走れ! 第六部
「そちらは?」
何を言ってるのか分からないネイティブの津軽弁による会話の中、その男性はおれと涼子さんを見て言うと、
「ああ、弟のせがれと彼女だ」
と健太伯父さんが言った。涼子さんのことを彼女だなんて言われて、おれはドキッとしてしまったよ。
健太伯父さんが4人分の入湯料を払ってくれた。奥の方にある浴場へ向かって歩いて行くと、
「卓球場とかはないんだね」
と、涼子さんが言う。確かに、この湯の沢山荘には温泉宿には定番の卓球場はなかったな。まあ、そんなものがなくても十分にいい温泉宿だったよ。
「また後でね!」
涼子さんはそう言って、雪江伯母さんと脱衣所へ入って行った。おれも健太伯父さんとのれんをくぐって脱衣所に入って行く。脱衣所には古びたロッカーと洗面台と扇風機があるだけ。服を脱いで浴場の中に入ると、石を積んで造った浴槽の一つしかなかった。すでに先客がおり、
「こんにちは」
と、おれ達に声をかけた。おれ達も口々に挨拶を返した。その先客が言うには、今日はここ数年で一番の湯加減だそうだ。体を洗って白濁した湯に入ると、熱くもなく、ぬるくもなく、ちょうどいい湯加減だった。
ああして温泉に浸かっていたら、オヤジとのケンカも忘れてしまったな。すっかりどうでもよくなっていた。だから、オヤジのことは健太伯父さんには話さなかったよ。その必要性はないと思ってな。
もうしばらく温泉に浸かって、風呂から出た。服を着て脱衣所を出ると、涼子さんはコーヒー牛乳を飲みながら雪江伯母さんとマッサージチェアに座っていた。脱衣所から出て来たおれを見て、
「おお、出て来たか!待ってたよ!」
と言い、まだフタの開いてないコーヒー牛乳をおれに寄越した。おれはありがたくそのコーヒー牛乳を受け取り、フタを開けて飲んだ。所沢ではもう銭湯なんていう文化がほとんどなくなっていたから、風呂上がりのコーヒー牛乳なんて初めてだったよ。人生初の風呂上がりのコーヒー牛乳は、なかなかうまかった。この後、旅行で温泉に行ったり、近所のスーパー銭湯に行ったりした時は、必ずコーヒー牛乳を飲むようになったよ。まあ、今ならばビールかウーロンハイだけどな。コーヒー牛乳を飲み終え、そろそろ家に戻ることにした。
「じゃあな!」
健太伯父さんはフロントにいた「相棒」にそう声をかけ、みんなで湯の沢山荘を出た。さっき走って来た草が生い茂っている曲り道を行き、国道に出る。