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相思花~王の涙~【前編】

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 借金取りは連日のように押しかけ、ついには人相の良くない用心棒数人が来て、
―金が出せないのなら、売り物になるものはすべて売ってでも金を作れ。
 とまで言われてしまった。
―手始めに、この娘を連れていって妓房(キバン)にでも売り飛ばしゃア、ちったア、金になるってもんだぜ。
 と、下卑た眼でソナを見るようになった。
 そこで、ソナが一計を案じた。
―伯母さん、私、王宮に行きます。
 後宮に入って働けば、わずかではあるが日当も貰えるし、ソナも借金取りに連れていかれずに済む。その時、既に弟のヨジュンは伯父の友人宅に養子として貰われていっていた。伯母とも相談した結果、幼い弟の未来のために決断したことだった。
 もちろん、伯母は止めた。自分のためにソナを売り渡すことはできないと。だが、ソナは真顔で首を振った。
―このままここにいても、私はいずれ、強突張(ごうつくば)りの金貸しに連れていかれてしまうもの。
 行く先は妓房、つまり身をひさいで生きる妓生(キーセン)になるのが落ちだ。そんなことになるよりは、自分から行動を起こした方がはるかに良い。
―ね、妓生になるよりは、まだ後宮の水汲みになる方がマシでしょ。
 伯母を説得し、弟を引き取ってくれた学者(ソンビ)の口利きで宮殿の水汲み募集に応じ、宮殿入りを成し遂げたというわけだ。
 そのときに貰った前金も決まって支払われる給金も殆どは伯母に仕送りしている。七つのときから三つ下の弟共に我が子同然に大切に育てて貰った伯父夫婦のためとあれば、生命以外なら何でも差し出せる。
 それでも、流石に身体を売る妓生にだけはなりたくなかった。日毎夜毎、ろくに知らない男に身体をひらくのが哀しい宿命の妓生。特に男嫌いでも途方もない夢想家でもないつもりだけれど、やはり若い娘であれば、いつかは好きな男と出逢い、結ばれたい。そのときまで自分の?初めて?は大切にしたかった。
 伯母は女ながら筆まめな人で、よく便りが来る。流石は市井の代書家とはいえども、そんじょそこらの儒学者よりは物識りであった伯父の妻だけはある女性だ。
 伯母の手紙によれば、ソナが渡した前金とここ半年ほど送り続けたお金のせいで、借金取りも家にまで押しかけてくることはなくなったという。まだ完済までには何年もかかるだろうが、伯母自身も仕立物の内職をして得た収入を返済に充てているし、また養子に行った弟も代書を引き受けた副収入を月々、伯母に送ってくるため、皆で力を合わせていけば、数年内には完済できるはずだとも書かれていた。
 伯父の借金が露見した時、伯母は涙を流して悔しがった。
―馬鹿なひとだよ。幾ら欲しいからって、たかだか本を数冊買うのに、そんな馬鹿みたいな額の借金をこしらえちまうなんてさ。
 しかし、ソナは優しく伯母を抱きしめて言ったのだ。
―伯母さん。そんな風に言わないで。叔父さんは本当なら、宮殿でふんぞり返っている丞相たちみたいに出世できるほどの秀才だったんだもの。
 伯父は常民(サンミン)だった。両班ではないから、科挙のための勉強も独学でするしかなかったにも拘わらず、官僚になる登用試験には三等で合格を果たした。なかなか合格者が出ない難関を物ともせずに二度目の挑戦で合格したのである。
 だが、あろうことか、合格発表にはちゃんと名前が記されていたのに、翌日、合格は取り消された。試験管の手落ちで他受験者と答案が取り違えられていた―と、苦しい言い訳がなされたものの、伯父の代わりに合格者として発表されたのは時の右議政(今の領議政羹寛澤―カン・ガンテク)の息子だった。
 ガンテクの息子は評判の放蕩息子で、昼間から妓房に入り浸り妓生と戯れ酒色に溺れていた。むろん、学問など、からっきし駄目だ。
 この一連のなりゆきから、ガンテクと伯父の答案が取り違えられたのではなく、わざとすり替えられたのであろうことは容易に察せられた。
 身分、身分―、すべて、この国は国王を頂点とする両班が中心で世の中が動いている。阿呆でも貴族の子弟というだけで大臣になれ、どれだけ有能でも常民であれば、一生市井に埋もれて暮らさなければならない。
 むろん、常民でも科挙において、合格者はたくさんいる。全体を通しても合格者の常民が占める割合は四割から五割と非常に高いのだ。伯父の場合、本当に運が悪かったとしか言い様がなかった。
 裏にあるインチキの絡繰りが透けて見えるだけに、伯父は涙を流して悔しがったが、この身分社会では泣き寝入りするしかなかった。
―でも、そのためにソナにまで辛い眼に遭わせて、あたしは申し訳なくて。
 伯母はおいおいと泣いた。ソナは伯母に微笑んだものだ。
―何を水くさいことを言うの? 伯母さんと伯父さんは私とヨジュンにとっては実のお父さん(アボジ)とお母さん(オモニ)も同じ人なのよ? 娘が親のために何かをするのは当たり前でしょ。だから、そんな風に思わないでちょうだい。
 伯母との涙の別離を思い出すと、不覚にも涙が滲む。
 弟ヨジュンは位は低いけれど、両班の家に養子に行った。いずれは、そこの当主の姪のの婿となり、家門を継ぐはずだ。妻となる娘は病弱で四歳も年上だが、物静かな雰囲気の女性で、ソナは良い縁談だと思っている。常民の倅が貴族になれるのだ、ありがたいと思わなければ罰が当たる。
 これで伯父の残した借金をすべて返せれば、ソナには何の愁いもない。いずれ宮殿を去り、伯母と二人で慎ましく暮らしたい。伯父に返せなかった恩をせめて伯母に孝養を尽くすことで果たしたい。
 もちろん、良い出逢いがあれば、結婚もしたいが、特に結婚願望が強いわけではなかった。縁がなければ独り身でも良いし、そのときは伯母の最期を看取ることだけを考えれば良いのだ。
 それにしても、これから先、この後宮暮らしが何年続くのだろうか。朝から晩まで、高位の女官の顔色を窺い、厳しい尚宮に叱られながらの日々は正直、あまり愉しいものではなかった。ソナは自分が特に横着者でもないし、我が儘だとも思ったことはない。
 が、女官たちのソナたち最下級の下働きに向ける視線はけして温かくはなかった。やはり、身分が低い取るに足らないものだと馬鹿にしているのだろうか。中には情をかけてくれる尚宮や女官がいないわけではないが、そういう人はごく稀で、しかも厳しい尚宮たちの方が後宮では幅を効かしていて、庇おうにも庇えないというのが実情だ。
 後宮では殊に身分の高低が物を言う。常民よりは両班、同じ両班でも家門が高ければ高い家の出身であるほど、我が物顔ができる。元々、そういう気風のある女だけの世界であると共に、現王の生母カン氏が出自に拘る質(たち)とのことらしい。 
 それを証明するがごとく、カン大妃に仕える女官はすべて上は尚宮から下々の女官まで全員が両班出身ばかりで、常民は一人もいないという。その徹底ぶりを見れば、王の母が何よりも身分を重視する人であるのは明白で、王妃もいない現在は大妃が後宮の長である。後宮の最高権力者がそこまで女官の出自に拘れば、自ずと後宮全体の気風も身分の上下が最優先されるのは致し方ない。