横須賀・横浜旅行記 ふんわりと、風のごとく 第三部
第六章
横須賀の街
田浦駅で待ちぼうけを食らってしまったが、10 分ほどで到着した久里浜行きの列車で、次の横須賀駅へ向か う。田浦駅を出ると、すぐにトンネルに入る。そのトンネルを出てしばらく走ると、後ろには大きな軍艦が停泊している様子が見えた。その軍艦を見ながら、列車は横須賀駅に到着した。
久しぶりに来た横須賀駅。やはり中心部から外れているけれど、それなりに大きい駅だ。駅の構造や駅舎も歴史を感じさせるものがある。木造の駅舎は、昭和 15 年に建設されたものなのだとか。駅舎の前には、横須賀海軍カレーの公式キャラクターである〝スカレーちゃん〟の人形が置かれている。さて、横須賀駅前を歩いて来よう。
横須賀駅前には、〝ヴェルニー公園〟という軍港を臨む公園がある。この公園は対岸にフランス人技師、ヴェルニーが建設に貢献した横須賀製鉄所も臨めることなどから、フランス庭園様式を取り入れた公園として平成 14 年に整備されたそうだ。前回、横須賀を訪れた時にもここを歩いたが、とても綺麗な公園だ。季節によってはバラ園もあるこの公園だが、今は全然、バラの時季ではないので、バラなんて咲いていない。
目の前には、不気味なまでに巨大な軍艦が目の前に停泊している。他にも潜水艦などが停泊しており、いろいろとカメラに収めながら公園を歩く。さっきの廃線跡なんかはあのひとも喜ぶかどうかは分からないけれど、この公園の風景は喜んでくれそうだなあ。それよりも、一緒に歩きたい。
公園の中にはバラの花壇の他、洋風の東屋やヴェルニーの胸像などもある。歩いていると、何やら鐘の音がした。10 時の時報だった。やっと10 時か。予定では 10 時頃に田浦駅に着く予定だったが、所沢駅で列車の時間を間違えて30 分も繰り上がってしまった。どこかで時間を潰そう。ドトールなんかがあればいいが、スターバックスしかない。他のお店は閉まっている。スタバはタバコが吸えないから嫌なんだけどなあ……。仕方なしにスタバに入り、30 分ほど、拙稿をまとめながらコーヒーを飲んで時間を潰す。
公園を歩いていて気付いたのが、この公園は釣りが禁止なのに、なぜか目の前にある巨大なショッピングセンターには釣具屋さんが入っている。よく分からない街だ。謎な街だ。市の中心部から外れたこの街にこんな謎があるのだから、もしかしたら、中心部はもっと面白いかも知れない。スタバでの時間潰しも程々に、そろそろ市の中心部に位置する横須賀中央駅の方へ行くことにしよう。
目の前のバス停に、衣笠十字路行きというバスが来た。側面の行き先表示器を見ると、経由地に〝中央駅〟とあった。これは横須賀中央駅のこと。このバスに乗れば、横須賀中央駅に行けるようだ。しかし、〝衣笠〟という名前、僕のようなカープファンにはたまらない。
さて、横須賀駅を出たバスは、駅の横を通る大きな道路に出る。これをまっすぐ行くと、さっきのスタバやショッピングセンターの横に出る。さらに進んで行くと、沿道には、アメリカンな看板のお店が軒を連ねていた。
不動産屋の看板まで英語だった。さすが、米軍のお膝元だ。しかし、ある大きな交差点を曲がると、途端に異国情緒は薄れて行き、所沢にあってもおかしくないお店ばかりが軒を連ねるようになった。そんな中で、衣笠十字路行きのバスは、横須賀中央駅のバス停に到着した。駅までは少し歩くようなので、〝駅前〟という名前のバス停の方がふさわしいかも知れない。とは言え、さすがに市の中心部とあって、とても賑やか。さあ、アメリカンな街を歩いて来よう。
第七章
迷子になった。
何でも、〝ドブ板通り〟という通りが近くにあるそうだ。そこが異国情緒溢れる街なのだろうか。本当に下調べをしていないので、どこにあるかさえも分からない。今いるのは東口。その〝ドブ板通り〟は、どうも西口にあるようなイメージがあったので、とりあえず、西口に行ってみようかと、エスカレーターを上がってペデストリアンデッキに行った。すると、このすぐ斜め下に、〝若松飲食街〟という飲み屋街のような通りの看板があったのが見えた。面白そうなので行ってみることにした。
まだ正午にもなっていないので、空いているお店はない。少し歩いてみると、諏訪神社という神社があった。 せっかくなので、お参りして行こう。こぢんまりとした本殿まで行き、あわよくば、あのひとといい関係になれるよう、お願いしておいた。
本殿の前の石段を下りて行くと、さっきの通りとは違う方角に出られるようだった。そちらに行ってみると、急な坂があった。これを登って行ってみると、商店街があった。いずれにせよ、横須賀名物の海軍カレーを食べられれば何でもよかった。だが、昔ながらのその商店街には、およそ海軍カレーを食べられるようなお店はなかった。
坂を登り終えると交差点があったので、これを右側に行ってみることにした。しかし、そこはもはや、アメリカの〝ア〟の字もない。進めば進むほどに住宅街の中に入って行くので、元来た道を引き返すことにした。まあ、怪我の功名と言えば、西口に出られたことか。もしこれであのひとが一緒だったら、とんでもないことになっていただろう。
また駅の近くにたどり着き、とりあえず、こっちだろうか?と歩いてみると、路地裏に出てしまい、結局はさっきバスで通って来た東口の大通りに出てしまった。すっかり迷子になってしまった。カレーの店はあったけれど、インドカレーのお店だった。他の飲食店の中には、まだ正月休みの所もあった。どちらにしても、正月休みのお店の中にも海軍カレーのお店はなかった。そんな中、何やらアーケードに覆われた商店街があったので、入ってみる。威勢のいい商店街だったけれど、この中に海軍カレーのお店はなかった。カレーライスがあるお店と言えば、牛丼の松屋だったらあったけれど、そこに入る気にはならなかった。
とにかくさまよい歩いていると、カレーの匂いがして来た。だが、これがカレー屋のココイチだった。本当にこの横須賀に海軍カレーなんてものはあるのだろうか?歩けども歩けども、あるのはスナックやパブばかり。その中に、あのひとと同じ名前のお店があった。ちょっと切ない気持ちになった。
〈うん。この街に海軍カレーなんてない!〉
そう思った時、ココイチの隣に〝横須賀海軍カレー本舗〟と書かれたお店があった。何だ、あるじゃないか!行ってみると、どうやらそこは観光施設のようで、一階は土産物屋だった。その上の階に海軍カレーが食べられるレストランがあるようだ。明治風の服装のウェイトレスさんに案内されてテーブルに着く。メニューを見て、1200 円と少し高いのが気になったが、明治時代のカレーを再現したというカレーライスを注文した。あと、ウーロンハイ。
横須賀の街
田浦駅で待ちぼうけを食らってしまったが、10 分ほどで到着した久里浜行きの列車で、次の横須賀駅へ向か う。田浦駅を出ると、すぐにトンネルに入る。そのトンネルを出てしばらく走ると、後ろには大きな軍艦が停泊している様子が見えた。その軍艦を見ながら、列車は横須賀駅に到着した。
久しぶりに来た横須賀駅。やはり中心部から外れているけれど、それなりに大きい駅だ。駅の構造や駅舎も歴史を感じさせるものがある。木造の駅舎は、昭和 15 年に建設されたものなのだとか。駅舎の前には、横須賀海軍カレーの公式キャラクターである〝スカレーちゃん〟の人形が置かれている。さて、横須賀駅前を歩いて来よう。
横須賀駅前には、〝ヴェルニー公園〟という軍港を臨む公園がある。この公園は対岸にフランス人技師、ヴェルニーが建設に貢献した横須賀製鉄所も臨めることなどから、フランス庭園様式を取り入れた公園として平成 14 年に整備されたそうだ。前回、横須賀を訪れた時にもここを歩いたが、とても綺麗な公園だ。季節によってはバラ園もあるこの公園だが、今は全然、バラの時季ではないので、バラなんて咲いていない。
目の前には、不気味なまでに巨大な軍艦が目の前に停泊している。他にも潜水艦などが停泊しており、いろいろとカメラに収めながら公園を歩く。さっきの廃線跡なんかはあのひとも喜ぶかどうかは分からないけれど、この公園の風景は喜んでくれそうだなあ。それよりも、一緒に歩きたい。
公園の中にはバラの花壇の他、洋風の東屋やヴェルニーの胸像などもある。歩いていると、何やら鐘の音がした。10 時の時報だった。やっと10 時か。予定では 10 時頃に田浦駅に着く予定だったが、所沢駅で列車の時間を間違えて30 分も繰り上がってしまった。どこかで時間を潰そう。ドトールなんかがあればいいが、スターバックスしかない。他のお店は閉まっている。スタバはタバコが吸えないから嫌なんだけどなあ……。仕方なしにスタバに入り、30 分ほど、拙稿をまとめながらコーヒーを飲んで時間を潰す。
公園を歩いていて気付いたのが、この公園は釣りが禁止なのに、なぜか目の前にある巨大なショッピングセンターには釣具屋さんが入っている。よく分からない街だ。謎な街だ。市の中心部から外れたこの街にこんな謎があるのだから、もしかしたら、中心部はもっと面白いかも知れない。スタバでの時間潰しも程々に、そろそろ市の中心部に位置する横須賀中央駅の方へ行くことにしよう。
目の前のバス停に、衣笠十字路行きというバスが来た。側面の行き先表示器を見ると、経由地に〝中央駅〟とあった。これは横須賀中央駅のこと。このバスに乗れば、横須賀中央駅に行けるようだ。しかし、〝衣笠〟という名前、僕のようなカープファンにはたまらない。
さて、横須賀駅を出たバスは、駅の横を通る大きな道路に出る。これをまっすぐ行くと、さっきのスタバやショッピングセンターの横に出る。さらに進んで行くと、沿道には、アメリカンな看板のお店が軒を連ねていた。
不動産屋の看板まで英語だった。さすが、米軍のお膝元だ。しかし、ある大きな交差点を曲がると、途端に異国情緒は薄れて行き、所沢にあってもおかしくないお店ばかりが軒を連ねるようになった。そんな中で、衣笠十字路行きのバスは、横須賀中央駅のバス停に到着した。駅までは少し歩くようなので、〝駅前〟という名前のバス停の方がふさわしいかも知れない。とは言え、さすがに市の中心部とあって、とても賑やか。さあ、アメリカンな街を歩いて来よう。
第七章
迷子になった。
何でも、〝ドブ板通り〟という通りが近くにあるそうだ。そこが異国情緒溢れる街なのだろうか。本当に下調べをしていないので、どこにあるかさえも分からない。今いるのは東口。その〝ドブ板通り〟は、どうも西口にあるようなイメージがあったので、とりあえず、西口に行ってみようかと、エスカレーターを上がってペデストリアンデッキに行った。すると、このすぐ斜め下に、〝若松飲食街〟という飲み屋街のような通りの看板があったのが見えた。面白そうなので行ってみることにした。
まだ正午にもなっていないので、空いているお店はない。少し歩いてみると、諏訪神社という神社があった。 せっかくなので、お参りして行こう。こぢんまりとした本殿まで行き、あわよくば、あのひとといい関係になれるよう、お願いしておいた。
本殿の前の石段を下りて行くと、さっきの通りとは違う方角に出られるようだった。そちらに行ってみると、急な坂があった。これを登って行ってみると、商店街があった。いずれにせよ、横須賀名物の海軍カレーを食べられれば何でもよかった。だが、昔ながらのその商店街には、およそ海軍カレーを食べられるようなお店はなかった。
坂を登り終えると交差点があったので、これを右側に行ってみることにした。しかし、そこはもはや、アメリカの〝ア〟の字もない。進めば進むほどに住宅街の中に入って行くので、元来た道を引き返すことにした。まあ、怪我の功名と言えば、西口に出られたことか。もしこれであのひとが一緒だったら、とんでもないことになっていただろう。
また駅の近くにたどり着き、とりあえず、こっちだろうか?と歩いてみると、路地裏に出てしまい、結局はさっきバスで通って来た東口の大通りに出てしまった。すっかり迷子になってしまった。カレーの店はあったけれど、インドカレーのお店だった。他の飲食店の中には、まだ正月休みの所もあった。どちらにしても、正月休みのお店の中にも海軍カレーのお店はなかった。そんな中、何やらアーケードに覆われた商店街があったので、入ってみる。威勢のいい商店街だったけれど、この中に海軍カレーのお店はなかった。カレーライスがあるお店と言えば、牛丼の松屋だったらあったけれど、そこに入る気にはならなかった。
とにかくさまよい歩いていると、カレーの匂いがして来た。だが、これがカレー屋のココイチだった。本当にこの横須賀に海軍カレーなんてものはあるのだろうか?歩けども歩けども、あるのはスナックやパブばかり。その中に、あのひとと同じ名前のお店があった。ちょっと切ない気持ちになった。
〈うん。この街に海軍カレーなんてない!〉
そう思った時、ココイチの隣に〝横須賀海軍カレー本舗〟と書かれたお店があった。何だ、あるじゃないか!行ってみると、どうやらそこは観光施設のようで、一階は土産物屋だった。その上の階に海軍カレーが食べられるレストランがあるようだ。明治風の服装のウェイトレスさんに案内されてテーブルに着く。メニューを見て、1200 円と少し高いのが気になったが、明治時代のカレーを再現したというカレーライスを注文した。あと、ウーロンハイ。
作品名:横須賀・横浜旅行記 ふんわりと、風のごとく 第三部 作家名:ゴメス