ゆめ
ふと、ボクの背中にキミの気配を感じる。
いらっしゃい。もう少し待っててね。今日は忙しかったの?
キミが居るのに 姿が見えない。でも声は聞こえる気がする。やっぱり居ないの?
もしかして、ボクって……
これ 夢の中?
夢の中で 夢だって気が付くことってあるのかなぁ。たぶんあるんだろうな。だって今、ボクは、そう感じているのだから。キミの姿が視界に入って 振り向くといない。そんなくりかえしを数度してしまった。なんの不思議も思わないまま 笑いながらしているボク。
締めたはずの窓がまた開いている。と、そのとき寄せられていたカーテンが大きく翻った。
ボクは、慌てて原稿用紙の文字たちを押さえた。
しまった! ひと文字飛んでしまった。
押さえた文字から 注意深く手を離すと、ボクは飛んでしまったその文字を探し始めた。
『ここにあるにゃん。 はい。あーん』
あーんてね。 恥ずかしいよ。振り返ったボクは、キミじゃないキミを見た。
いや 確かにキミだ。春の嵐の中を戦ってきたように髪は乱れ、目の周りは化粧が滲んでおばけのようになっている。可愛い唇は青白く 端っこに赤く口紅がついていた。
でも、怖くない。また悲しいことがあったの?
ボクは、急に泣き出す。声を上げて泣き出す。なのに声は聞こえない。
急に左のわき腹が、きゅんと痙攣したかと思ったら、頭が頸部からガクンとしな垂れ、反射的に頭を戻した。
「起きたかにゃん」
そうボクを覗きこむキミの髪が頬に触れた。
「あ、あ……」
ボクは、よだれでも垂らしてないかと確かめるように右手の甲で下顎を撫でた。
その手が顔を離れた。ボクは目の前のキミを抱きしめていた。
「みぃたぁなぁ」
悲鳴のような高い笑い声をあげて さらにキミが腕の中に飛び込んできた。
「寝てたにゃん」
「可笑しなことしてた?」
「にゃん」
なんだ、この悪戯っぽい視線は…。 口元なんて両頬があがって猫口じゃないか。
窓を見ると、以前買い替えた平織の布地に誰かが悪戯書きしたような絵柄のカーテンが揺れていた。
「うたた寝してしまった」
「にゃお。ねえ猫もお昼寝してたよ」
「キミは?」
「しなぁい」
「そっか。何処か少しだけ散歩しようか」
キミは頷くと 手に持っていた綿毛のタンポポを原稿用紙に乗せた。
「お留守番。ここで夢を見ててね」
ボクとキミが散歩に出かけている間に 文字たちが綿毛につかまって何処かに飛んで行ってしまわないかと気に掛った。
まさかね。
まだ夢の続きを見ているかのような気持ちで ボクはキミと手を繋いで出かける。
やっぱり 起きていてもキミと居る時間は夢のようだ。帰ってきたらいっぱい話をしようね。キミの「にゃん」がボクを夢に誘う魔法だ。
ちょっと居眠りしてしまった昼下がり。
ただそれだけなのに……。
― 了 ―