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さくらさくら

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 人間も、物の怪も。それはまるで苛烈な恋のように。
 そう言ってみせれば新良は露骨なまでに訝しげな面持ちで眉を顰めて「そうかァ?」と返したのだった。



 それから数刻後。異形の溢れかえる挟間の世の飲み屋の一画で、新良がげんなりとした様子で今日あった出来事を語っていた。聞き手はハガクレでなければ人間でもない、挟間の世の同業者だ。顔はそのまま犬と称しても差し支えのない形をしているが体だけは人間と変わらない成り。だが藍染めの着物から伸ばされた手足は毛深く、獣とも人間ともつかない曖昧な形をしている男だった。
 犬は新良の話に関して半分は酔っぱらいの戯言だと思っているのだろう、「それは御苦労」と言って興味なさげにお猪口に注がれた酒を煽る。それを見た新良が「俺の奢りなんだから大事に飲め」だの「有り難みがない」だの逐一騒ぐのだから、彼も相当に辟易としていた。物売り達の交流の場で鉢合わせ、奢ってやるから愚痴に付き合えと半ば引き摺られるようにして赤提灯の並ぶ暖簾を潜りかれこれ一時間。始めから今までずっとこんな調子だ。酔っているのかいないのか、最早判別がつかない。
 面倒臭さも相まって、犬は新良を黙らせようと彼の手元にある乾いたお猪口に酒を注ぐ。散々犬の酒の煽り方に文句を言っていた新良だが、彼も変わらず大げさに酒を煽り盛大な溜息を吐いたのだった。
「まあ、無事で何よりだったと済ませたほうが良い」
 結果として新良は桜に喰われずに済んだ。危険な目にこそ遭えど命を救われたことに関してはハガクレに感謝するべきではないか、と犬が言う。だが、じいと手元のお猪口を睨みつけていた新良は不服そうに頬を膨らめるだけで肯定の言葉は口にしない。人間というのは随分子供染みた行動をするものだ、と呆れながらも犬は再度人間のお猪口に酒を注ぐ。
「いいもんか。お陰で恩を着せられた俺は金細工の入った煙管と細工箱の両方を破格で譲ることになっちまったんだぞ」
「かっかっか。命に比べたら惜しくあるまいて。詮無きことよ」
「せめて河童の妙薬と交換して欲しかった」
 がん、と突っ伏して卓の上に並んだ空の食器が揺れる。お猪口の中の酒だけがその水面を静かに揺らした。
 確かに新良はハガクレに救われたのだろう。だが、新良を危機に晒したのもまたハガクレだ。いくら新良自身が桜の話を強請ったからと言って危険な目に遭わせる必要があったのだろうか。犬自身も顔見知りである銀髪の鬼の顔を思い浮かべ、ふと思い当たる。
(ああ、成る程)
 恩を着せて欲しい物を格安で手に入れたという「幸運な」あの蒐集家。あの鬼はこの好奇心旺盛な人間の性格を良く知っている。人を疑う性質であること、また鬼が利得でしか動かないと人間自身が信じてくれているということを。それはある種の「信頼」にも近い。
「新良。おぬし、ハガクレに嵌められたな」
「あァ?」
 酒のせいか、目の据わった人間を前にして犬が苦笑を浮かべる。一方の人間は今し方犬が口にした言葉を今ひとつ理解していないのだろう、彼の苦笑にただ訝しげな視線を向けるだけだった。これは人間を諭しても面倒そうであるし、鬼の思惑を暴くのも余計な恨みを買いそうだ。そう思った犬はゆるりと首を横に振り「なんでもない」とわざとらしく誤魔化す。それに納得行かないのは新良で、彼は当然のごとく詰め寄ろうと身を乗り出した。
 だがそうなることも見越していた犬はツイと毛むくじゃらの手を伸ばし、「しぃ」と苦笑を浮かべて上げられかけた声を御する。先手を打たれた新良は酷く不服を訴えた面持ちで腰を下ろし、先程注がれた酒を一口で煽った。
 落ち着いた所を見計らい、犬は先程聞いた新良とハガクレの遣り取りを思い出しながら人間が知らないであろう話をぽつりと口にした。
「ああ、それと。樹の下に件の手が伸びてこなかった理由だがな。そんな華のある理由ではあるまい」
 鬼がまるで苛烈な恋だと称した理由。犬はそれをはっきりと否定する。
 では何か。新良が問う。すると犬は牙の揃った口を大きく開けて笑った。
「根である腕を闇雲に振るい、うっかり本体を傷つけるわけにはいくまい。それだけよ」
 挟間の世の者は現し世の者よりもただ淡々と合理的だ。それを伝えれば新良は赤提灯に彩られた夜空を盛大に仰ぎ「あの野郎!」と声を上げたのだった。
作品名:さくらさくら 作家名:Kの字