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怪人と 1度もおまえに呼ばれなかった

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10『勝者ドン・ジュアン』



『勝者ドン・ジュアン』

赤い音符が
ひしめく譜面

20年間
心中を
吐露しつづけた
自作のオペラ

たぶん死ぬまで
未完だろうが
書かずにおれない
我が自伝

あられもない
素顔を晒して

おまえの前から
どう逃れ
陰気な部屋に
どう戻ったかも
覚えていない

オルガンに向かい
歌い続けて

ひらめくままに
赤い音符を
綴り足し

鍵盤を叩き
また歌い

つい今しがたの
現実を
仮面を失くした
悲喜劇を

なかったことに
したかった

それが無理なら
忘れたかった

モルヒネを
切らしてなければ
一も二もなく
頼っただろう

あいにく
手持ちが
無いとなったら

『ドン・ジュアン』にでも
没頭しないで
ほかに私に
どんな手がある?


(2)

「エリック」

半日過ぎたか
1日過ぎたか

オルガンの
音の止み間に
呼ばれた気がした

私の名を
呼び得るとしたら
ただ1人

振り返るのは
やぶさかでないが

むき出しの
この顔をまた
見る羽目になる
その人が

気の毒だから
遠慮したのに

「エリック」

それでも声は
懲りずに呼んだ

「顔を見せて」

「怖がらないから
私を見て」

「もう泣かないから
どうか赦して」

「あなたのオペラを
聞きたいの」

声のする方を
向いていいのか
背中を
向け続けるべきか

判らなかった

その声の意志を
受け入れるべきか
それとも
部屋から
追い出すべきか

判らなかった

泣いていいのか
笑っていいのか
判らなくて

声の主に
尋ねたかった