走れ! 第二部
操舵室の次は、エレベーターで船の下の方にある車両甲板とか、エンジン室に行く。車両甲板には本物の鉄道車両がいくつか置いてあってな。昔の特急列車に使われていたディーゼルカーのキハ82系の先頭車とか、DD16型機関車とか、後は客車や貨車なんかも置いてあったな。どれもお目にかかれない車両だから、涼子さんも珍しがっていたよ。エンジン室だって、現役の船では入ることができないから、二人して巨大なエンジンに見入っていたよ。
これで八甲田丸の中は一通り見終わり、おれ達はまた船の外に出た。もう昼の12時になる。当然、おれは腹が減っていた。それは涼子さんも同じようで、
「おなか空いたね……」
と、つぶやくように言った。
「あの三角形の建物は何だろう……?」
何かを見つけ、続けて言った涼子さんのその言葉には、空腹のせいか、さっきまでの元気はなかった。
涼子さんの視線の先には、アスパムという観光物産館があった。三角形の特徴的な建物には、陸奥湾を一望できる展望台もあるし、レストランぐらいはあるだろう。それを涼子さんに言うと、
「是非、行こう!」
と、すっかり元気を取り戻して大喜びだった。
ラブリッジという名前の木でできた遊歩道を歩き、アスパムの前にたどり着いた。その前には、青い海公園という広場がある。1階の土産物売り場の近くにあるカウンターで入場料を払ってエレベーターに乗り、13階の展望台に行く前に、途中の階にあるレストランに寄って腹ごしらえ。二人してホタテフライ定食を食べた。なかなかうまかったよ。海を眺めながらっていうのが、またよかったよな。あまりの美しさに、時々、涼子さんの箸も止まるほどだったよ。太陽の光を浴びて、キラキラと輝いていた。
海を眺めながら腹ごしらえを終え、またエレベーターに乗って13階の展望台へ行く。陸奥湾が一望できる。天気がよくて、遠くにはうっすらとだけれど、北海道も見えた。展望台からの景色を見て、
「よし。いつか津軽海峡を越えて北海道へ行こう!」
と、涼子さんが決心したように言う。
しばらく談笑を交わしながら展望台から海を眺めていた。それからまた青森駅に戻って浅虫温泉へ向かう列車に乗った。
「そう言えば、ジュン君は浅虫温泉でどこに泊まるの?」
「浅虫に叔父がいるので、そこに泊めてもらいます」
「そうなんだ」
涼子さんは安心したように言った。
青森駅から乗った列車は、20分ほどで浅虫温泉駅に着いた。駅からいくらも離れていない所に海がある。
「私はこの近くに今日の宿があるんだ。ここで待ち合わせして、後から一緒にこの辺を散歩しよう!」
「そうですね!」
「じゃあ、ここで4時半にね!」
涼子さんはそう言いながら手を振って宿に向かって行った。
涼子さんの姿が見えなくなると、おれはポケットから滅多に使うことのない携帯電話を出して、メモリーを見てみた。確かこの前の年、この近くに住んでいる宗一郎叔父さんが酔っ払っておれに携帯電話の番号を教えてくれたはずだった。その番号を見つけ、泊めてもらう交渉をすべく電話をした。長い呼び出し音の後、
「おお、ジュンか!」
と、いきなり電話に出たのには驚いたな。事情を話し、今夜は宗一郎叔父さんの家に泊めてもらうことになった。話がまとまったので、宗一郎叔父さんの家に向かってうっすらと残る記憶をたどり道を行く。海を臨む高台に、一軒の長屋を見つけた。それが宗一郎叔父さんの家だ。開けっ放しにしてある玄関のドアに顔を突っ込み、
「叔父さん!こんにちは!」
と大声で言うと、奥から宗一郎叔父さんが出て来て、
「よく来たな!」
と、おれを迎えてくれた。宗一郎叔父さんは一人暮らしだから、嬉しそうだった。聞いた話によると、宗一郎叔父さんは高校を出てからすぐに東京に出て来て、何だか知らんが事業をやっていたこともあったらしいが、その事業を後輩に託し、青森に戻って来たそうだ。面倒だという理由で結婚はせず、今も独り身だよ。
泊めてもらう部屋に荷物を置いた後、居間で茶を飲みながら、宗一郎叔父さんにオヤジとの顛末を話した。すると、宗一郎叔父さんは、
「兄貴もしょうがねえな。ジュンも大変だったな」
と、同情してくれた。宗一郎叔父さんとオヤジは年が一つしか離れていないから仲がよかったらしく、お互いのこともよく知っていた。だからこそ、宗一郎叔父さんにはオヤジのことを何でも話せた。
話をしているうちに、もうすぐで時刻は4時半になろうとしていた。話が一段落したところで、
「散歩して来ます」
と宗一郎叔父さんに告げ、家を出た。駅へ向かう道は、少しずつオレンジ色の光に包まれ始めていた。そんな道を歩き、浅虫温泉駅にたどり着くと、駅の前ではすでに涼子さんが待っていた。