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さくらさくら

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 友人と称したがハガクレは人在らざる者。異形の中では解りやすい性質をしているが、人間で無い以上安全である確証はない。まあ、人間であっても危ない者は多々居るので、人間が安全というわけでもないけれど。
「ハガクレ。何企んでやがる」
 一歩身を引き新良が半眼で問う。だが問われたハガクレは笑うだけで答えは無かった。
(妙だ)
 そもそも、自分に利得もないのにハガクレがこうして新良を案内することが奇妙なのだ。この鬼は自分の好奇心や欲望に従順で、他人のために手間を掛けることは滅多にしない。特に新良相手には余計に、だ。
 もう一度、何を企んでいるのかと言葉を掛けようとしたその時だった。
 ぐらりと足元の土が盛り上がり視界が揺れる。転びそうになった所を何とか踏みとどまり、歪な土を見遣るとそこからぼこりと手が生えた。それは炭のように真っ黒な手で、とても生きた人間のものとは思えない禍々しさを放つ。
「何…」
 間髪入れず手は次々と生える。それらは盲目なのだろう、まさに手探りといった様子で辺りを探り土や草花を掴んだ。掴まれた草花の外見には何の変化も無かったが、色味が落ちたように生気を失う。恐らくあれでは数刻と経たない内に朽ちてしまうだろう。
 アレは悪意のあるものだ、と本能的に捕まってはいけないと察した新良は一歩二歩と下がって距離を置く。すると地から生えた無数の手はピタリと動きを止め、申し合わせたように掌を新良の方へと向けた。
 その一瞬。新良は確かにそれらへ向けて畏れを抱いた。
 異形の中でも悪意の強い「まがつもの」は畏れに敏感だ。故に、挟間の世界に入り浸る者は畏れを抱かないよう振る舞う。だが、どうしたって得体のしれないものを目の前にすれば少なからず畏れを抱くことはあるだろう。それが人間であるなら殊更に。
「しまった」
 そう言葉を口にした時には既に遅い。無数の手はボコボコと土を沸き上がらせ、ゆるりと掌を人間へ向かって伸ばす。本来なら肩まで見えているはずの長さまで腕は伸びていたが生憎これらは人の手の形(なり)をしただけの異形であり、その先にはただ延々と二の腕のようなものが繋がっているだけだ。つまり果てがない。
 ハガクレを問いただすよりここは一先ず逃げるべきだ。そう判断した新良がくるりと踵を返す。だが次の一歩を踏み出すことはなく、彼は立ち往生するに留まった。
「無い」
 道がない。先程ここまで歩いてくるのに使った道がない。それどころか、空間をまるごと切り取ったように真っ暗だ。いくら霧が濃くてもこれ程までに先が見えないということはないだろう。まさに一寸先は闇というやつだ。その上歩けど闇の向こうへは進めず、足は同じ地面を蹴ることしか出来ない。
 背後には黒い手、目の前は進むことの出来ない闇。最早絶対絶命かと思い顔を上げ、振り返れば視線の先に呆れ顔の鬼を捉えた。彼は先程同様、桜の木の根元で黒い手に襲われること無くこの状況を眺めている。
 何故襲われないのか。畏れを抱いていないからか、あるいは。
 そこで新良は先程の手招きに思い至った。ハガクレの手招き、それが意味するもの。
「ええい、一か八かだ」
 トンと一つ跳躍。新良は黒い手を草鞋で踏みつけて樹の下にいるハガクレを目指す。。
 己の頭上を跳ねる人間を捕まえようと、蠢く掌は次々と新良へ向かう。だがそのどれもが新良を捕らえることが出来ずに宙を切る。動きが緩慢なのが幸いだった。ただ足場は相当悪い。まあ、荷がもあるのも原因だがこの手達には人の肉の感触は無く、どうも木の根の踏み心地がするのだ。
 あと一歩で樹の下。ところが、そこまで至って新良が体勢を崩す。
「うっわ!」
 慌てて足元を見やれば草鞋の尾に黒い指先が微かに引っかかっていた。それを足掛かりに手達は脚絆や着物の裾を次々と掴んで、彼の体を己等の元へ引きずり込もうとする。
 しかしそれは反対側へと引っ張る力によって遮られた。
「やれやれ。始めから私の言うことを聞いて此方に寄っていればよかったのに」
 人間を救ったのはかの鬼。ハガクレは腕を伸ばし、新良の着物の合わせ目を掴むと強引に己の目線より高い位置へと彼の体を引き上げていた。外見は細身の青年だが流石は<鬼>と呼ばれる存在。新良の重さなど大したものでもないのだろう、ハガクレは平然とした面持ちで己より背の高い彼を吊るしあげる。お陰で新良が黒い手に飲み込まれることは無かったが、彼の足から手を退けさせるために取ったこの体勢はまるでゴロツキの喝上げのような光景だった。あと、少々息苦しい。
 ハガクレは掌がこれ以上追ってこない位置にいることを確認すると、まるで塵を捨てるような手つきで新良を幹側へと放り投げる。「ぎゃ」やら「ぐげ」やら情けのない悲鳴が聞こえたが彼は一瞥もしなかった。
「いってえな! もう少しマシな下ろし方があるだろうが!」
「先に助けて貰ったお礼は?」
「うっ… アリガトウゴザイマシタ」
「嫌だなぁ、お礼と言ったら物品でしょう」
「おい、マジ勘弁ふざけんな」
 助けて貰ったというのに半眼で睨め付けてくる新良を尻目に「冗談だよ」と、鬼が意地の悪い笑みを浮かべる。だが人間はこの鬼の性格を良く知っている。冗談だとは言ったが何かにかけて今回の件をネタに恩着せがましい言動をするだろう、と。
 ああクソ、面倒臭いことになった。そう頭上を仰げば視界に広がるのは一面の桜。周りの地には黒い手が這いずり、目眩のするような明暗を映した。暫くは探るように辺りを這っていたそれらだったが、やがて狙っていた獲物が根元に居ると気付き渋々と引き下がる。ぼこりぼこりと土を掘り返し地中に戻っていく腕というのは酷く気味の悪いものだった。
 最後の一本がその身を沈めると途端に辺りの空気ががらりと変わり、未だ空は暗いというのに鳥の姿が掠め飛ぶまでになった。
「さて、新良」
 漸く、というようにハガクレが口を開く。「話を続けようか」と先程同様の言葉を口にした彼の目には愉悦の色がまざまざと浮かんでいた。
「この木には昔木霊が住んでいた。それは元来人の成りをしていたらしい」
 それがどんな見目をしていたのかはわからない。ただ、人の成りをしていたことは確かだ、と彼は続けた。
「桜の美しさに様々が集い、散っては去る。それを繰り返し年月を経て桜は寂しさを覚えた。寂しさは負の感情を渦巻いて悪意へと変化した」
 誰ぞ傍に居てくれと。木霊は願い、かくしてそれは花に惹かれた者を取り込むことで満たされる。捕らえ、飲み込み、土に還す。それは一層桜を美しく咲かせた。だが、時が経ち冬を越える頃にはまた寂しくなるのだ。だから桜はまた美しく花を咲かせ、己の姿に魅入られる者を引き寄せる。いつしか木霊は人の成りを失い、残った腕だけが人恋しく彷徨った。
「なるほど、俺を捕らえようとした理由はそれか」
 あの腕に捕らえられていれば新良も桜を咲かせる土の一部になっていただろう。ゾッとすると話だ、と彼は肩を竦める。それと同時に疑問が湧いた。
「なあ、どうして樹の下にあの手は来ないんだ」
 お陰で助かったのだけれど。問えばハガクレは愛おしげに桜の幹に指を這わせた。
「逃げる者は追いたくなるけれど、寄り添おうとするものには優しくしたくなるでしょ」
作品名:さくらさくら 作家名:Kの字