33粒のやまぶどう (短編物語集)
男はやっと残業を終え、オフィスを飛び出した。イケメンでもないし、高給取りでもない。これといった趣味もない。別に世の中を恨んでるわけではないが、まさに無い無い尽くしのサラリーマンだ。
「もう30歳、彼女でもいてくれたら、もっと楽しいだろうなあ」
恋愛のチャンスもなく、もちろんデートもない。今日も今日とて男一人電車から降り、バス停へと向かった。
ここからアパートまで30分、バスに乗らなければならない。時計を見れば、最終まで少し時間がある。コンビニに入って、とりあえず夜食の焼きオニを確保した。あとは時間待ちで立ち読みをする。
そしていつの間にか――ザァー、外は雨。
その雨音で男は我に返り、コンビニを出て停留所へと走る。ところがすでにバスは発車したところだった。
「しまった! 立ち読みなんかしなきゃよかった」と後悔しきり。そんな男をあざ笑うように横なぐりの雨が容赦なく吹き付けてくる。
そんな時に気付くのだ、横に女性が一人たたずんでいるのを。
言ってみれば──出てしまった最終バスを待つ女。
ちょっと不気味だ。だが背はスラリと高く、赤い傘を持っている。なかなかセンスがいい女性だ。
「あのう、バスは出てしまいましたよ」
男がこの不運の同志のように声を掛けてみると、女は「あらっ、そうなの」とじっと見詰めてくる。
色白な顔に、切れ長の目が鋭い。しかし、差された紅がその表情を和らげ、濡れた黄金色の髪と相まって……、男は一瞬ドギマギと。それと同時に、この出逢いが俺の平凡な日々を変えてくれるかも、と思い、あとは勢いで、「どこへ行かれるのですか?」と尋ねた。
「こんこんちき山よ」
女はこう返し、連れてってという目で迫ってくる。男は、なぜこの雨の中、こんこんちき山なのだろうかと疑ったが、「そこなら途中ですから、タクシーでお送りしましょう」と誘った。
作品名:33粒のやまぶどう (短編物語集) 作家名:鮎風 遊