あの世で お仕事 4
南大門は、ついさっきまで、恐怖に震えて居た事など、すっかり忘れて目を輝かせた。
「人間界に居た頃の私をご存知でしたか。後世の方に名前を覚えて頂けるなど、私にとって身に余る光栄で御座います。」
と、青鬼百二十二号は、頭を下げながら言った。南大門は、
「それで解せたぞ、弁解さん。あんたが昔、主人である皆友義経(みなともの・よしつね)と供に、奥州へ向かった際、安宅の関で関守に咎められた時の事。嘘八百の勧進帳を読み上げ、『わしらが疑われるのは、お前のせいじゃ』と、お付きの若蔵に変装していた主人を打ちのめして、その場の難を逃れたと言い伝えられて居る。もしそれが本当なら、川辺からわしらを投げ飛ばしたのも、その時同様、わしらの事を知りながら、当時と同じ手で助けてくれたのじゃな?」
と、尋ねた。青鬼百二十二号は、大きな体に似合わず、はにかんだように頭を掻きながら、
「はい、左様で御座います。二番煎じではありましたが、まずは上手く事が運んだ様です。」
と言った。そして、彼は、自分が二人の傍に付いて居るので、もう暫く眠るようにと言った。南大門と橘は、再び横になり、心安らかに深い眠りに着いた。
六法堂が、帰って来た時、二人はまだ眠って居た。
彼の帰りを待っていた青鬼は、深々と一礼した後、烈河増の状況を報告し始めた。
青鬼の話に依ると、最近、多くの人間が、私利私欲に走り、世の中の混乱は、そのまま人の心に反映されて居る。その為、地獄へ送られて来る人間の数も、急速に増えつつある。罪を犯した者は、それを清算するのが、天上天下の決まりである限り、それは仕方のない事である。しかし、このところ、閻魔殿で地獄行きと決められた人間の数より、実際に地獄で修行している人間の数が少ない。中には、四門地獄まで来る事が出来ず、彷徨い続けて居る者もあるだろうが、それは、閻魔殿から地獄行きの沙汰を申し渡された人数から見れば極僅かなものである。
閻魔様からの密命を受けて、その数の違いを、それとなく探って見たところ、烈河増の一部の鬼達の動きが怪しい事に気付いた。
この地獄にある四つの審査室のうち、一つを担当している赤鬼二百二十六号という者が居る。この鬼の審査を受けた人間達が、その後どの様にして八熱地獄へ送られたか全く分からないのである。灼熱の川へ投げ込んだという記録も残って居ないし、勿論、岩山へ投げ飛ばしたという事も無い。
「私も、赤鬼二百二十六号の行動を、それとなく探ろうとしてみたのですが、何しろ他の部署の事なので、思うに任せません。只、あの者、最近特に金廻りが良いらしく、黄金の金棒、楼烈駆栖(ロレックス)の腕時計など高級品を、次々買い求めて居ます。私たちの報酬だけでは、とても買う事など出来ない品物です。奴は、天界宝くじに当選したと言って居るそうです。が、千年に一回の当選発表日は、確か二百年ほど前だった筈です。それは、赤鬼二百二十六号の生活が派手になり始めた時期と一致しません。」
青鬼百二十二号は、そう言った後、
「私は、閻魔様から、『六法堂様の指示の下、必要とあれば烈河増内での振る舞い勝手』とのお墨付きを頂いて居ります。私でよろしければ、存分にお使い下さい。」
と続けた。六法堂は、いずれ時期を見て連絡をする旨、青鬼に伝え、その時が来るまで、持ち場で今まで通り仕事に励む様指示した。
六法堂は、一人考えた。
青鬼が言う様に、確かに烈河増に居る筈の、人間の数は、かなり少ない。それが、烈河増の審査室で何がしかの不正が行われて居る為だ、とすれば頷ける。しかし、不正は本当に其処で行われて居るのであろうか? そうだとすれば、彼に分からない筈はない。地獄で働く鬼達の管理は、閻魔殿の担当である。全ての地獄を見て歩くことは難しいが、各地獄の獄長が、定期的に細部に渡る報告書を提出している。もしも不明な点が有れば、ただちに査察が行われる。記憶の限りでは、最近、烈河増で査察があったという事実は無い。以前、八熱地獄の大釜の、油の温度が千八百度しかないと、閻魔様が、言われて居た。だから自分も、烈河増の川を流れる灰の温度を確認した。全ての温度が低くなって居る可能性を感じたからだ。しかし、灰の温度は、決められた通り二千九百度であった。その温度であれば、人間は、最低でも九回は川で生死を繰り返す。人は、地獄で九死に一生を得ながら、次の地獄へと進む。決められた通り、九死に一生を繰り返すなら、烈灰川で修行して居る人数は、少なくとも現在の数より、二割多くなくては報告書の内容と一致しない。
はたして、その人間達は何処へ行ったのか? そして、誰の指示で、誰に依って・・・?
首謀者、あるいは首謀者に近い存在として、赤鬼二百二十六号が居るという情報は、今、青鬼百二十二号から聞いた。この地獄で不正を働く首謀者は、鬼などの様な小者ではなく、もっと甚大な力を持った者だと、六法堂は、考えている。一審査室の責任者程度では、広大な地獄の統卒が出来る筈などないからである。
その様に考えてみれば、地獄の粛清が、本当に自分達だけの手で出来るのだろうかと不安さえ感じる。六法堂は、今までに挫折というものを経験したことが無い。特に、閻魔殿に配置されてからは、どの様な問題でも、たちどころに解決する有能な役人として、閻魔の片腕とまで呼ばれる程にまで、周りの者達から称される様になっている。
しかし、この度の任務は、少々勝手が違う。一番の違いは、向かう相手が誰だか分からない点である。従来、彼がして来た様な、正面突破は当然出来ない。本当に自分は、周りが言う様に有能であったのか? 有能であったのなら、何故、南大門や橘が、この様に体を痛める前に救えなかったのか。六法堂は、常に完璧を求める者として、他の者以上に、自身の能力に疑いを持った。自分には、思っている程の実力がないのでは・・・? 六法堂には、地獄本殿閻魔執務室主任執務員という、長ったらしい役職名が有る。事務処理に有能な陰陽が同じ部署に居る為、必然的に彼には、もっぱら対外交渉の役割が回ってきた。それら一つ一つを、本当に自身の実力のみで解決して居たのだろうか?
彼には、気になっている言葉があった。それは、知りあって間のない、やまちゅうの言葉である。
『俺は、他人の肩書きと付き合っては居ない。身ぐるみ剥いだ人間そのものと付き合って来た。』
彼は思う、自分の周囲の役人達は、肩書きに頭を下げ、肩書きに素直な返答をしていたのではないのかと。彼は、今まで人間の言葉に、本当の意味で耳を貸した事など無かった。天界に暮らす自分達の方が、全てにおいて優秀だと思って居たからである。
案外、人間も、自分が思って居るより、優秀なのかも知れない。仮に、人間が、知らず知らず言い放つ屁理屈にも、中には一部の理が有るのかも知れない。言葉にすると上手く伝えられない、感情という、人間の厄介な持ち物を前面に出すやまちゅうの言葉に、何かを教えられた様な気さえした。
(二)
裏金剛の尾根に添って、人ひとり、やっと通れるくらいの、道が続いて居る。なだらかに、あるいは険しく起伏した道を、やまちゅうは、歩いている。別に何処まで行くという当てなど無い。只、何故か眠りに着けず、ふと思い立って来てしまった。
作品名:あの世で お仕事 4 作家名:荏田みつぎ