33粒のやまぶどう (短編物語集)
思い起こせば7年前、僕はこの教室の先生に拾われた。そして、ここで居候することに。
それとほぼ同時に、5歳の沙里がバレエを習い始めた。
幼い沙里のバレエ、ウサギのようにぴょんぴょんと跳ねるだけだった。その上、泣き虫。先生からちょっときつい指導を受けると、ワァーと派手に泣く子だった。
多分口惜しかったのだろう、すぐに僕の所へ駆け寄ってきて、無造作に首をつまみ上げ、小さい胸に息が詰まるほど僕を抱き締めた。
それでも、やっぱりバレエが好きだったのだろう、友達に負けまいと一所懸命練習に励んだ。
その甲斐あってか、沙里が10歳の頃のある日、僕は見た。沙里の踊りが明らかに進化を遂げたのを。
それにしても不思議だった。突然高いハードルを超えたような上達で目を疑った。だが最終的に、そういうことだったのかと僕は納得した。
というのも、この教室の壁に1枚の大きな鏡がある。沙里が頻繁に、鏡に映る自分の舞い姿を確認し出した。気が付けば、いつも鏡の前に立っていた。そして何度も何度もそれぞれのポジションでのポーズをチェックし始めていた。
それからのことだ、沙里の舞いが……、たとえば腕を上げて丸くするアン・オーや片脚で立つアラベスクなど、一つ一つの要素が一段と美しくなっていった。
そして僕は耳にした。鏡に話しかける沙里の声を。
「里沙(りさ)! 私、あなたよりもっと上手く踊りたいわ」と。
僕はその時、良かった、やっと気付いてくれたかとホッとした。なぜなら、とっくに僕は感じていた。少し暗い大きな鏡、そこに映る自分は微妙に自分自身とは違うと。
もちろんミラーだから左右は異なる。しかし、どことなく他人のような……、いや、もう一人の自分がそこにいるような気がしていた。
きっと沙里も幼い頃からここへ通い、それを看破したのだろう。だから沙里は鏡の中の自分を――、自分とは異なる名前、それはまるで鏡で反転したかのように、『里沙』と呼んだのだ。
それからのことだった。沙里の静も動も飛躍的に華麗さを増した。こうして12歳の少女が第三幕ヴァリエーションに挑戦できるまでの上達を果たしたのだ。
作品名:33粒のやまぶどう (短編物語集) 作家名:鮎風 遊