阿修羅に還れ 第一章
口角泡を吹いて攘夷を唱える男達が、日本中の剣術道場を媒介にして勤王の志士とやらを増殖させていた。だから江戸の剣術道場も熱く語らう自称尊王攘夷の志士たちでごった返している。
歳三が試衛館に出掛けても、そんな光景を冷ややかに見ているだけで話の中へは入らない。
「ん?歳はどうなんだ?こういう話は興味がないのか?」
と水を向ける近藤に、
「いや、聞いている。頭の中の整理がつかないだけだ」
頭の中の整理がつかないというのは本当だった。攘夷論を熱くなって語る者達の話は聞いても聞いても謎だらけだからだ。
数年前に起きた桜田門外の事件、水戸の攘夷派が先立ちとなり井伊大老を暗殺したのだが、それで世の中の流れはどこへ向かおうとしているのか。あの事件をきっかけに元の鎖国時代に戻そうとしている、とも思えなかった。
江戸にも攘夷だ、勤王だときな臭い事件が立て続けに起き男達の血を滾らせる種はいくらでもあるのに、歳三の気持ちを揺り動かす者は何もなかった。
歳三の足を京に向けさせたのは何だったのか。
京という雅な響きか、王都という絶対的な響きか、京も江戸と同じく西国の藩士らが先立ち攘夷だ勤王だと騒ぎを起こし江戸となんら変わりはない。むしろ江戸より京の方が物騒だと言える。
歳三を「京へ行く」と決断させたものは、「将軍家茂の警護」であり「幕府から出る支度金と手当て」であったろう。
将軍の警護として雇われる、すなわち幕府に雇われたに等しい。幼いころからなりたかった武士への夢に一歩近づけるのだ。何をやっても長続きせず、お店勤めも百姓も嫌で家伝の薬売りをしながらぶらぶらしていた歳三だった。
尊王攘夷でも勤王でもない、ただ将軍警護という響きだけが歳三を舞い上がらせた。
しかし、この二百人からなる浪人集団・・・。
「もう少し上手く動かせないもんか?幕府に人材はいねえのか?」と歳三にため息を吐かせるどうしようもない代物だったのである。
「源さんだけが別の宿なんて嫌だな。ここに一緒じゃいけませんかねえ」
あてがわれた宿舎は壬生村の前川邸。一番若い藤堂平助と沖田総司が宿割に不平を言いながらも嬉しそうに荷解きをはじめた。
「私はどこでもかまいませんよ。しかし歳さんあそこに東寺の塔が見えなければ京とは思えないな」
「まったくだ」
井上源三郎も歳三にふと京の第一印象をもらしたものだ。しかし、歳三の意識は山南の言葉に向いていた。
「近藤さん、今夜新徳寺に我らを集めていますが何の話でしょうね」
山南敬助が物知り顔で近藤勇に話しかけている。山南はこの手の話が好きだ。
「うん?今後の予定とか、だろう」
ま、普通はそう考える。でも山南の物知り顔がそうではないと言っている、それを気づかぬ所が近藤勇の良い所だ。だが、京に来たからには(それじゃ駄目だ近藤さん)歳三の眉が不機嫌そうに寄せられた。
「何かあるような気がしますね、清河八郎という男はばりばりの尊王攘夷家です。素直に将軍警護なんてやりますか・・・」
「なんだ、何かありそうなのか山南さん」
広い前川邸をあちらこちら見まわしながら答える。近藤、本当はこの邸の中を見て回りたいようだった。
「ま、ここはあちらさんの今夜の出方を見てという事で」
近藤のそわそわした様子にそれ以上話しかけるのをやめた山南も、自分の腕の手甲を外し始めた。
「おい歳、ちょっと中を見てみないか後から斎藤君も加わるだろう?」
自分の好奇心をごまかしたくて斎藤一を引き合いに出した。
「お伴しますよ、男の荷物なんてこれだけだ」
振り分け荷物と風呂敷包みを放り出し、刀をつかんで近藤と部屋を出た。一通り見てまわると西側の門から小路をはさんだ向かい側の家を見る。
「あちらに芹沢さんらはいるようだな」
八木邸のことである。壬生ではこの前川邸、八木邸、南部邸に浪士等が、新徳寺に浪士隊の世話役の幕臣や清川がいる。
浪士が何故、京へ上って来たのか。
それはこの年の正月に、吉報が届いたことに始まる。幕府による浪士組募集の報せは石田村の実家で聞いた。
日野の佐藤彦五郎の道場で一緒に剣術をやっている井上源三郎がめずらしく興奮した様子で歳三のもとへ駈け込んで来たのだ。
「歳さん、幕府が一人十両で上様の警護を行う浪士を募集しているそうだよ、身分は問わないらしい」
「何?本当か源さん?」
わざわざ自分が出向いて報せてきたからには、本当の事だろう。源三郎は八王子千人同心を務める井上家の三男である。報せはそのあたりが出どころだろう。八王子千人同心といえば身分は郷士で一応武士であったが、普段は百姓だ。
「源さん、これが本当なら・・・本当なら詳しいことを知りたいよな?」
歳三は身体中の血が、自分の奥底から湧き上がってくるのを感じた。武士になれる、浪士といえど武士に加えられることになるのだ。
「源さん、今から試衛館へ行こう。あそこなら何か詳しいことがわかる」
歳三は言うやいなや玄関先に飛び出した。
「今から?暗くならないか?」
「急げばいいさ、果報は寝て待てなんざ暇人のするこった」
江戸まで九里の道を、飛ぶようにして二人は試衛館へ辿り着いた。
浪士募集は、尊王攘夷家の清川八郎という男の建白書が、幕府政治総裁の松平春嶽に取り上げられての事だった。
一、攘夷を断行する
一、浪士組参加者はこれまでに犯した罪を免除のこと
一、文武に秀でた者を重用する
しかし、浪士隊を結成して将軍警護に当てようとした幕府の思惑もそうは上手くいかなかった。募集は浪士といえども腕に覚えのある精鋭五十人ほどを予定していたが、蓋を開けてみれば二百五十人もの男たちが集まっていた。
一人十両もらえて、過去の罪は問わないという寛大な募集に食い詰め者はもちろん博徒まで混じっていた。幕府は、武士ではないまでももう少しマシな連中が集まってくると思っていたから二の句が継げない。この中から篩にかけようとは思わなかったのか。
結局この目も当てられぬ連中を江戸から追い払えるならと、幕府は渋々予算を上乗せして合計二百五十人を京へ連れてきた。
歳三をもやもやした気持ちにさせたのは、この目も当てられぬ連中と自分も同じひとからげにされているという事だった。
京に着きお役目を果たす中で、必ずや抜きんでてみせるという決意に駆られていた。しかし幕府からの支度金は、人数の関係で十両が三両になったまま増えることなく京へ到着した。
この清河八郎というのは、もの凄く頭が良い秀才型の人間でおまけに剣の腕も北辰一刀流免許皆伝という勤王の志士の中でも逸材と言われている。早くから諸国をめぐり倒幕運動をしていた男が、建白書を取り上げられたという事で自分の考えが幕府に受け入れられたという事なのだが。
しかし、よく考えてみると建白書を取り上げたのは清河が嫌いな幕府だ。
おまけに京へのぼる浪士隊にかかる費用も、幕府が金を出している。
歳三にも山南の考えていることがうすうすわかってはいる。だが、それを歳三は口にしない。清河のしていることは胡散臭いが、出方がわからないうちは考えても答えが出るわけでもないし、さりとて行動に移せるわけでもない。
作品名:阿修羅に還れ 第一章 作家名:伽羅