後ろ振り向くと、そこにはマシアスの姿があった。クグレックはマシアスに杖を向けた。
「こんな胡散臭いタヌキおやじのことを信じるのか、お前は。」
マシアスは呆れたように言い放った。そして、マシアスは狸顔の男をまっすぐに睨み付けながら言葉を投げつけた。
「ランダムサンプリには話はつけている。お前さえいなければ、全て平穏に終わるだろう。クソダヌキめ。」
微笑みを湛えていた狸顔の男の表情が歪んだ。
「まさか、ここ最近の全ての契約がキャンセルされたのは…。」
「…後はお前の首さえ献上すればすべては終わる。それがランダムサンプリ側との約束。」
「やはり、お前が元凶だったか。」
狸顔の男はにやりと下品な笑みを浮かべるとニタの檻が置いてある机まで歩き、机の引き出しを漁った。
クグレックは状況に着いて行けず、ただ状況を見守ることしかできなかった。
狸顔の男は引き出しから、黒光りするL字型の筒状の武器を取り出した。これはクグレックが見た武器庫のガラスケースに入っていたものと一緒だ。クグレックはこの武器を見たことはなかったが、立派な拳銃である。狸顔の男は、銃口をクグレックに向けて構えた。そして、躊躇うことなく引き金を引く。
バン、という鼓膜が破れてしまいそうなくらいの大きな音がしたかと思うと、クグレックは床に倒れていた。部屋に硝煙のにおいが広がる。
クグレックの上にはマシアスが乗っかっていた。どうやらマシアスに押し倒されたらしい。
「魔女、お前の魔法であいつの持っている武器を奪い取れ…。そして、ペポがいる檻を開けるんだ。」
マシアスの顔が苦痛に歪む。クグレックはお腹のあたりが濡れているのに気付いた。気付けば床には赤い液体が流れている――。
クグレックははっと息をのんだ。この赤い液体は、血だ。大量の血が、マシアスの腹から流れているのだ。クグレックは全身から血の気が引くのを感じた。
「大丈夫、ポルカで白魔女の薬を貰ったから、大丈夫だ…。」
と、マシアスは言うが、呼吸も荒く、脂汗も酷かった。クグレックは恐怖でパニックになりそうだった。マシアスはクグレックを安心させようとするかの如く「大丈夫だ。大した傷ではない。」と呟く。
それでも、クグレックは流れている血を見て現実に引き戻される。
マシアスは腹を抑えながら、クグレックの上から離れた。これ以上銃弾が当たらないようにチェストの陰に隠れる。
クグレックは上体を起こした。が、床に流れるマシアスの血に呆然としていた。
マシアスはそんなクグレックの様子を見て、表情を苦痛に歪めながら出せるだけ大きな声を出した。
「魔女、正気に戻れ。今お前がしっかりしないでどうする。このままだとお前も、ペポもあいつの銃にやられて死ぬぞ!」
しかし、マシアスの声はクグレックに届かなかった。