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無窮花(ムグンファ)~二度目の恋~【続・相思花】

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「いっそのことこのままそなたを攫って都に連れてゆきたい。いや、何もかも棄てて、ここでそなたと暮らしてゆけたなら、どんなにか良いだろう」
 しかし、そんなことができるはずがないことはソナもソンスもよく知っていた。ソンスは誰よりも国王に忠誠を誓い、この国を愛する官吏なのだ。
 ソンスはしばらくソナの髪に顎を押し当て、その香りを嗅いでいた。
「私たちを結びつけてくれたこの花が二年後に咲く時、必ず迎えにくる」
 ソンスは木槿の花を後生大切そうに袖に入れ、代わりにソナに小さな包みを渡した。未練を振り切るようにソナから離れると今度こそ背を向けて庭を出ていった。
 遠ざかる背中をソナは涙の滲んだ瞳で見送り、ソンスの広い背中が見えなくなると、その場に突っ伏して泣きじゃくった。

 季節はめぐり、花は咲き河は流れる。一つの河がある場所ではささやかなせせらぎであるのに、ある場所では何もかもを飲み込む濁流となるように、ソナの心模様も流れゆく日々の中で、刻一刻と揺れた。
 あるときは都へと帰った恋人が二度と帰ってはこないだろうと半ば自棄にも似た絶望を抱え、あるときはまた彼が旅立った日にひろがっていた蒼空のごとく一点の曇りもない心で彼の帰還を信じ―。そうやって、ソナは長い二年を過ごした。
 一年が過ぎて木槿の花が咲いて散り、更に長い一年が過ぎた。木槿村は再び、その名の由来となった花があこちこちで咲き始める季節を迎えていた。
 その日、ソナは真新しい晴れ着に身を包んでいた。それはソンスが二年前に託した包みだった。上衣は黄なり色(アイボリー)で、チマは深紅、上衣には紅の木槿が鮮やかに刺繍され、ひろがったチマには木槿の花が大きく金糸で縫い取られている豪華なものだった。チマは二段で、橙色に深紅の絹を重ねている。下から覗いた橙色の裾部分には精緻な連続文様が描かれていた。
 ソンスは別れる日、二年後に迎えに来るときはこの衣服を着て待っていて欲しいと言い残したのだ。
 今日は朝から幾度鏡を覗き、化粧を直し髪を直したことか。もちろん、結い上げた髪で揺れていたのはソンスがくれた緑玉の簪だ。
 一日待ち続けても、ソンスは現れなかった。長い初夏の陽がそろそろ傾きかけた頃、ソナは家の前の縁にぼんやりと座っていた。満開と咲く木槿の花は二年前、彼がソナを狂おしく抱いたときと変わらないのに、彼の心は遠く都にあって変わってしまったのか。そう思うと、不覚にも泣きそうになる。
 木槿の花色がぼんやりと霞みかけた時、ソナのチマの裾を小さな手が引っ張った。
「お母さん(オモニ)」
 我に返れば、幼い娘が無心にソナを見上げている。ソナは涙を拭って娘を抱き上げた。
 妊娠に気付いたのはソンスが旅立ってから二ヶ月後のことだった。初めての経験で気付くのが遅れ、気付いたときには腹の子は既に四ヶ月に入っていた。
 村の産婆の診立てでは身籠もったのは五月の半ば、つまり初めて身体を重ねた夜か、その次の夜くらいだろうと思われた。つてを頼り都のソンスに知らせたいと思ったけれど、彼が心変わりをしていたとすれば、かえって哀しい結果になるだけだと知らせなかった。
 二歳になった娘は女の子らしく、よく喋り、おしゃまだ。今となってはこの娘だけがソナのすべてだった。
 最初の恋人ハンとの間にはどれだけ願っても数え切れないほど身体を重ねても、ついに子どもは授からなかった。けれど、ソンスとは数度の契りで身籠もったのだから、やはり彼とも浅からぬ縁があったということなのだろう。
 たとえ彼との縁が二年前のあのときに終わっていたのだとしても、彼はソナにこの娘を、かけがえのない我が子を授けてくれた。この娘の父親というだけで、ソナはソンスをずっと良い形で心にとどめておける。
「緑玉(ノクオク)、どうしたの?」
 ソナが娘の顔を覗き込むと、緑玉が小さな指で前方を指した。
「ほら、あそこ。知らないおじちゃん、来てる」
 回らぬ舌で一生懸命に告げるのに優しく頭を撫で、娘が示す方向を見る。ソナの黒い瞳が大きく見開いた。
「―ソンス」
 呟くと共に靴も履かずに庭に降りて走り出していた。
「その子は?」
 ソンスは二年前と変わらなかった。あの日と同じように蒼色のパジをすっきりと着こなしている。変わったのは鼻の下にたくわえた髭だけ。それが彼の若々しい気品溢れる容貌に重みを加えている。
 ソナは腕の中の娘を見て笑った。
「あなたさまのお子です」
 ソンスの眼が束の間揺れ、涙が煌めいた。
「ソナ、君は素晴らしい贈り物を用意して待っていてくれたんだね」
 ソンスは感に堪えたように呟き、両腕を伸ばした。
「おいで」
 緑玉はソナの手からソンスの手へと抱き取られた。こうして見ると、二人が父子であることはひとめで判る。特に目許口許はそっくりだ。
「オモニ、このおじちゃん、誰?」
 あどけない声には、ソナではなくソンスが応えた。
「私はそなたの父だ。長い間、淋しい想いをさせて済まなかったね。もう、これからは絶対に何があっても離さない。家族三人、いつまでも一緒だ」
 ソンスはソナを見つめ、微笑んだ。
「王命により、この地の新しい使道に任命された。もう、これからはずっと一緒にいられる」
 ソナの眼から堪えていた透明な涙が溢れ頬をつたい落ちた。
「お帰りなさい、あなた(ヨボ)」


 ―それは新しい幸福の予感だった。ソナの物語はここで終わるが、幸せな恋はこの後も永遠に続いたに違いない。
 今度こそ果てなく続く幸せという名の物語の序章は今、始まったばかりなのだから。
 木槿の花言葉は一片丹心、あなたを一途に恋い慕い続けます―。  
  (完)








エメラルド
 宝石言葉―新たな始まり、幸運、幸福。愛、清廉潔白。安定、明晰さ、先見の明、満足感、歓び希望、森の湖。













 あとがき

 こんにちは。
 いかがでしたでしょうか? 今は木槿の季節ですね。私、この物語を描くに当たって木槿について調べたのですが、画像を見て、?あ、この花は見たことがある!?―笑。ハイビスカスだったんだ!
 意外に身近な花なんですね。木槿は韓国の現在の国花でもあるそうです。元々、ソナの話は?相想花?で終わるはずでしたが、どうもあまりにソナが可哀想で、続編を描くに至りました。
 私は暗行御使ものを描くのはこれで二度目です。推理もの風にもなるため、頭の悪い私にはなかなかの難局でした。今回も不十分極まりないとは思いますが、失敗を怖れていては進歩もないし、作品も出来上がりません。
 向上心は必要だけれど、常に進む姿勢も必要です。というわけで、恐れ知らずにも再びの挑戦となりました。
 今回はとにかくソナに幸せになって貰いたいのが第一でした。
 永宗を死に追いやったとされる傾国の美姫は実は死んだのではなく、その後も生きて今度こそ幸せな結婚をし家庭を築いたという後日談があるとのことです。
 それでは、今回もありがとうございました。次回作でお会いできれば幸いです。
東 めぐみ拝
2015/05/05