D.o.A. ep.58~
自信の無い推測が、徐々に尻すぼみに小さくなっていく。
ビャクダンは目を細めた表情のまま沈黙している。
なんだか出来の悪い生徒のような気分になって、妙に身の置き所がなくなり、すいませんやっぱわかりません、と音を上げようとした時。
「まさか…!」
レリシャが、確信を得たように、息をのんだ。
「まさか、その程度のことで、彼らは罰せられるというの」
しかし、顎に指先で触れながらすぐさま否定を口にする。
「いいえ、そんなはずがないわ。それが罪になるのなら、この世に潔白など存在しないでしょう」
「??」
「ナファディ卿にとっては、その程度、ではなかったのです。価値観は千差万別ですよ、レリシャ」
ついていけず、ライルは首をかしげる。ビャクダンはお構いなしに、レリシャの否定をさらに否定した。
「彼の所業がいかに汚れていても、彼の王家への忠誠は海より深い。即ち、忠誠と信じるならいかなる行為にも手を染め得る人物なのです」
「謂れのない罪状で潔白の人間を捕らえることが、王家の為?」
「彼はそう信じているが、正確には彼の歪んだ信仰のためと言える。理想を陰らせる、臭い物には蓋をして遠い場所へ。それが彼の忠誠」
「あの…フワッとした話ばっかりじゃなくて、具体的に教えて欲しいんすけど」
とうとう耐え切れなくなり、ライルは口をはさんだ。
「ふむ、具体的に話しているつもりだったのですが」
「ぜんぜんわかりません」
「つまりね、ライルさん―――」
「―――あ、コラ!待ちなってば!この子ったら…!」
説明すべくライルに向き直ったレリシャの言葉半ばにして、第三者の焦った声が室外のそばから響き、程無くして勢いよく戸が開かれる。
小さな少年だ。年の頃は、レーヤより少し幼いくらいだろうか。
貧しい身なりと、大きなどんぐりまなこに浮かぶ必死さがいたいけで、妙に憐憫を誘われる。
従業員と思しき女たちが、肩で息をしながら追いついてきて、小さな肩を後ろから押さえた。
「今旦那たちはオトナの話をしてんの!邪魔しちゃダメだって!」
「はなせ…っ!ぼ、ぼくだって…っ!」
「すみません旦那さま、止めたんですけど、意外にすばしっこくて…」
「聞いてたぞ…!ぼくだって、カンケーシャだ!オトナじゃなくても話に入るケンリはあるっ」
やや舌足らずの少年は、逃れるべく全身を使いむやみに暴れ叫ぶ。
彼女らは途方に暮れてビャクダンを見遣ると、彼はふむ、と小さくうなずいた。
「確かに、あなたにはその権利がありますね。それはもう、立派に関係者ですとも。皆ご苦労、放してあげなさい」
許可が出た途端、たたっと駆け寄ってきた少年は、まっすぐビャクダンの隣へ陣取った。
呆れ気味に戸を閉じる女たちを、早くあっちへ行けと言わんばかりに睨んでいる。
「…その子、なんなんすか?」
「ビャクダン。こんな話の最中に、子供の我儘を聞いてあげている場合なの?」
少年の存在を許している事に、ライルは呆然と、レリシャはやや気色ばんで問いただす。
ビャクダンはどこ吹く風でにこにこしながら隣の小さな頭を撫でてやっており、少年は特に嫌がってもいない。
それどころか、懐いているように見受けられた。子供の扱いがうまいらしい。
「はい、お兄さんとお姉さんに、お名前は?」
「…ニノ。8歳…」
「ビャクダン、名前はわかったけれど、この子は一体」
「彼は、労働移民組織のリーダーのお子さんです。もっと言うと、今話題の立て籠もり犯のご子息」
「うぇ゛!!?」
さらりとした返しに、衝撃を受ける。ライルはカエルが潰れたみたいな奇声を上げた。
なぜ。どういう経緯でこんなところに匿われているのか。というか、あんな無茶をしているのに、子供なんていたのか。
確かにまぎれもなく、これ以上なく、関係者であった。
「こんなに小さな子供を残して…!」
レリシャは痛ましげに目を伏せる。言われてみれば、そうだ。
こんな小さな子供がいるにもかかわらず、同胞のためとはいえ命を懸けるなど、仲間意識は結構だが、親としては無責任なのではないか。
「この子、なんで一人でこんな場所に」
「私とこの子のお父さんが、友人だからです」
「え。じゃあ…あんた」
「早合点しないでもらいたいが、友人だからといって今夜の一件を黙認したわけでもありませんし、計画に協力していたという事実もない。
ただまあ、今朝のことでしたか、彼が突然ニノ君を連れて現れてね、この子を預かってくれと頭を下げてきたものですから。友人たっての頼みを無下にするのもねえ」
「でも、検挙から逃れていたことくらい、あなたならわかったでしょう。子供を預けるなんて、何かしようとしているとは思わなかったの」
死ぬつもりの計画などとは思わずとも、子供を置いて何をするつもりだと、説得することはできたはずではないのか。
レリシャが詰め寄ると、ビャクダンは緩くかぶりを振り、彼女ではなく、隣の不安げな丸い瞳を真摯に見つめて告げた。
「―――お父さんは、用事が終わったらあなたを必ず迎えに来ると言っていましたよね」
泣くのを堪えるように唇を噛み、少年は何度も首肯した。
その表情に、声に、嘘は一片もなかった。故に詰問も説得もしなかったのだと言う。
だからといって、どう考えても良い展望が皆無であることはライルにもわかる。
要求が拒否されたら自害、万が一要求が叶ってもすんなりと帰れるはずもない。
立て籠もりとは存外に神経をすり減らすと聞くし、疲れが出てきた頃を見計らって突入の上全員お縄という展開も十分ある。
一番まずいのは、その後の調べで自作自演が判明することだ。
そうなればナファディ卿のこと、口実ができたとばかりに喜々として残らず首を刎ねてしまうにちがいない。
ただそんな現実を、こうして不安に揺れつつ父親の帰りを待つ子供の前で口にできるほど無神経にはなれなかった。
「大丈夫。わたしたちが、がんばるから。あなたとお父さんはまた会えるわ。信じてここで、待っていてほしい」
揺らぎかけているライルの心をも静めるような。
疑いなど懐かせない、彼女の澄み切った声音が、彼を奮い立たせる。
「ああ、そうだ。俺たちが力を尽くす。お前の父さんも、無実で捕まった人たちも、助けてやる」
救いを得たような泣き笑いになって、ニノはまた何度もうなずき、膝の上で拳をぐっと握りしめた。そして。
「…あのさ、ぼくを逃がしてくれた、リノンねえちゃんも捕まって連れてかれちゃったんだ…助けてくれる…?」
その口から、ライルが求めてやまなかった名を紡ぎだした。
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作品名:D.o.A. ep.58~ 作家名:har