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わたなべめぐみ
わたなべめぐみ
novelistID. 54639
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ファースト・ノート 9~10

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10.マザー



 東京の街頭に立つようになって、もうすぐ二カ月になる。地元のストリートミュージシャンと顔なじみなり、追い払いにくる警察とのいたちごっこに慣れた頃、ろうそくに火を灯すように人が集まり始めた。

地下街に向かう階段を着飾った人たちがひっきりなしに出入りする。ギターを鳴らして語りかけても、ほとんどの人間は無関係だと全身で主張して去っていく。その中に時折、意志のある視線を感じる。膝を折って座りこむ少女や、待ち合わせ人を失った若い女性や、疲れ切った表情のサラリーマンが、立ち止まって歌声に耳を傾ける。

 年齢も職業も出身地も違う人々が、わずかな時間だけ人生の接点を持つ。歌に何かしら過去の思い出をよみがえらせる。複雑に入り混じった感情が渦巻き、中心には要が立っている。息の合ったハンドクラップ、拍手に続くアンコール。きらびやかな街のネオンと雑踏の人いきれに圧倒されながら、少しずつ居場所を確保していく。

 初音のピアノを思い描きながら、8ビートのストロークを繰り出す。
予定していた演目が終わり、後片付けを始めても、道夫が姿を見せなかった。
携帯電話の画面を見る。初音のメールを受信している。
 十一月いっぱいで退社するとの旨が記されている。辞めた後のことには触れておらず、ならば十二月からこちらで一緒に暮らそうかと返信してみた。

 植込みのレンガブロックに腰を下ろす。いつからいたのか、要のファンだという少女たちが声をかけてきた。真っ直ぐな黒髪と化粧気のない顔から、高校生に見えた。時刻は十時を過ぎている。「家に帰らないの?」と言うと、「帰っても親いないんだよね」と声をそろえて言った。俺もそうだったなあと共感すると、瞬く間に彼女たちとの距離が縮まり、隣に座って屈託なく笑った。
 二十分ほど雑談をしていると道夫が姿を見せた。例の怪しい黒い丸眼鏡をかけている。
 少女たちに次にストリートに立つ日を告げ、道夫のあとについて行った。
 歩きながら携帯電話を見る。着信もメールもきていない。

「どうしたの、携帯気にして。もしかして今夜、女性からのお誘いでもあった?」

 道夫に連れられて入ったジャズバーで、ピーナッツの殻をむきながら言った。

「違いますよ。はっちゃん、最近あんまり返信がないんですよね」
「どんなラブラブメールしてるの?」
「ラブの欠片もありません」

 ため息をつきながら携帯の画面を見せると、道夫はぽかんと口を開けてから笑った。

「なんだか業務連絡みたいだね」

 初音のメールはいつも簡潔だ。徹治の容態に関する内容が定時報告のように届くものの、彼女自身の感情に触れるような内容はほとんどない。絵文字もいつも同じだ。仕事が忙しくて疲れているのか、電話をかけても出ないことが多い。
 先日、大野家に立ちよった時など、体調が悪いからと言って追い返されてしまった。二週間ぶりに会えると心が浮き立っていた要の思惑はあっさりと崩れ去った。一緒に東京に行きたいと言って抱き合ったときの情熱はかけらも感じられず、女心は秋の空とはまさにこのことかと嘆息した。

「俺に何か問題があるんですかね。どうしたらいいですか、樹さん」

 薄いグラスを揺らしながら言うと、道夫は煙草を取り出した。

「僕に聞かないでよ。女心がわかってたらとっくに結婚してるよ」

 銀色に光るジッポライターで火をつける。薄暗い店内に赤い炎が揺らめいている。
 彼の言葉に苦笑してジントニックをあおる。胃の中に熱い液体が流れるのを感じる。

「俺に用ってなんですか?」

 ウェイターが運んできたフライドポテトを差し出すと、道夫は丸眼鏡をカウンターの上に置いて言った。

「オーディションはうまくいってる?」
「それがなかなか……知り合いに紹介してもらった事務所もいくつか回ってみたんですけど、手ごたえがなくって。よく考えたら俺、今までに自分で売り込んだ経験がないんですよね。アピールポイントはどこですかとか聞かれても、ただ曲を聴いて下さいとしか言えないんです。インディーズとはいえ、そこそこCDも売れてるしって甘く見てました」
「確かに君の曲を説明するのは難しいね。流行りに乗ってるわけじゃないし、キャッチーでもないし。かといってレコード会社の言うことを素直に聞きそうもないし。これ、僕の知り合いなんだけど」

 一枚の名刺を差し出した。音楽事務所とプロデューサーの名前が記されている。

「さっきストリートの演奏を聴いてもらったんだ。君の良さを知るには生演奏が一番いいと思ってね」
「あの中に、樹さんとこの方もいたんですか」

 道夫はウイスキーを一気に飲みほし、銀歯を見せて笑った。

「一度、事務所を訪ねてきてほしいって言ってたよ」
「ありがとうございます……」

 手に取ってしばらくの間、眺めた。何の変哲もない小さな厚紙から熱が放出している。
 演奏中に目にした観客の顔が思い浮かぶ。小さな竜巻のように巻き上がる拍手と歓声――会話をした少女たちの笑顔を思い出しながら、街頭に立ってギターを弾くことが遠いようで一番近い自分の道なのだろうと思った。
 ジーンズのポケットから携帯電話を取り出す。沈黙したままぴくりとも動かない。
 父の容態が悪化する今、なんとしてもメジャーデビューの話を持って帰りたい。
 初音の母親を説得して彼女を東京に連れてくるためにも、宙に浮いた今の状態から早く脱却したかった。
 ひとりよがりに活動してインディーズデビューを果たした頃とは違い、次々に送られてくる不合格通知は万力のように未来の展望をしめつけた。
 名刺を見つめながら、手のひらから生ぬるい汗がにじみ出してくるのを感じた。

                 ***

 四日後、名刺に書かれた音楽事務所を訪ねた。あらかじめ電話でアポイントを取ってあったが、名刺の人物が不在で待つことになった。
 その間、携帯電話が鳴り続けた。発信者は初音だった。珍しく何度もかかってくる。そのたびに通話ボタンを押したい衝動にかられたが、目の前を事務所の人間があわただしく行き来していることもあって、取り出すことはできなかった。
 三十分ほどして眼鏡をかけた小太りな男性がかけこんできた。外はずいぶん涼しくなったというのに汗をかいている。ギターのハードケースを持った要の姿を見つけると、名前を告げた。名刺の持ち主に違いなかった。

 別室に案内される途中、携帯電話が振動した。今度はメールだった。内容を確認することはできず、三十代後半と思われるプロデューサーのうしろ頭を眺めていた。
 昨夜遅くに送られてきたメールのことが脳に張りついて離れなかった。初音からのメールには「ごめんね。一緒に東京には行けない」と記されていた。何度かけてみてもつながることはなく、返信もなかった。体がつながったくらいで、心もつながったと思ったのが浅はかだったのだろうか。彼女自身の心変わりかもしれないし、晃太郎が何か仕掛けたのかもしれない。夜が白んでも不安は膨らむばかりだった。
 寝不足の頭を思い切りふる。空いた手で乾燥した頬をこすった。