横須賀・横浜旅行記 ふんわりと、風のごとく 第二部
東逗子駅を出て、田浦駅に向かっている途中で、何だかドキドキしてきた。久々の廃線跡探訪だからだろうか。ここでさっきまでスマートフォンで聞いていた音楽を止め、イヤホンを外した。街の音を、しっかりと耳でも感じ取るためだ。
第六章
ミステリアスゾーン・田浦
田浦駅に到着した。いよいよ、廃線跡を歩く時が来たが、その前にもう一つ見ておきたいものがある。この駅は前後をトンネルで挟まれており、11 両編成の列車は先頭の車両をトンネルに突っ込んだ状態で停車する。もちろん、その車両は閉め切られている他、隣の車両のドアも一つ閉め切られる。
その光景を見て列車を見送ると、下り線の隣には廃線跡が現れる。数年前に行われた横須賀線のリフレッシュ工事の際に、本線と廃線跡は分断されてしまったそうなので、もう列車が乗り入れることはできない。駅の横須賀駅側にトンネルが 3 つ並んでいる。このうち 2 つは横須賀線のもので、もう1つが廃線のもの。横須賀線のトンネルは単線用のものが 2 つ並んでおり、廃線のものは複線用のものだ。廃線はそのままトンネルの中へと吸い込まれて行って消えている。 この田浦駅から続く廃線跡は、近くのある倉庫会社が保有しているものだが、一部は在日アメリカ軍の施設である田浦送油施設にも続いている。その施設から発送されるジェット機の燃料や周囲の倉庫からの飼料輸送などを行っていたそうだけれど、1998 年より使用されていないのだという。廃線となり 15 年余り。すでに線路は朽ち果てている個所も多く、再びの使用は不可能と思われる。早速、その廃線跡を探訪して来よう。
駅の目の前は、既に人影のほとんどない倉庫街。そこを道なりに歩いていくと、目の前に何やらレールのようなものが現れる。これが廃線跡だ。倉庫街からひっそりと伸びてきている。線路が出て来た方へ入って行くと、廃線跡には既に先客がいた。場所によっては路面電車のような構造の軌道だったのかも知れない。しかし、すぐ目の前は草が生い茂っている。その軌道敷の横には、米軍施設のために立ち入り禁止を知らせる看板が立っていた。
あんまり軌道敷には入らないようにして、廃線を歩いて行く。田浦駅前から続く道にずっと沿って線路は通っている。この道路は工事が行われており、2 年前に来た時は道路工事が始まって間もない頃だった。しかし、今ではその工事もほとんど終わったのか、一部では線路がはがされたり、線路をはがした上でアスファルトによって埋められてしまったりしている所もあった。2 年前のあの景色の方が、怪しげなムードが満点でよかったのになあ……
少し残念な気持ちを抱えながら、引き続き廃線を歩いて行く。その先に、日本では珍しい線路が平面交差をし ている箇所がある。今、歩いている線路と、田浦駅方面から来た線路が平面交差するわけだが、2 年前に来た時 は、この辺りに錆び付いた踏切の警報器があった。それが今では撤去されてしまっている。本当に残念だ。あれがまた、怪しい雰囲気を醸し出していたんだけどなあ……
今まで歩いてきた線路はトンネルの中に吸い込まれて行くが、このトンネルがどう見ても鉄道用のトンネルにしか見えない。トンネル内は完全に線路が撤去されていることは確認しているので、トンネルの手前で引き返し、また倉庫街の中の廃線跡を歩きつつ、田浦駅へと引き返す。
今度は道を挟んで反対側の歩道を歩いてみる。歩いて行くと、平面交差の辺りに来る。ススキが生い茂る中から線路が現れる。まだ冬の朝なのに、まるで秋の夕暮れ時のような風景だ。この線路も今となっては分断されてしまっている。この辺りが踏切だったけれど、2 年前に来た時は、まだ警報器どころか、踏切そのものも残っていた。
随分、変わってしまった。ひっそりと眠っているようなこの倉庫街も、きっちりと生きているんだなあ。それを実感させられた。何しろ、前に来たのが 2 年前で記憶が薄れていることもあって、まるでモニュメントのように残されていた転轍機も、どこにあるのか分からなかった。廃線跡がしっかりあってのあの怪しげな雰囲気だったが、もはやそれも薄れてしまったような気がする。
そんなことは言いつつも、写真はたくさん撮ったので、いつかこれをあのひとに見せてあげようと思う。別に鉄道に興味がある人ではないのだけれど、倉庫街にひっそりと佇む廃線跡なんて、あんまり写真でも見ることがないんじゃないかな。
田浦駅にたどり着くと、ちょうど久里浜方面へ行く列車が到着し、すぐに去っていったところだった。
作品名:横須賀・横浜旅行記 ふんわりと、風のごとく 第二部 作家名:ゴメス