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サーキュレイト〜二人の空気の中で〜第二十四話

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雨の魔物は、低い唸り声のような息を吐きながら、立ち上がったまま動きを見せようとしない。

ひょっとして警戒されている?
ここまで何度かやりあったせいだろうか。


「ふっ!」

オレは一つ息を吐いて雨の魔物に肉迫した。
心中では否定していても、身体と『醒眉』で解放された脳は確認のために動く。

狙ったのは、剣の柄だった。
オレは、ただ突進するフリをして、それに拳を打ちつけた。
すると、みしっと嫌な音がする。


(な、何だっ?)

見ると、完全にその剣は雨の魔物の内蔵めいた赤黒い手と一体化していた。

ブオンッ!

「雄太さん、危ないっ!」
「……っ」

まどかちゃんの声より一瞬早く、オレは反応して真横から繰り出された丸太のような腕をしゃがみこんでかわす。
スローモーションに近い感覚で、その腕はオレの頭上を通り過ぎる。

『夢旅』の力があれば、そうそう相手の一撃を受けることはないはずだった。
しかし、それだけでは勝てないのも確かなのだ。
オレは少し間合いを取って、改めて雨の魔物に弱点がないか観察してみることにした。


「……」
「オオォッ……」

常に血で染められたように赤い筋骨隆々の四肢は、ダメージを与えるのは難しそうだった。
武器破壊やそれに準ずる行動も、先のアクションで厳しいことが分かっている。

そこまで考えて、すぐにピンときた。

―――やはり、脳……いや、頭蓋か。
快君と戦った時、黒陽石の仮面を外したら正気に戻ったのを覚えている。

 
 黒陽石の仮面は、兎のような耳を持つ、犬の顔のような形をしていた。
 仮面と言うよりは、マスクやヘルメットのようなものに近いんだろう。
 赤黒い肉が張り付いて、目では見えなかったが、雨の魔物の顔の部分から、さっきからひしひしと禍々しい邪気を感じている。
 その奥にそれがあると見て間違いない。
 オレはその考えを、刹那で纏め上げて、行動に移した。


 次に狙うは、顎だ。
 常套通り、まずはボディを狙って拳を打ち込む。

 ドゴオッ!
 
 「ヴァアアッ」

 雨の魔物の硬いはずの肉が、繰り出した方向にひしゃげ、その巨体が一瞬宙に浮く。
 本命の一撃を隠すための囮とはいえ、『醒眉』での一撃はすさまじい。
 普通、人が生きるにあたって無意識にセーブしている力を解放するのだ。
 その威力を考えると、その反動は大きい。

 まだその反応で、こっちの腕は身体が傷つく、ということはなかったが。
 『夢旅』のより鋭敏になった触覚が、ダイレクトに相手のダメージを伝えてくれる。

 正直、あまりいいものじゃなかった。
 生身の人間なら、どうなっているのだろう。
 想像するのも恐ろしかったから、オレはオレ自身にこれ以上の力をつけることはしなかった。

 その一撃で、雨の魔物は苦悶の声をあげる。


 (……?)

 オレはその声に、一瞬すごく嫌な不快感を覚えた。
 それは、聴覚が強化されているからこそなのか……はっきりしない。
 
 しかし、それを確かめる術もなく、雨の魔物はやみくもに剣を振るってきた。
 当たれば怖いが、当たらなければ始まらない。
 
 オレはその隙を見逃さなかった。
 勢い込んで剣を振り上げた雨の魔物の腕を掻い潜って、伸び上がるように顎めがけて拳を突き上げる!

 ドグゥッ!

 「ヴャアアアッ!」

 確かに捉えた、骨のようでいてそうでない、金属の感触。
 雨の魔物は再び声をあげて、ふらふらとよろける。
 今のは相当効いたようだ。
 
 これを何度か続ければ、勝てるかもしれない。
 そう思った時だ。


 オレは、唐突に雨の魔物の声の正体に気づいた。
 きっと普段なら気付かないのだろうが、『夢旅』の力はそれを見逃さなかった。

 オレは、思わず後退さってしまう。


 「まさか……今の声は」

 雨の魔物の声には、たくさんの声が混じっていた。
 多くの人の声。
 その中に、確かに聞き覚えのある声が、二つあったのだ。


 ―――奴は、黒陽石の依存の力で、捕らえたものを喰らい、その身の糧にしている。

 「そんな、本当に?」

 オレは呆然としていて、雨の魔物の鋭い顎が、近付いているのに気が付くのが遅れた。

 
 「雄太さんっ!」

 まどかちゃんが、声をあげた時には遅かった。
 雨の魔物の口の中から出てくる、何か圧倒的な力の気配。

 
 「ヴァオオオオオオオッ!」
 「がっ?」

 それは、超音波のようなものだろうか。
 あるいは、雨の魔物に取り込まれた人達の悲痛。不快感の正体。
 オレは避けることも出来ずに直撃を受け、数十メートル以上吹き飛ばされた。

 
 こんな隠し技を持っていたっていうのは意外だった。
 不可視の飛び道具……か?
 これじゃあまどかちゃんにも危険が及ぶかもしれない。


 「雄太さんっ!」

 まどかちゃんが、慌てて駆け寄ってくる。
 派手に吹っ飛ばされたけれど、それはどちらかと言うとダメージを拡散するために敢えてやったことなのだが、そこまでまどかちゃんには分からなかっただろう。

 それよりも、あまり近付くのは得策とはいえない。
 擦った背中の痛みを我慢して、オレはすぐに起き上がってみせる。
 そしてすぐに、雨の魔物の射程範囲からまどかちゃんを放した。


 「雄太さん、だ、だいじょぶっ? 耳から血がっ!」

 オレは言われるままに耳に手をかける。
 どうやらさっきの音波にやられたらしい。
 これなら慌てるわけだ、納得した。
 
 まどかちゃんの声が聞こえるので、鼓膜まではいっていないようだが、『夢旅』で聴覚が研ぎ澄まされていたのが仇となったらしかった。
言われなければ気が付かなかっただろう。


 「しかし、まいったな」

 オレは思わずそう漏らす。
 今までずっと否定して、目を背け続けていたが。
 やっぱりあの雨の魔物の中には……いや、あの雨の魔物を形作っている身体自体が、『黒陽石』の犠牲者なのだろう。

 いや、まだ犠牲になったと決め付けるのは早すぎる。
 二人を解放する術だってどこかにあるかもしれないのだ。


 ―――確率的には低すぎる、その考えは、間違っている。


 「まどかちゃん、やっぱりここは、いったん引こうと思うんだ……けどっ」

 オレは内なる声を無視し、まどかちゃんにそう言って、もと来た道を指し示した時。

 今度は心臓が大きく打ち震えた。
 そして、一瞬で身体が鉛になってしまったかのように重くなる。


 「雄太さん、どこか痛いのっ?」
 「だい、じょうぶっ。それより、ここをいったん離れるんだっ」

 
 ―――『醒眉』、リミット間近。聴力の限界値を突破。これ以上は危険っ。


 オレの脳が、分かりきってるけど分かりたくない事実を告げる。


 「……さ……いっ!」

 オレがそう言ってもまどかちゃんは動こうとしなかった。
 何かを言っているようだったが、耳の痛みが酷くなってよく聞き取れない。
 でも、その瞬間背中を撫でる濃密な殺気を、生暖かい気配を、確かに感じた。
 振り向く前に、その場から転がって離脱する。