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『花』

女性記者立花紗理奈(さりな)は雑誌社の編集の仕事をしている。背が高く脚の長い。それに美人である。付け加えると、最近離婚した。
編集長に画家の村松を取材するように命じられた。そのため、村松と親しいX教授を訪ねた。X教授は紗理奈の遠縁だった。すると、X教授は聞かれもしないのに、いろいろと話した。 
「経験的に精神は五感と深い繋がりがある。特に眼は最も精神に近い感覚器官だ。優しい眼には、優しき心がある。眼を通じて『もの』を捉える。形や色、それに匂いさえ感じることもできる。捉えられた情報は記憶として刻まれる。それらが積み重なり『知』となる。『知』はさらに心に影響を与える。従って、多くの場合、『知』の豊かさは心の豊かさに繋がる。美しいものに出会い、それをじっと観ていると心が震える。ゆっくりと流れる時間というものを、眼を通じて感じることができる。もしも、神がこの世界にいるのなら、この眼を与えてくれたことに感謝せざるを得ない。裏を返すと、美は眼がつくり出したものだよ」とX教授は得意げに話を続ける。
だが、紗理奈は退屈であった。何を言っているのかよくわからなかったである。それをまた隠そうともしんかった。
「女もその美の対象となるの?」
「場合によってはね? 女も美を感じることがあるのかな?」
「まあ、女を随分と見下しているのね、おじさまは」
「いや誤解しないでほしい。女性はある意味で美、そのものだ」とX教授は不器用に笑った。
「作っているだけの人もたくさんいる」
「そうだ。形はときに人を欺く。眼があるゆえに騙される。欺くのは女だよ、欺かれるのは決まって男だ」
紗理奈は微笑んだ。
「分かりました、その話はまた次の機会に伺いますわ」と話をさえぎり、「最近売出した画家、松村を取材したいので紹介してほしい」と頼んだ。
「気難しい男だよ」
花を緻密に描いて評判の高い松村は、実にミステリアスな画家である。愛好家にしか、彼の名は知らない。私生活は秘密のベールに包まれている。 人付き合いが下手だという噂がある。めったに怒らず、いつも柔和な笑みを湛えていて、まるで古寺の仏像のようだという人もいる。花を愛してやまず、庭には薔薇の温室もあるという。また男性としての機能が失っているという噂もある。「あれはただ単なる去勢された笑みさ。宦官のような存在で、男じゃない」と陰口を叩く者もいる。
「ハンサムなのに独身。鏡のない家、まだ四十なのに、五十にもみえる顔。マスコミ嫌い。どれを取っても、取材しがいがあるというものですわ」と紗理奈は言った。
その眼は明らかに好奇心に満ちている。その好奇心がただ単に記者としての好奇心なのか、それとももっと別のものがあるのか、X教授には分からなかった。ただ女はときに少し怪しげな危険な男を好む。
X教授は村松に電話を入れた後、「来週の日曜、伊豆の家に来いと言っている。一緒に行こう」と紗理奈に伝えた。

伊豆にある村松の家は海の近くにある。家は近代的でそれでいてどこか古い神社に繋がる何かを感じさせる。赤と白が実にうまく配色されていて、派手さはないが落ち着き感じさせる。
海のみえる応接間で、松村は彼女のインタビューに答えた。彼は酒を昼間から楽しんでいる。来客にも勧めると、紗理奈は素直に応じた。
 詰まらぬありふれた話から始まったが、芸術の話になり、興に乗ずると、いつしか、二人ともX教授のことなど忘れて、まるで二人しかいないような会話になっていた。
「どうして、花を描くのですか?」と紗理奈は話を変えた。
「花を女性の生殖器と譬える者がいる。僕もそう思っている。馬鹿げていると思うかもしれないが、描きながら、それを確かめている。こういった話は厭かね?」
紗理奈は少し呆気に取られたが、すぐに気を取戻して微笑んだ。さすがは日本を代表する雑誌社の第一線で働く女性記者である。三十になったばかりだが、物おじせず、ずばずばと本音で迫り、男顔負けの記事を書いて高い評価を得ている。
「ちっとも。でも、先生は女性に興味がないとうかがいましたけれど……」とためらいがちではあったが、ハッキリと言った。
「そんなことはない」と村松は不機嫌な顔をした。
いつの時代だって芸術家というのは尊大である。彼も例外ではなかった。
「独りでいるのは、この私を満足させる女性がいなかったからだ」
「それは失礼しました」と紗理奈は素直に謝った。実に見事応対だ。賢い奴はいつだって臨機応変に対応できる。
「君は結婚しているのかね?」
彼女は首をふった。「今は独りですわ」
「今は? それはどういうことかね?」
「インタビューをしているのは、私ですわ」と彼女は微笑んだ。
「そうだった。ところで何の話をしていたのかな?」
「花が女性の生殖器に似ていると……」と少しうつむきながら答えた。
「男は女の美しさに引き寄せられる。目的は一つなんだ。それは神の意思でもなる。男は神の意思によって女性の生殖器に引き寄せられる。美しくないというものもいるがね……実を言うと、ここのところ、ご無沙汰しているがね」
彼はゆっくりと紗理奈を見た。彼女は仏のような柔和な笑みを相変わらず浮かべている。
「それは興味がないということじゃない。馬鹿な女には飽きたんだ。君のように知性があって美しい女なら別だがね」と彼は笑った。
人間は、男も女も言葉だけで感じることもことがある。特に紗理奈のようにインテリの場合には……。悪戯っぽい眼をして、「先生はご冗談が上手いのね」と応えた。
「冗談? 僕はそんなことが好きでないことぐらい知っているだろ?……それはともかくして、花も女性の生殖器も繁殖のためにある。そのことは君も知っているだろ?」
紗理奈は頷いた。
「花はその匂いや不思議な色や形で昆虫を誘き出し、蜜を昆虫に与えることによって繁殖という目的を遂げる。女性の生殖器も快楽という蜜を与えることによって目的を遂げる。男は考えると実に滑稽な存在だ。人間に限らず動物の世界でも。例えば、かまきりは目的を遂げると雄は雌の餌食になる。蜂の世界では目的を遂げると雄は死ぬ。これらを考えると、男はまるで実にピエロみたいな存在だな」
「動物の世界ではそうでしょうが、人間の世界は少なくとも違うと思います。特に日本では違います。表向きでは、あらゆる分野で女性に開かれていますが、実際は活躍できない足枷があります。この社会を支配しているのは、男です。未だに女はただ単に子供を生む役目しか残されていません。……ごめんなさい、少しりきみすぎました。先生はピエロじゃないでしょ?」
「そうだな、……二十代の頃はそうでもなかったがね。もう時効だろうから言うけど、女に狂った時期はある。それが原因で妻と別れたがね」
それは実に寂しげな顔だった。何か失ったものへの哀惜、そんな悲しみに溢れていた。演じているのであろうか?
紗理奈は少しも表情を変えない。センチメンタルな感情を持ち合わせていないということだろうか。いや、違う。彼女の眼は何かに反応している。
「美と生殖活動と何らかの関係があると、先生はおっしゃるのですか?」
作品名: 作家名:楡井英夫