33粒のやまぶどう (短編物語集)
なぜこんなことに?
ここで少し時計の針を戻してみよう。
信長の野望は七徳の武をもって、つまり天下布武による天下統一。そのためには朝廷を排除し、都を武力で抑え込み、信長自身が国王になること。しかし国家天下のため、光秀はこの信長の魂胆を受け容れることができなかった。
そんな中、光秀は5月15日から3日間安土城を訪問する家康の世話役を仰せつかった。だがその2日目に、毛利を水攻め中の秀吉を援護せよと命を受けた。この不意な出陣、これは大層なことだ。勘ぐれば、これはまさに親方様からの虐め。
それでも光秀は下知に従い、その準備のため5月17日に坂本城に入り、5月26日には亀山城へと移った。
しかしだ、この17日から26日、ここに10日間の空白がある。光秀は一体どこで何をしていたのだろうか?
答えは、天下布武を憂慮する正親町(おうぎまち)天皇と密会し、信長打倒を謀議していたのだ。
そして5月28日、光秀は愛宕山(あたごやま)に登り、連歌会で反逆の決意表明をした。
「時は今 雨が下(した)しる 五月哉」と。
この歌の解釈は「土岐氏出身の光秀が天下を治める五月かな」。
こうして6月1日、旗印は水色桔梗、ついに明智光秀が動いた。表向きは秀吉援護のための出陣。しかし途中、「敵は本能寺にあり」と方向を変え、1万3千の兵を率いて老ノ坂を越え、桂川を渡った。
作品名:33粒のやまぶどう (短編物語集) 作家名:鮎風 遊