はじまりの旅
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翌日。
クグレックが目覚めた時には、既にニタは目覚めていた。
「あ、起きたね。おはよう。」
クグレックは寝ぼけ眼をこすりながら、かすれた声で「おはよう」と答えた。
ニタはクグレックの枕元に座っていた。何をするわけではなく大人しく座っている。
「ニタ…、あの、大丈夫?マシアスさんがニタのこと気を失わせちゃって…」
クグレックは恐る恐るニタに声をかけた。
「うん。だいじょぶ。それより…」
ニタは無表情のまま押し黙った。可愛い瑠璃色の瞳に影が差す。
「クク、ごめん。なんか、ニタ、頭に血が昇っちゃって、色々我慢できなくなっちゃってた。」
クグレックは、そっとニタの頬に手を触れる。ふかふかの頬毛が心地良い。
「別に、ニタは何も悪いことしてないよ。」
と、クグレックに言われてニタはしゅんとした表情になった。
「むしろ、私が山賊のボスに捕まっちゃったから、皆を危険な目に遭わせちゃって…。」
ニタの頬毛を撫でながら、力なく微笑してクグレックが言った。ニタは俯いてクグレックと目を合わそうとしなかった。
「ニタが、弱いから、ククを守ることが出来なかった。全部、ニタの弱さのせいだよ。」
「そんなことないよ。ニタはいつでも強いよ。弱いのは私。体力もないし、魔女なのに、魔法も大して使えないし。」
ニタは恐る恐る顔をあげ、申し訳なさそうな表情でクグレックを見た。
「…そうだけど…。」
ニタはしゅんとした表情で俯く。ネガティブ発言を否定されなかったクグレックは少しだけ傷付いた。
「それでも、ニタはククを守ってあげなきゃいけなかった…。ニタは強くないといけないんだ。」
「ニタ…。」
クグレックはニタがここまで強さに固執する理由は良く分からなかった。ここまで病的なこだわりを見せるのは一体何故なのだろうかと思ったクグレックは、思い切ってニタに聞いてみることにした。
「ニタはどうしてそんなに強さにこだわるの?」
ニタからは返答はなかった。が、しばらくすると、ニタはぽつりと呟いた。
「クク、ニタの故郷や仲間たちは、全部ニンゲンに燃やし尽くされた、って話したよね。」
「うん。」
「その時、ニタは力が足りなかったから、仲間も、故郷も守ることが出来なかった。もう二度と、あんな思いはしたくないから、ニタは強くなろうと決心したんだ。大切な存在を守ろうと。だから強さにこだわるの。」
ニタは大きくため息を吐いてがくりと肩を落とす。
「メイトー様が、言ってたんだ。何かを守りたいなら、怒りに身を任せてはいけないって。それなのに全然だめだった。ニタってば怒りで我を忘れちゃったよ…。」
クグレックは野生の肉食動物の如く敵意を剥きだすニタの姿を思い出した。白い毛を逆立てて、目は猛禽類のように鋭く、激しい気性となっていた。
「…もうちょっとだけ話しても良い?」
ニタが、恐る恐る顔を上げて、クグレックに尋ねた。瑠璃色の瞳には、不安が翳る。
クグレックは、静かに頷いた。ニタはしょげた様子であるものの、わずかに安堵した様子を見せた。
「ニタは、ペポを守るためにニンゲンと戦ったんだ。でも、あいつらは沢山やって来た。沢山の人間に囲まれて、ニタは負けた。情けないことにその場で伸びちゃったんだ。そんな様子がニンゲンの目には死んだって映ったんだろう。ニタは放置された。そして、次に目覚めた時、ペポの森は炎に包まれて、仲間達は一人残らず殺されて、捕まえられた。皆、死んだ。皆捕まえられて、檻とか網の中でぐったりしていて動かなかった。ニタは、燃え上がるペポ森を駆けまわって、仲間が生き残っていないか、夢中で探した。でも、誰一人として見つからなかった。ニタが弱かったから、ニタは全てを失った。ペポ森も仲間も何一つ守れないまま、ニタだけが生き残った。」
昨晩と同様にニタの毛が逆立ち、呼吸も荒くなった。
クグレックも、胸が締め付けられる様な思いだった。
意識もしていないのに、涙が頬を伝う。
「その後、ニタは無我夢中でペポを駆ったニンゲンたちを殺して回った。数えきれないくらいに、殺したと思う。でも、ニンゲンは次から次へと現れた。今度はニタが狩られる番となった。ニタは急に怖くなって、ひたすら逃げた。どのくらい逃げたのか分からない。でも、気付いたら、メイトーの森にいた。仲間を見捨てて、メイトーの森にいたんだ。」
ふー、ふー、とニタの呼吸は荒い。
「でも、メイトー様が、ニタを落ち着かせてくれた。色んな事を教えてくれた。だから、ニタは自我を取り戻せた。ニタは次に何かが起きた時に、大切なものを守れるように。メイトーの森で修行に励んだ。」
ニタは大きくため息を吐いた。そして、がくりと項垂れた。そして、自嘲するように
「それなのに、ニタは何にも守れなかった。ククを守れなかったうえに、ニルヴァは死んじゃったし。ニタはまだまだ弱いなぁ!こんなんじゃ、アルトフールに行くことなんて、出来ないよ!」
と、声に出して、悔しがるのだった。
「ニタ…。」
クグレックは、ニタを見つめる。自身の涙を袖で拭ってから、しっかりとした表情を作る。
「ニタは弱くない、顔、上げてよ。」
と、クグレックに優しく言われて、ニタは恐る恐る顔を上げた。瑠璃色の瞳は潤んでいた。
クグレックは、優しい表情を浮かべながら、母親が子供に物事を諭すような落ち着いた口調で話し始めた。
「私はニタの話を聞けて良かったよ。ニタは強いよ。私なんておばあちゃん一人いなくなっただけでも、全てが嫌になったっていうのに、大切な仲間や故郷がなくなっても、天真爛漫で、そして何かを守ろうと思えるニタは凄いと思う。私もニタみたいになりたいって思うよ。」
クグレックは、ニタの話を聞いて、ようやくニタのことを知った。
やたらと人外差別を気にしていたこと、突然山賊退治に参加しようとしたこと、昨晩ニタの感情が暴走してしまったこと。悩みなんてなさそうなお気楽な性格のニタの裏には、人間に対する憎しみと、恐れが隠れていた。圧倒的な孤独。
しかし、それでも、ニタは人間であるクグレックの傍にいてくれる。更にクグレックの友達でいてくれる。メイトーがどのように諭してくれたのかは分からないが、ニタは立ち直って、前へと進んでいる。もし出会う時を違えていたら、ニタのあの目はクグレックに向けられていた可能性もあった。
クグレックの目からは再び涙が零れ落ちていた。
それでも、ニタの心の強さに負けじと、まっすぐとニタを見つめる。
「ニタは、強いよ。今のままで十分。十分だから、そこまで追い詰めなくたっていいと思う。」
クグレックは涙を流しながらもにっこりと微笑んだ。
「私が強くなれば、さらにニタを支えられる。だから、今のままでいいんだよ。アルトフールに行くのはニタ一人じゃない。私も一緒なんだから。」
「クク…」
ニタは目の前の少女の成長に、唖然とするしかなかった。絶望の淵で死にたがって女の子はどこに行ったのだろう。
涙を流しながらもなお笑顔でいられる術をどこで身に付けたのだろうか。