はじまりの旅
白魔女は樫の木の杖を品定めするように振り回す。「エレンの魔力もちょっと残ってるのね。うーん、ていうかわざと残してるのかしら。アタシの魔法と相性は悪そうだけど、まぁやってみないと分からないしね。しかし古くて汚い杖だこと。」などとぶつくさ独り言をつぶやいて、杖をディレィッシュに向けた。
「うーん、やっぱり重いわね。」
白魔女はしっくりくる持ち方を探った。先を持つのがいいのか、真ん中を持つのがいいのか。両手持ちか片手持ちか。試行錯誤した結果、白魔女はクグレックの杖の真ん中を両手で持つことで落ち着いた。ふと力を込めると白魔女からぽわぽわとした淡い色をした光の玉が発生する。
「彼の者の生命の龍脈よ、地の力を介して今一度活性化し癒しを齎せ。」
と、白魔女が詠唱すると、ディレィッシュの周りにも淡い色をした光の玉が次々と発生し、彼の中に吸収されていった。みるみるうちに顔色も元の色に戻り、呼吸も落ち着いていく。
「はいっと。これでオッケーよ。」
白魔女はクグレックの方へ杖を向ける。「邪魔だから返すわ」と一言添えられて、クグレックは自分の杖を受け取った。
「今のは、生命魔法…?」
ムーが呟いた。
「白魔女様の生命魔法でーす。一番簡単な奴だから、体力まで回復したわけじゃないからね。とりあえず熱は下がった感じ。」
白魔女はあっさり答えた。
と、その時、ディレィッシュが目を覚ました。
ディレィッシュはぼんやりとした様子で目だけを動かして周りの様子を伺う。
「ディレィッシュ…」
ハッシュは奇跡でも目にしたかのように、ディレィッシュに声をかける。
「おお、ハッシュ。なんだか大分楽になったな。看病、ありがとう。」
目覚めたばかりのかすれた声でディレィッシュは言った。と、そこへ少年クライドを連れた白魔女が割り込む。
「ほら、どう?クラ君、なんか思うことはある?」
と、白魔女が問うが、少年クライドは特に言葉を発しなかった。
「ん、クライド?随分若くなったな。元気にしてたか?」
とディレィッシュが声をかけた。彼はすぐにこの少年をクライドであると判断した。少し弱っているが、ディレィッシュ特有の不敵な笑みが浮かべられている。
少年クライドは、白魔女を振り返り意見を求めるようにじっと見つめる。
「なぁに?この人、クラ君の知り合いじゃないの?」
白魔女は怪しい笑みを浮かべながら、少年クライドに問いかける。少年クライドは再びディレィッシュを見つめた。すると、少年クライドはつうと涙を流した。そして、か細い声で
「…もうしわけ、ありません…」
と、一言述べると、突然少年クライドはしゃがみこんで、えづき始めた。
「うーん、まだ駄目ね。まだ馴染めてない。」
白魔女はそうぼやくと、懐に入っていた小瓶から錠剤3粒を取り出した。少年クライドの腕を引っ張って無理やり立ち上がらせ、錠剤をその口に放り入れると、口を手で塞いで無理矢理嚥下を促す。少年クライドは苦しそうにもがくが、白魔女にしっかりと抑えられているため、脱出を試みることが出来なかった。しばらくすると、少年クライドは落ち着きを取り戻した。
「お外で待ってなさい」
と白魔女が少年クライドに囁くと、クライドは素直に部屋の外へ出て行った。
「クライドに、一体何をしたんだ?」
つとめて穏やかな口調でディレィッシュが尋ねた。
「今?今は精神安定剤を飲ませただけよ。ちょっとね、あの子は今精神不安定なのよ。」
「おかしくしたのは、お前だろう?」
「いやなこと言うわね。もうあの子はおかしくなっていたわよ。無理矢理望まない世界に生きなければいけなくなることの苦痛はいかなるものなのかしら。」
「…どうして、知っているんだ?」
「それは、秘密。」
白魔女は唇に人差し指を当てて答えた。
「それにね、アタシ、わざわざここまで来て薬を届けてあげたし、白魔術師の奇跡である生命魔法も披露してあげたわけ。でも、アンタ達からは惚れ薬の効果しか見返りを頂いてないのよ。ねぇ、これって割りに合わないわよね。」
白魔女はちらりとクグレックに視線を移した。緑色の瞳は何かを企んでいるように怪しく輝く。すぐに不穏な空気を察したニタがクグレックを守るように前に立った。
「いや、見返りは十分払っているだろう。」
ディレィッシュが言った。
「私の腹心の部下であったクライドを貴様のおもちゃにした。あいつの人生すべてをぶち壊したんだ。私の治療で、等価交換ではないか。」
「それ、この先あの子にもっとひどいことをやって良いってことよね。ご主人様の許可、得たってことよね。でもまぁ等価にはならないわね。アタシね、やっぱり、クグレックが欲しいのよね。」
そう言って白魔女はゆっくりとクグレックに視線を向ける。ニタは毛を逆立たせて威嚇を始めた。
「お前、やっぱり!」
「アタシの目的はずっと黒魔女ちゃんよ。」
「なんでククを狙うんだ!」
「黒魔女の力が欲しいからよ。黒魔女の力さえ手に入れば、アタシは全てを支配できる。この世の全てを、この世の理を。」
「意味が分からない!」
と、ニタが叫ぶと、白魔女はにんまりと笑った。
「…ま、アタシたちはまた会うことになるわ。多分、その時は、黒魔女も喜んでアタシに身を捧げたいと思うようになっているはずだから、その時まで、今回の件は貸しにしてあげる。んふふ。」
そう言って白魔女は部屋を出ていった。その場にいた者達はぽかんと呆気にとられた様子でいたが、ハッシュが慌てて部屋の外に出た。
あの少年クライドが本当にクライドならば、白魔女の元に居てはいけない。連れ戻さねばと思い、部屋を出たが、白魔女の姿は見つからず。外に出ても、白魔女と少年クライドの姿は見つからなかった。ハッシュが外に出たのが遅すぎて見失ったというわけではない。2人は消えた、という方が正しいだろう。
ハッシュは部屋に戻った。
「白魔女とクライドはいなくなっていた。」
と、ハッシュがいうと、ニタはぷんぷん怒った様子で
「あの女、本当に気味が悪い!」
と言った。1度ならず2度までもクグレックを狙いに来たのだ。しかも、3度目もある様な言いぶりだったのが気に喰わない。
「でもディレィッシュのことを治してくれたのは確かですし、そこまで悪い人なんですかね。」
「…昔からあいつの腹の底は知れない。用心すべきなのは間違いないぞ、ムー。」
と、ディレィッシュが言った。
「それに、…残念ながらクライドのこともあいつに任せなければいけない。あの状態のクライドを引き取ったとて、私達に出来ることは少ない。私が熱に浮かされただけで、大変だったろう?幸い、次に会う機会はあるらしい。その時を待とうじゃないか。」
ベッドの上で横になったままディレィッシュは話す。
「クライドの身が危険だとは考えないのか?」
ハッシュが尋ねる。
「少しだけ心配ではあるが、クライドは今少年の姿になっている。だから、トリコ王国の追っ手に捕まることはないだろうし、それに白魔女の一番の狙いはククなんだ。おそらくあいつは再びクライドを交渉のネタにして連れてくるだろう。その時のクライドがどうなっているか心配ではあるが、きっと死ぬことだけはないだろう。」
「そうか…。」